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第3章_愛と恨み_第17話_あの男

 江里さんを呼び、花村部長の対応を彼女に任せたのち、俺と相原は山本くんを連れて事務所へと戻った。移動している間、彼はずっと俯いていた。彼がどんなことに足を突っ込んでしまったのかを端的に示すため、羽野さんが倒れた直後の写真を見せたのだ。それを見た直後から押し黙っている。 「戻りました。翠、蒼、会議室へ頼む」  二人と山本くんを伴い、会議室へ入る。相原に飲み物を頼んで来るように指示をした。 「はい、分かりました」  相原は頼まれたことを淡々とこなしていく。彼は、ブラックだったクリニック勤務を経ているからか、多少無理なことを頼まれてもこなしてしまうところがある。  断ることに慣れていないということをこちらが把握していなければ、倒れるまでイエスを言い続けるようなきらいがある。そのあたりは、俺たち管理側の人間が気をつけていかなければならないだろう。  ついさっきパワハラの果ての悲劇の話を聞いてしまったからだろうか、いつも以上にそういう気持ちが湧いているようだ。 「翠、羽野さんが勤務していた会社の部下の山本くんだ。俺たちが聞き取りを終えて帰ろうとしていた時に、部長の花村という人物の財布を盗んで逃げているところに出会した。まあ、細かいことは説明しなくてもお前には分かるだろう? 彼からモジュレーションの香りがすると思うんだが、どうだ?」  俺が尋ねると、翠は間髪を入れずに頷いた。そして、はっきりと言い切る。 「ああ、分かる。この匂いは間違いなくモジュレーションのものだ。羽野さんから香っていたものと同じ、クラリセージの匂いと動物的な何か……。成分の詳細が分からなくても、二人に纏わりつく香りが同じだということは分かる。既に知っているものならば、間違いようは無い。断定して大丈夫だ」 「やっぱりそうか。相原が一緒にいてくれて良かったな。俺は言われるまで分からなかったから……。やはりセンチネルはすごい」  一回のカフェにデリバリーを頼んだ相原がちょうど戻って来る。俺が向けている眼差しに驚きながら、空いている席へと座った。 「あの、何か……?」 「いや、相原の働きに田崎が感謝してるだけだよ」  蒼の言葉に、相原は目を丸くする。 「ええ? 田崎さんて感謝とかするんですか?」 「……何だお前、ケンカ売ってんのか?」 「あ、いえ、すみません……。俺あんまり褒められ慣れてなくて、どうしても疑っちゃうっていうか。素直に受け止められないんです」  慌てる相原に、蒼が笑いかける。 「それだけ酷い環境に身を置いてたってことだよね。君はちゃんと働けてるから、もう少し自信持ってもいいんだよ」  そう言うと、相原は目を潤ませた。 「あ、ありがとうございます……」  でも、俺にはそれが面白くない。どうして蒼には素直にお礼が言えるんだよと思うのは許してもらいたい。 「そうだぞ。俺だってちゃんと感謝する。ありがとうな、相原。お前が気が来てくれて良かった」  聞き取りに向かったのが俺だけだったら、山本くんの香りには気がつけなかっただろう。いくら努力しても、五感の精度ではセンチネルには及ばない。  そもそも、そこが秀でているからセンチネルと呼ばれるのだ。無いものを欲しがっても仕方がないだろう。足りないところは、補い合えばいいのだ。 「さて、山本くん。君さあ、銀髪の可愛らしい顔した男の子に抱かれた? そうすればセンチネルになれるよって誰かに言われたんじゃないのか?」  翠は山本くんへと話を振る。あまり時間をかけるわけにはいかないからか、珍しく相手との距離を測らずに話し始めた。それが悪手だったのか、山本くんは翠を警戒したらしい。ふいっと顔を背けてしまった。 「なんだよそれ。俺は知らないけど、そんなことが出来るのか?」  彼は、会社の先輩たちや俺に見せていたものとは違う、尖った視線で翠を睨みつけた。まるで拒絶とも言えるような激しい様子に、妙な違和感を感じる。何か含みがあるような気がするのだ。 