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第3章_愛と恨み_第15話_消えたセンチネル
「しかし、なんの追加情報も無い状態でどうやって探すつもりだ?」
江里さんがプロジェクターの準備を進める中、田崎が俺にそう訊ねる。一日野本に出向いても捜索のための追加の情報はほぼ得られず、分かったのは漱がモジュラーであること、彼がいるところにはクラリセージの香りがするということだけだ。
「クラリセージの香りがするところって言ったって、その香りの製品は結構売ってるんだろう? この間ミチがそう言ってはずだ。それ以外の情報……、特に視覚に当たるものがあったらいいんだが、それはどうだ?」
「それでしたら、画像作成をしてみましょうか。野本漱さんは、祈里さんと一卵性の双子ですから、ある程度の情報は彼の身体情報で補えると思いますので」
江里さんがパソコンを指差してそう言う。確かに、モンタージュした画像があれば、センチネルの能力に頼らずともミュートやガイドでも漱を探すことが出来るかも知れない。写真を見ながら人を探すという事は、ここのスタッフなら誰にでも出来るだろう。
ただ、俺には一つ気になることがる。それは、祈里が普段からしている事をもし漱もしていたら、モンタージュでは見つけられないかも知れないのだ。
「モンタージュ作成には賛成する。ただし、作成するなら二パターン作ること。そのうちの一つは今の祈里の姿からで構わない。もう一つは……祈里が擬態してる時のもので頼む。漱がもしお前と同じ擬態をしてるとしたら、その姿もあった方が良いだろう?」
「擬態……ですか? それは私には分かりかねますので、どういうものか教えていただけますでしょうか」
江里さんは首を傾げた。彼女は田崎の直下で働くミュートだ。五感と第六感に関する能力というものは持ち合わせていない。その分、機器類や武器の扱いと交渉術、それに論理の展開に長けていて、内勤でのリーダーを務めているような優秀な部下だ。
自分の長所を分かっているからか、出来ない事を恥じるということがなく、最短で問題が解決するのであれば、なんでも素直に教えを請う事が出来る。その余計なプライドを持たないところもまた、彼女の武器となっている。
「祈里は、珍しいタイプのガイドだろう? それを悪用しようとする人間から身を隠すために、もう一つある特殊な能力を持ってるんだ。それが擬態だ。相手を信用するまで自分の本当の姿を見せず、相手が危険だと判断したら、直ぐに見せ方を変えて、逃げられるようになってるんだよ」
「えっ? では、私が見ている祈里さんと社長がご覧になっている祈里さんは違うのですか?」
「うん、多分な。江里さんの目には、黒髪の巻き毛、ブラウンの瞳、褐色肌……だったかな? そんな風に見えてるんだろう? でも、俺の目には、……正確に言うと視覚の発達しているセンチネルには、銀髪ストレートロング、ヘーゼルの瞳、白い肌の姿が見えるんだよ。そうだろう? 祈里」
「翠さん、僕の擬態に気が付いていたんですか?」
祈里の擬態は、論文や新聞の発表には載っていない。これは、俺が祈里を観察していて気がついた事だった。ガイドやミュートのスタッフと話している時に、祈里の容姿についての言及があると、皆一様に混乱していた。それを受けて、また観察を重ね、たどり着いた答えなのだ。
祈里は目を丸くしている。俺はそれを見て、思わず苦笑した。
「当たり前だろう? そういうのを見抜けてこその高レベルセンチネルだ。このレベルまで上がったら、お前が信用できない人間に見せているその姿に関わる機構の全てをすり抜けて、奥に隠れている本当の姿を見ることが出来るんだよ。ここにいる人間で言うなら、咲人と翔平もそれは可能だ」
その答えに、元々大きな瞳がさらに大きく見開かれる。そして、一言
「すごい」
と言って、さらにその瞳を輝かせた。
