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第3章_愛と恨み_第16話_綻び
◇
「晴翔さん、祈里は……」
VDSのバース研究センターから俺たちの自宅へと連絡が入ったのは、深夜二時。帰宅途中の肇と祈里が何者かに襲われ、肇はそのまま拉致されてしまった。祈里は連れて行かれる肇を見てパニックを起こし、その場に卒倒したらしい。一般の病院を経て研究センターへと移送されてきた。祈里が誰であるかに気がついた晴翔さんが、うちへと連絡を入れてくれたのだ。
「うん、ついさっき眠ったところだよ。このまま落ち着いてれば大丈夫」
晴翔さんはそう言って微笑んだ。
祈里は移送されて来た時から一度も目を覚ましていないらしく、パニックを起こした際にゾーンアウトに近い症状があったという記載を見た晴翔さんが、センターに保管しておいた肇の血液を使って、簡易的な抑制剤を処方してくれたらしい。それからは静かに眠っているそうだ。
「入社が決まった時にサンプルをもらっておいて良かったよ。Rのタンパク質を見てみたかったからって無理に頼んだんだけど、まさかこんな形で役に立つとは思わなかったね……」
「本当ですね。でも、その研究熱心さが無かったら、祈里はどうなってたか分かりませんから、誇ってもらっていいと思いますよ。ありがとうございました」
蒼が晴翔さんにそう伝えると、彼は
「そう? じゃあ、誇っておきます」
と言ってまたふわりと笑った。
「レアタイプとはいえガイドだから、脳に異常を来たすほど悪化することは無いみたいなんだよね。だから、これはゾーンアウトというよりは、ただ単にショックを受けてるんだろうと思う。少し寝かせてあげようと思うんだ。また目を覚ましたら連絡するよ。……探すんでしょ? 肇くんのこと」
「はい。それと、連続不審死を止めなくてはなりません。そのことで、少しお話ししておきたいことがあるんです」
俺は晴翔さんにモジュラーという存在の話をしてみた。彼はセンチネルを救う研究に心血を注いでいる人だ。その研究のためなら、知識は貪欲に欲するようなタイプで、寝食を忘れて没頭することも多い。
今のセンチネルはほぼゾーンアウトすることは無く、その理由となっているクラヴィーアの研究をしていた第一人者でもある。その研究に付随して、能力を完全に消してしまうイプシロン、センチネルのようなものになることが出来るsEという薬にも詳しい。
そのため、モジュラーという存在がいても、驚きはしないだろうと踏んでの相談だ。すると、驚かないどころか既に知っているという答えが返ってきて、俺は驚いてしまった。
「え! モジュラーのことをご存知なんですか?」
「うん、知ってるよ。そもそも翠くんは、その文献とか論文記事を最初に読んだのは、うちの書庫だったんじゃないかな。野本は永心の親戚だろう? 永心は野本と最初の縁を結んだ時……華子お祖母様が永心に嫁いだ時に、家に関する情報は全て渡せと指示を出してる。当時の永心は横暴極まりなかったからさ、本当に全て持ち出してるんだよ。その代わり、絶対に口外しないと約束させられているんだ。僕は勝手に読んだから知ってるんだけど、翠くんもそうしたんだろうね、きっと」
「なるほど……。言われてみればそうかも知れません。照史おじさんが、俺も永心家には自由に出入り出来るようにしてくれてたので、結構勝手にあちこち入ってましたからね……。その後に何度か別の記事を読んだりはしてますが、あまり驚いた覚えがなくて……。そうか、俺には小さい頃から予備知識があったんですね」
「うん、そうだと思うよ。じゃあ、今の話に戻ろうか。そのモジュラーを利用した犯罪があって、その被害者が不審死してる人と同じというパターンが出て来始めてるんだね? その上亡くなる前に行方不明になって捜索願いを出されてる、と」
「はい」
「それは穏やかじゃないねえ。野本家が犯罪を主導してるってことだ。澪斗兄さんにも知らせないといけないな……。いや、先に知らせたらどうだろう?」
「え、どうしてですか?」
「……だって、そういう存在がいるのに世間に知られてないっていうことは、誰か大口の顧客を抱えているはずだよ。その人がセンチネルになりたがるというよりは、その商売を手助けしてキックバックを得ている人がいるんじゃないかな。そういう悪い大人は、政治の近くにいることが多いだろう? 澪斗兄さんなら、そのあたりを探るのに向いてるだろうからね」
晴翔さんは、そう言ってニヤリと笑った。
確かに、政治家の澪斗さんが周辺を探ってくれれば、そういう悪い遊びをする人がいるかも知れない。炙り出せるかもしれない。そうなると、野本崇が漱をどこに隠しているのかを知る人物に近づけるだろう。
「分かりました。今ちょっと事務所の方が手薄なんで、永心に行く事は出来ないんですが、電話で話してみます」