「君、もしかして翠がセンチネルだから気に入らないのかい?」  そう訊ねると、今度は俺のことも睨みつける。ただ、その視線には、思うところがバレてしまって恥ずかしいと言いたげな様子が浮かんでいて、俺にはそれが可愛らしく見えた。思わずふっと息が溢れる。 「そうか、能力者が嫌いなんだな。まあ、分からなくも無いよ。俺たちミュートは、どうしても卑屈になってしまうよな」  すると山本くんは急にさっきまでの勢いを無くし、萎れてしまった。そんな単純なことで拗ねていると思われてしまったことが恥ずかしいらしい。靄となって現れるという感情のオーラが見えなくとも、その表情が饒舌に語っている。 「いやっ、あの、……そうなんですけれど、それだけじゃなくて……。実は課長も部長も低レベルなんですけど、センチネルなんですよ。だから、どうしても苦手意識が出ちゃって……。お前は悪くないのに、ごめんな」  そう言うと、翠に頭を下げた。その切り替えの速さには感心するが、今はそう悠長なこともしてられない。 「……まあいい、気にするな。それより、お前が漱に抱かれていてセンチネルになっているのなら、今から投薬治療を受けてもらう。そのために、それが可能な場所へ連れて行くからな。一応まだ意識がはっきりしてるみたいだから、意思確認をとらせてもらうぞ。しばらく点滴を受けてもらうから、これにサインしろ」  翠はそう言うと、投薬への同意書を持ち出した。山本くんはその書類データを目にすると、急に怯え始めた。署名するためのタブレットとペンを持ったまま震えている。 「俺、羽野さんみたいになるかも知れないのか……?」 「そうだ。このまま何もしなければ、だけどな。確かに羽野さんは残念だったな。倒れた時の様子は、凄惨なものだったよ。でもな、あの人が俺たちの目の前で倒れてくれたおかげで、お前は助かるんだ。怖いかも知れないけれど、今は俺たちを信じろ。その投薬を受けなければ、羽野さんと同じ目に遭うぞ。……ほら、もう息が上がって来た」  何のコントロール能力も無い状態で突然センチネルとなってしまえば、確実にゾーンアウトを起こすだろう。五感が拾う膨大な情報量を脳がコントロール出来るようにならなければ、正気は保っていられない。山本くんの脳も、そろそろ情報処理が追いつかず、オーバーヒートしそうな状態だろう。今まで経験したことが無いような頭痛がし始めているはずだ。 「目も鼻も耳も、情報を処理してる頭も痛むだろう? それを放っておくと、今自覚してない触覚も味覚も崩れ始めて、不快感に襲われる。そうなったら、一気に進むぞ。それを急激に癒すには、ガイドのケアか自分に合った処方薬が必要だ」  頭を抱え始めた山本くんの隣に、蒼が立つ。そして、彼の手を握った。 「そいつはガイドだ。それも、なかなかお目にかかれないような高レベルのガイドだぞ。お前が抱えている不快感を、そうして手を握るだけで癒せるような凄いやつだ。でも、モジュレーションを受けた人間がどうなるかは、データが無い。だから、これからどうなるかは今ははっきり分からない。だから、少しでもいい状態に持っていけるようにする。ここに併設してる研究センターで治療を受けろ。そこに行けば大丈夫だ。蒼がついて行ってくれから、移動も心配はいらない。……その代わり、君にそのうまい話をした男の話を聞かせてくれ」  蒼は山本くんの手を握り、バランスを崩して尖り始めた神経を凪がせていった。だんだんと顔色が良くなっていくにつれ、山本くんが蒼を見る目が輝き始める。今まさに命が救われたことを実感しているのだろう。彼には、蒼が神のように見えているに違いない。 「お前が俺を気に入らないのなら、蒼に話してくれ。どうだ? 治療、受けるか?」  翠がさっきよりも優しく問いかけると、山本くんの態度が一気に軟化した。こいつはこういうところがずるい。どこでどう言えば人の心が動くかを、確実に理解して突いてくる。 「……うん、受けたい。死にたくない。受けながら話せばいいのか?」 「ああ、それでいい。じゃあ蒼、頼んだぞ」  翠は満足げな笑みを浮かべると、蒼の肩をポンと叩いた。 