「……そうなんです。僕には擬態能力があるんですけれど、別に僕が擬態するんじゃなくて、相手の目に映る映像がコントロール出来るんです。そっか、その映像を通り抜けるほどの視力があれば、僕の姿はいつも本当の姿で見えてしまうんですね。そんなこと、思いつきもしませんでした」
「お前のその擬態の力は、漱にもあるのか?」
そう訊ねた俺に、ゆっくりと被りを振る。銀色の長い髪が、サラサラと揺れた。
「いえ、無いと思います。これもダンスでガイディングが出来るようになった時からの力なので……。ガイドレアタイプとしての能力だと思います。ですから、漱には無いはずです」
まさかこの能力を見抜かれるとは思っていなかったのだろう。祈里は恥ずかしそうに俺を見て笑った。分かってしまえば子供騙しのような仕組みだ。それでも、確証を得ない限りは言い切る事も出来ない。
新聞には祈里の身元が分かってしまうような情報が載っていたのに、今まで彼の所在は全くバレることが無かった。そう考えると、立派に周囲を欺いていたのだろう。それはとても凄い事だ。
「そうか。それなら、モンタージュも銀髪の方だけで良いな」
「はい」
そう答えた後、祈里は今度は神妙な面持ちで沈黙した。視線が宙を泳ぎ、何かを言い出そうかと迷っている様子を見せる。
「……何か言いたいことがあるのか?」
そう問いかけると、俺に隠し事は出来ないのだという事を思い出したようだ。困ったように微笑みながら、ある提案をしてきた。
「あの、漱に接触している人間のことは、翠さんはお分かりなんですよね。野本の離れで見かけた男は、父さんともう一人いたっておっしゃってたと思うんです」
「ああ、運転していた男のことか? でも、あの男と漱に直接的な接点があるかどうかは分からないぞ」
「そうですね。でも、もしその人と漱が少しでも話をするような仲だったら、僕は囮に使えないでしょうか」
「はあ?」
情けないことに、驚きすぎて妙な声を出してしまった。今し方弟が酷い目に遭わされていると知ったばかりで、その弟のために囮になると言うなんて、誰が思うだろう。それも、その酷い目に合わせている元凶が自分の父かもしれないというのに、わざわざ傷つきに行こうとするなんて、どんな強心臓の持ち主なのだろうか。
「それがどういうことなのか分かっていってるのか?」
「はい、分かってます。でも、どうしても漱を助けたいんです。漱はとても純粋な子です。アイちゃんと付き合ってる事は僕は知りませんでしたけれど、誰かをずっと一途に想っていたことは知っています。それなのに、お金のために体を開かされているなんて……。そんなところから早く助け出してあげたいんです」
切実な思いに駆られている祈里の頬を、きらりと一筋の光が滑り落ちる。それをきっかけに、彼の体を深い悲しみが覆い始めた。
「僕たち、本当によく似てるんです。違うのは瞳の色くらいなんですよ。それでも父は見分けると思います。でも、その運転していた男なら騙せるんじゃないでしょうか。漱のふりをしてその男の近くを彷徨けば、僕について来るかもしれないでしょう? 父さんは一人じゃ何も出来ない人です。その人がいなくなれば、きっと何もしなくなると思います」
その思いの深さがどれほどのものなのかは、俺たちには分からない。ただ、深い思い遣りに満ちたものであることはなんとなくは分かる。それでも、祈里を危険に晒す訳にもいかない。それは、会社の理念に反する。
しかし、俺がそう言おうと口を開きかけたところに、肇が割って入った。猫可愛がりするほどに大切な祈里の願いであるにも関わらず、彼はそれに猛反対をする。
「いやだよ、やめて! なんて事言うんだよ。分かってるの? 死んじゃうかもしれないんだよ? その人、ガタイがいいって翠さんが言ってたでしょ。そんな人を誘き寄せるって、正気じゃないよ。人が死ぬような事件に関わってる人なんだよ? 祈里が死んだらどうするんだ! 俺は絶対嫌だからね!」