「うん。僕の方も何か掴んだらすぐ君たちに知らせるよ。それと、祈里くんのことは僕に任せてくれて大丈夫だからね。翠くん、判断を誤ったと思って自分を責めないように。君は優秀だけど、センチネルだ。センチネルは神経の支配能力が全ての鍵になる。その能力がフルに使えるように、無駄な自責の念は抱かないこと。いいね?」
晴翔さんはそう言うと、
「そろそろ分析結果が出るから」
と言って去っていった。蒼は俺の方を見ていた。そして、甘い笑顔を向ける。その顔から、精神感応 しなくとも、
『そうだよ』
と言っているのが分かった。それが嬉しくて、思わず俺も頬が緩む。
「じゃあ、帰って休もうか」
そう言って、祈里の寝顔に
「また明日な」
と言って病室を後にした。
そして急いで事務所の上にある自宅へと戻り、ソファに身を投げ出す。そこに収まると、どうしても後悔の念が次々と湧いて来た。
——もっと早く帰らせるべきだったな。
そんな思いが胸に張り付く。吸い込んだ息がその重たい壁に阻まれてしまい、肺の中で行き場を失うように感じた。吸い込んでも吸い込んでも楽になれない。苦しくて胸元を拳で握り潰すように掴んだ。
その手を、蒼の大きな手が包み込む。そして、キスで俺を支えてくれた。
「晴翔さんの言うとおりだからね」
その言葉と同じように優しい腕が俺の体を包み込む。肌なぞっていく手のひらのぬくもりに、思わず目が熱くなった。その手が滑るほどに、体の中に溜まった重たい澱のようなものが、パッと音を立てて少しずつ消えていくような気さえする。
「責めちゃダメだよ。俺にもそう言ってくれたでしょう? それは後ですればいいんだよ。それより、肇と漱を早く見つけてあげよう。俺たちが今考えるべきは、それだけだよ」
そう言って俺を抱えると、ゆっくりと寝室へ向かった。
その夜、俺たちはいつもより丁寧に抱き合った。龍の鱗が禿げてしまいそうなほどに深刻なダメージを受けていた俺の負の感情を、蒼と蒼龍が全て引き受けてくれる。その上、優しく抱きしめてくれた。
肌から沁み込む熱には安心を、繋がったところからは喜びを分けてもらい、ようやく眠れた頃には、暗い夜はもう抜けていて、いつの間にか外は白んでいた。
「……そう。だからさ、今日は事務所のメンバーに聞き取りに行ってもらうだけにしよう。能力者の方は皆休ませようと思うんだ。調整頼める?」
朝日が輝く中で、蒼が田崎と話している。俺はそれを聞いていながらも体に力が入らず、立ち上がれなくなっていた。
「分かった。おそらくどの事件も今日の聞き取り次第で出方が変わるだろうから、今休むのもいいかもな。じゃあ、スタッフ達にはそうするように伝えておく。お前もゆっくり休め。……どうせ寝てねーだろ? 必要なことがあったら、いつでも連絡してくれ」
田崎はそう言うと、部屋を出て行った。
◆
会社のあるホテルは、モダクシャーという。地方都市とはいえ、駅直結の利便性に加えてテナントも充実しており、平日でも利用客は多い。一階のロビーは常に賑やかだ。その中を、相原と共に縫うようにして歩いていく。
「田崎さん、羽野さんの同僚だった方にお話を伺えるそうです」
「了解」
俺たちは、亡くなった羽野さんの勤務先に聞き取りに向かうことになった。
モダクシャーのすぐ裏手にあった羽野さんの勤務先は、調理器具の卸売業者だ。中間流通業者として毎日必死に働いていた羽野さんは、定年間近ではあったものの、出世欲がなかったために平社員だったそうだ。
「確かに平社員のままでしたけど、決して仕事がいい加減だとかそういう事はありませんでした。でも、仕事はきちんとしてましたし、私たちは信頼してます。それに、羽野さんってすごい方だと思うのに、なんだか愛嬌があるんですよ。若い子が失礼なことを言ってもうまくいなしながら指導していましたし、飲みに誘われたら喜んで来てくださるし。本当に好かれていました」
羽野さんは、どうやら同期や部下からはとても好かれていたらしい。人と話すのが苦手なタイプの新人が入ってきても、羽野さんがうまく取りなしていたらしく、いつも職場は明るかったそうだ。
ただ、それを妬んだ上司とは折り合いが悪かったらしく、そのことでかなり悩んでいたという。
「課長や部長が嫉妬してたというか、羽野さんの人気が気に入らなかったみたいで……。時々嫌味を言われたりしていたみたいです。ひどい時は、電話のメモを破棄されてたり、結構陰湿だったみたいなんですよ」
そこまで嫌われたのは、何がきっかけだったかは分からないそうだ。ただ、ある日を境に羽野さんは出社しなくなってしまった。心配した部下がご家族に連絡を入れたところ、娘さんが捜索願を出してくれたらしい。
「でも、定年前の成人男性がいなくなったとして、どうして捜索願が必要だと思ったんでしょうか。一般的には、警察に届ける前に家族が探すんじゃないかなと思うんですが……」