「はいはい、了解です。じゃあ行ってくるね」  蒼が山本くんの背中を押しながら研究センターへと歩き始める。これで一安心だと思っていると、その背中越しに、 「山本くんさあ、翠のこと若造だと思ってるでしょ? あの人社長だからね」 「えっ? う、うそ。俺めっちゃくちゃ失礼な態度取っちゃったんですけど……」  という会話が聞こえてい来た。翠はそれを聴きながら肩を揺らしている。 「……お前ら、本当に性格悪いよな」  そう言いながら、俺も思わず吹き出してしまった。 ◆◇ 「で、山本くんは晴翔さんに預けてきたよ。今高カロリー輸液の点滴受けてて、ゆっくり元に戻ってるから心配いらないってさ」  研究センターから戻って来た蒼が、運ばれて来たコーヒーを並べながら山本くんの様子を教えてくれる。その表情は柔らかいものの、やや張り詰めたものも感じられた。 「それで、山本くんにセンチネル化の話をした人物なんだけど、出会ったのはバーなんだって。その日、自分のミスをなすりつけてきた花村の話をそこで愚痴ってたら、俺と一緒に仕返ししませんか?って誘われたって言ってた」 「仕返しねえ……。そういう言葉で近づけば、軽いイタズラ程度のことだと思うのかもな」  涼しい顔でブレンドを飲みながら、田崎はそう言った。ふうと吐き出した息からは、香ばしい香りが漂っている。言葉巧みに誘い込まれた山本くんのことを不憫に思っているのだろうか、眉間には深い皺が刻まれていた。 「そう、実際そのくらいのことだと思ってたみたいなんだよ。『パワハラ上司に仕返しをしたいとは言ったけれど、命をかけてまでやりたいわけじゃない』って言ってたから」  困ったように笑いながら、蒼は 「バカだよねえ。なんの覚悟もなしに仕返しなんてやっても、上手くいくわけがないのに」  と呟く。そう言いながらも、その言葉には優しさが滲んでいた。  確かに、会ったばかりの人とそんなことを画策してうまくいくくらいなら、もっと他にやりようはあっただろう。  しかし、連日嫌味を言われ罪をなすりつけられ続けていれば、そんなことも考えられなくなるくらいに疲弊してしまうのかも知れない。そう思うと、山本くんが不憫で仕方が無かった。 「仕返しって、つまりは財布を盗み出すってことか?」  と田崎が聞くと、蒼は頷く。 「その前に身分証の透視も済ませてるらしいよ。そして財布を盗んで引き出す。その金の二割のキックバックでいいって言われてたらしいんだ。でも、山本くんとしては、花村が少し痛い目を見てくれたらいいと思ってただけだし、自分の命をかけないといけないほどの危険なことなら、最初から話に乗ったりしなかったって言ってた。やっぱりそこは隠して騙してるみたいだね」 「そうか。分かった」  これで、事件の流れは見えてきた。  何らかの理由でセンチネルと金を必要としている野本が、漱を使ってセンチネルを生み出している。そして、センチネルになるための人材を、バーで引っ掛けて調達しているということだろう。 「金が欲しくてセンチネルを使ってるのか……。ついでに村の仕事に必要なセンチネルも調達出来ると思ってるってこと? そのためだけに息子にモジュレーションさせてるのか? 実の親が?」  と俺たちは頭を抱える。よそに子供を作り続けたり、ガイドの子ならいらないと言ったり……野本崇には呆れる要素しか存在しない。 「あ、そうだ。もう一つ大事なことがあるよ。山本くんに声をかけた人は、野本崇ではないらしいんだ。体格や人相が全く違うんだよ。おそらく、翠が野本の離れで見かけた運転手だろうと思う。かなり背が高くてがっしりしてたって言ってた。人相はね……」  蒼が聞き出した人相を田崎が書き起こす。そして、江里さんがそれを微調整してモンタージュを作成した。  この情報を元に野本崇の共犯を探していくと、すぐにある人物へと辿り着いた。それはやはり、俺が野本の離れで見かけた、あのガタイのいい運転手で間違い無かった。

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