あまり声を荒げることの無い肇が絶叫している。でも、俺もそうしたくなる気持ちはよく分かる。漱が心配なのは分かるが、囮になるなんていう発想を持つなんて、怖いもの知らずもいいところだろう。それに、愚かだ。相手の力量が分からないうちに突っ込んで行って、いい結果がもたらされるはずは無い。
それに、崇が漱を利用していることは間違いないとしても、昨日倒れた人物がモジュレーションを受けた証拠はまだ掴めていない。それを確実なものにしてからで無いと、危ない橋は渡れない。まして、昨日今日入ったばかりの部下にそんなことはさせられる訳がなかった。
「悪いが、俺もそれは許可出来ない。お前はまだ戦闘を学んでない。本来なら現場にも連れて行かないような新人だ。でも、漱を助けるためにはお前しか知らないことが必要になるし、お前の気持ちも汲みたい。だからこそ、安全を最優先にするんだ。いいな?」
「でも……」
祈里はそれでも食い下がろうとする。気持ちは分からなくもない。酷い扱いを受けていた弟を救えなかった自分に、苦しいくらいの憤りを感じていることくらいは、容易に想像がつく。
その上、モジュレーションを受けた男が実際に存在することを知ってしまった。つまり、その男が漱に手を出していることは間違い無いのだ。
さらに、類似の事件はこの半年の間に十件起きている。それはつまり、その回数と同じだけ漱が辛い目にあっているという事になるだろう。
祈里は、家を追い出されてからもそれなりに幸せに暮らしていたと言っている。自分が家のためにと辛酸を舐めたはずが、残された愛する弟の方が辛い思いをしていたと知ったのなら、それを実の父がそうさせていたと知ったなら、誰でも落ち着いてはいられないだろう。
「もし囮を使うとするなら、俺が行く。もしくは翔平だ。不透明なことが多すぎると、現場での情報収集能力と突発的な判断が必要になる。この不透明さで相手方に乗り込むなら、それが出来るのは俺たちだけだ。会社としてはそれ以外認められない」
俺と翔平は、常にブレーキをかけて生きている。ほとんど全ての感覚を遮断しているが、それはほぼツールに頼らない。自分の精神力だけでその増減を調整し、サポートのためにそれを使うくらいだ。
だから、もし潜入がバレてしまっても、センチネルには致命的と思われている拷問にかけられたとしても、痛みの感覚すら自分で遮断することが出来るようになっていて、潜入を恐れずに済むようにしている。
その訓練を受けていない者には、たとえそれが簡単な潜入であろうとも任せるわけにはいかない。命を粗末にするだけだ。
「それにな、祈里。相手に近づく前に、やるべきことがあるだろう? まずはこちらから漱を探すために、情報を集めてそれを具現化するんだ。俺たちが知っている漱の見た目・声・匂いの中で、能力に関係無く共有出来るものを作る。その中で最も有効なのは、モンタージュと香りのサンプルだ。全く同じ香りを作り上げて、それを捜査に関わるセンチネルたちに持たせる。それに、あの香りはおそらくミュートでも少し鼻がよければ嗅ぎ分けられるだろう。声もお前のものを使ってモンタージュすればいい。それを参考にして探すんだ。まずはそこからだ」
祈里は俯いていた。俺の話を聞きながら、どんどん萎れるように項垂れていく。
「……はい。余計なことを言いました。申し訳ありません」
そんな彼の肩に手を置く。レベル差による苦痛はあるものの、ここから伝わることもある。ビリビリとした電流の中に、
——悪い事はしてない。気にするな。
そう伝えた。きちんと受け取れるのだろうかと心配していると、祈里の唇にグッと力がはいる。そして、手から酷いノイズまみれではあるものの、小さな声が伝わってきた。
——『ありがとうございます』
そして、ふわりと微笑んだ。
「よし、じゃあとりあえずモンタージュ作成から入ろう」
俺はスタッフ全体にそう声をかけた。
「はい」
強い意志のこもった返事が響き、事務所は更なる活気に包まれていく。
そして、皆が作業に取り掛かろうとしたその時、事務所の電話が鳴り始めた。その電話は警察署のセンチネル交渉課とうちを繋ぐ専用の回線だ。既に依頼を受けた事件でのみ使用される。