「多分、パワハラの話を聞かされていたんだと思います」
お世話になったという女性が、そう言って顔を顰めた。
「なんていうか、すごく粘着質な言い方をされていたので、精神的にこたえたんじゃないでしょうか。私たちには言えないこともあったと思うんです。もしかしたら、そういうのもご家族になら言えてたんじゃないかなって……」
「それほど日常的に嫌がらせを受けていたんですね?」
その問いかけに、彼女だけでなく周囲の同僚たちも頷いた。
「あの、ちなみにそのパワハラをされていた……していた人は今どちらに?」
相原がそう尋ねると、その同僚たちが一斉に彼を取り囲んで喚き始めた。
「それがですね、フィッシング詐欺だかなんだかに引っかかったとかで、カードの利用停止手続きとか警察とかに行くからってお休みしてるんですよ。私たちには何があっても会社に来いって言うくせに、自分は電話一本で済ませるんですから……。本当に勝手なんです! 自分たちがそうやって嫌われるようなことをしてるのに、それを棚に上げて全部羽野さんが悪いって言ってるんですよ……。信じられないくらい勝手なんです!」
全くとは言わなくとも、似たようなことをそれぞれが口々に喚いている。その上司とやらはよほど嫌われていたのだろう。誰もその悪口を止めようとはしない。
「そうなんですね、分かりました。では、聞き取りは以上になります。また何かありましたら、よろしくお願いします」
相原がにこやかにそう告げると、彼女たちは自分たちの行いを顧みたようで急に大人しくなった。それぞれの感情コントロールの上手さに、俺は舌を巻く。我が社の連中にも真似させたいと思うくらいに、見事なものだった。
「では、失礼いたします」
そうして俺と相原が並んで頭を下げていると、バタバタと慌ただしく走り抜けていく社員がいた。
「……あれ? 山本くんって今日お休みじゃなかった?」
「日にち間違えて帰ってるところかな。よくやってるよね、彼」
女性にそんな噂をされている『山本くん』の背中を眺めつつ、俺は
——疲れてるんだろうな。頑張れ、山本くん。
と、勝手にエールを送っていた。
「……あれ?」
その隣で、相原が鼻を鳴らしている。何かの匂いが気になったようで、スンスンと音を立てながら周囲を嗅ぎ始めた。
「……どうかしたのか? さっきの山本くんか?」
俺が尋ねても、相原は何も答えない。低レベルとはいえ、こいつも立派なセンチネルだ。捜査に集中している時には、邪魔してはならない。俺は相原が落ち着くまで待つことにした。
「……漱?」
相原がそう呟いたその時、目の前の廊下をまた人が走り抜けた。
「泥棒! 誰かそいつを捕まえてくれ!」
そう言って『山本くん』を追いかけて行ったのは、先ほど聞き取りをした時に羽野さんを執拗にいじめていたという、部長の花村だった。
確かさっきの女性社員の方達は、彼はフィッシング詐欺にあったのでお休みだと言っていたはずだ。その上、今は泥棒にあったのだろうか。それほど頻繁に何かを盗まれることは、あまりあることではない。
——何か盗まれては困るものがあるのか?
なぜかそれがとても気になった。
「相原、行ってこい」
なんとなくだが山本くんに話を聞いた方がいいだろうと感じた俺は、とりあえず花村に恩を売ってみることにした。『山本くん』を捕まえて花村を納得させ、その後体良く追い払い、山本くんから羽野さんのことについて聞かせてもらおうと考えた。
「……山本くんを捕まえろ。警察には突き出さないから安心しろと言え」
「え?」
一瞬、相原は怪訝そうな顔をした。しかし、俺の顔を見ると察したらしく、元気に
「承知しました!」
と叫び、『山本くん』を捕らえに走った。
「捕まえましたー」
しばらくすると、廊下の角から声が響いてきた。この状況に似つかわしくない、間の抜けた声音が廊下に響く。そして、連れてこられた『山本くん』を目の前にして、俺は自分の勘に感謝した。
——モジュレーションの香りがする。
すぐにスマホを取り出すと、翠に電話をかけた。休ませたのは俺だが、今はそんなことに遠慮している場合じゃない。
「翠、蒼。二人とも、休んでるところを悪いな。すぐに事務所に行ってくれ。合わせたい人がいるんだ」
もしかしたら、行方不明になる理由が分かったかもしれない。そうなれば、早急に動かなければならないだろう。まだ何もはっきり分かってはいない。確たる証拠は無い。しかし、今一つはっきり分かったことがある。
俺の推測が当たっているならば、野本崇は相当なひとでなしだ。自分の目的を果たすためなら、なんでもするのだろう。それを踏まえた上で動かなければならない。
——無事でいろよ、高月。
連れて行かれた彼の身を案じる事しか出来ない。その事がとても歯痒かった。
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