これが鳴るということは、行方不明者捜索協力の件か、不審死に関する続報だ。所内に緊張が走る。
「はい、VDS窓口の江里です」
江里さんが出た電話は、直ぐにスピーカーへと切り替えられた。俺と蒼は手を繋ぐ。スタッフへ情報が行き渡るように、二人で整理したデータをプロジェクターへ念写 する準備に入る。
「昨日亡くなった人物の身元が分かったんですね。はい、その件でしたら田崎に代わりますので、少々お待ちください」
昨日亡くなった人物であれば、不審死に関する情報だ。その話は江里さんではなく、田崎が受けた案件であるため、田崎が引き継ぐ。
「代わりました、田崎です。はい、亡くなられたのは羽野哲次 さん、五十五歳の男性、ミュートの方ですね。はい、はい……。捜索願いが出ていたんですか? それはいつ頃でしょうか。……半年前? ええ、つまりそれはうちが受けていた行方不明者捜索の対象者だったという事ですか? そうなんですね、承知しました。あの、その方なんですが……」
「捜索対象の行方不明者と不審死した人物が一致してる。そして、その人物はモジュレーションを受けてセンチネル化したのちにゾーンアウトした可能性が高い、ってことか……。まさか三つの事件が全部繋がるとはな」
「警察もまさかミュートがゾーンアウトで亡くなるとは思ってないよね。って事はさ、一度もその二つのリストを照合したことが無いんじゃないかな。警察はモジュレーションを知らないんだから、そうなってても無理はないよね?」
蒼はデータを選り分けるから、誰よりも早く情報の共通点に気がつく事が出来る。二つの依頼の中にある名前を見て、共通する人物が多いことに気がついたようだ。
「確かにそうだろうな。特に行方不明者はこの件だけじゃなくて、徘徊してる老人や家出なんかも含まれてるらしいから……。でも、不審死は今のところ十一件だ。やろうと思えば、直ぐだろう」
抽出されたデータの中から、江里さんが共通する名前を割り出していく。その中に、確かに羽野哲次さんの名前もあった。
「でも、この二つの事件は被害者が一致してますって話すためには、モジュレーションの話をしないといけないじゃないですか? それって、警察の方に信じて貰えますかね? モジュラーって数百年に一人現れるか現れないかの人なんでしょう? しかもその人自身はミュートのままなのに、抱けばセンチネルかミュートになれるなんて話、普通信じますか?」
相原が心配そうに眉根を寄せてそう呟く。確かに、ここから先は警察が俺たちを信用するかどうかにかかっているだろう。
しかし、そこはうちの会社に信頼がある。そして、うちには田崎がいる。交渉や説明に関しては、これほど頼りになる存在は無いだろう。
「まあ、その辺はあいつに任せてればいいよ」
咲人がなぜか得意げに相原の肩を叩き、そう言った。野本が隣で苦笑している。
「そちらのお話はわかりました。では、うちが得た新しい情報をお知らせしたいのですが……」
そして、田崎は以前あった薬物による偽センチネル化の話を持ち出し、今回も似たような事があった疑いがあると説明した。そうすれば、モジュラーの件は伏せたままでも調査は続けられる。そうして、羽野さんの身辺調査をうちで続ける許可を得た。
「じゃあ、明日田崎と相原で羽野さんの勤めていた会社と、ご家族への聞き取りをしてくれ。俺たちは、漱の捜索を続けよう」
「はい!」
少しずつだが、進んでいる。それをきちんと理解して、焦らないようにと自分に言い聞かせた。
「今日は解散だ。しっかり休めよ」
そう声をかけて、スタッフを帰らせた。
しかし、俺はこの時読み違えていた。野本崇の人間性と、それを捻じ曲げたものの正体を甘く見ていたのだ。
この日の帰り道、肇が拉致された。祈里は、そのショックで倒れてしまい、漱の捜索は難航することになってしまうのだった。
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