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第3章_愛と恨み_第19話_燈

◆◇ 「ホテル前の監視カメラに映ってた車、所有者は野本崇で間違い無いんだよな?」  データを見ている江里さんに田崎が確認を取ると、彼女は 「はい、間違いありません」  と言って車両番号のリストを表示した。  そこには、間違いなく野本崇の名前がある。わざわざ肇を拉致しておきながら、自分たちの犯行だと教えているようなものなのだが、一体何を考えているのだろうか。その意図が読めない。 「先ほど社長に運転席の男の映像を解析したものを見ていただいたんですが、社長が野本家で見た人物と一致しているそうです。助手席は映像では私には視認出来ないのですが、社長が見た限りでは野本崇が座っているそうです」  江里さんの言葉に、田崎は一瞬言葉を失った。それは、野本家が犯罪に関わっているということが物的証拠によって確定した瞬間だったからだ。  これまでの可能性とは違い、誰にでも分かる証拠となるものが現れてしまった。それは、俺たちにとって決して喜ばしいことでは無かった。 「翠、間違い無いんだな? 分かってると思うけれど、お前の証言は何より高い証拠能力を持つんだ。間違いないんだな?」  田崎が苦虫を噛み潰したような顔をして俺に尋ねる。俺もそれに答えるのはあまりいい気持ちはしない。しかし、どう見ても運転手はあの時の男で、助手席にいるのは野本崇で間違いない。これを保留にすることは、到底出来そうもなかった。 「ああ、間違いない。この車と肇の匂いを追って行こう。既知の情報は、俺の体にデータとして残る。追いかけるには、肇の匂いだけでも十分だが、車の匂いがあるならもう確実だ。すぐに追跡出来るぞ」  その言葉を待っていたと言わんばかりに、鉄平と翔平(てっしょー)、野本と咲人が飛び出して来た。祈里はまだ研究センターで眠ったままだ。本当なら連れていってやった方がいいのだろうけれど、目覚めてすらいないようであれば、俺たちにはどうすることも出来ない。  全てが終わった時に、肇と祈里が幸せに過ごせる結果を見せてやりたいとは思うが、罪を犯した側がしたことは俺にはどうする事も出来ない。そう考えると、どれほどレベルが上ろうとも俺だって無力なのだ。 「なあ翠。なんであいつらは肇を狙ったんだろうな。映像を見る限り、迷いなくあいつを攫ってるだろう? 祈里の方には目もくれてない。あいつらにとって祈里を攫う必要性が無かったとしても、じゃあなんで肇は迷いなく攫う必要があったんだろうな。俺にはそれが分かんねえんだよな」  バタバタと準備を進めながら、咲人が俺に訊いてくる。野本への配慮なのか、あいつに聞こえないようにしているようだ。  所属している会社のスタッフを実父が誘拐したのだ、あいつだって心中は穏やかじゃないだろう。それでも、捜査には情報が必要になる。疑問に思ったことは潰していかなければならない。咲人はパートナーの気持ちを考えて、彼なりに最大限の気遣いを見せているようだ。センチネルの小声は、ガイドにはまるで聞こえない音量だからだ。  しかし、野本本人は周囲に胸の内を知られまいとしているため、その感情が見えない。踏み込まないで欲しいという気持ちだけを表に残し、それ以上の侵入を拒んでいた。そういう時は、俺たちも踏み込んではならない。 「さあな、なんでなのかはまだ俺にも分からない。羽野さんの身元が俺たちに知られたことで、相手が焦ったんだろう。牽制の意味もあるんじゃねえかな。でも、それより大きな理由があるとしたら……。肇はセンチネルだ。もしかしたら、野本崇がセンチネルを欲しがったのかもしれない。あいつはセンチネルに異常な執着があるだろう?」 「ああ、そうか。言い方は悪いけど、肇なら簡単に入りそうだって思ったってことか。あの日、うちが野本家を尋ねて来た事は知ってるだろうし、その中で一番レベルの低いセンチネルなら狙いやすいと思ったのかもな。英子叔母様が話したとしたら、そんなのすぐに分かるだろうし。欲しいものを探す手間が省けるなら、すぐに手を伸ばすだろうな」  戦闘用のスーツを着てロッカーを閉めながら、咲人は吐き出しそうな顔をする。犯罪者の心理は理解してしまいたいようで、分かってしまうのが気持ち悪くもある。その感情が、あからさまに表されていた。 「ああ、そうだろうな。俺があいつらの立場だったら、間違いなく肇を狙うだろう。まあ、あいつも全能力が解放されたらまだレベルは上がるだろうけど……」  お互いにショルダーホルスターを装着した状態で、田崎から銃を受け取る。出来れば銃は使いたくは無いが、相手がどういう状態なのかも分からない。情報不足のままに突入することになりそうなので、準備だけは万全を期しておかなければならない。 「ねえ、でもさ。その三つの事件が繋がってるって俺たちが気付いたってこと、なんでバレたんだろうね。もしかして、盗聴されてるのかな?」  蒼がジャケットを羽織りながら訊ねる。俺もそれは気になっていたので、ミュートのスタッフに盗聴の痕跡が無いかを調べてもらったが、建物内にそういった機器類は一つも見られなかった。 「そうだろうなと思ってる。ちなみに、警察側は盗聴の痕跡は無いらしい。不審人物の出入りも無いことがはっきりしてる。やられたのは、間違いなくうちだろう。それも、これは機器を使った盗聴じゃない。田崎に調べてもらったけれど、盗聴器の類は何も見つからなかったんだ。ということは、おそらくセンチネルの仕業だろうな。そうなると追跡が難しいんだよ。俺たちは盗聴するために機器類が必要無いから、アシがつきにくいんだ」 「あー、確かにそうだ。俺たちが聞けばいい話だ」  何度も納得して頷きながら、やはりそれを分かってしまうことを咲人は嫌がって見せる。その彼の背中を、蒼が慰めるように優しく叩いた。 「しかし、センチネルが盗聴をしてたとしても、ここのスタッフほど高いレベルの者はいないだろうから、最も怪しいのはここのすぐ下の階の宿泊客だろう。それはすぐ割り出せるはずだから、今江里さんに調べてもらってる」  田崎はそう言いながら、現場へ向かう各人それぞれに必要なツールを準備していく。通信機、フィルコ、指輪、そして指輪に隠す肇の衣服の切れ端だ。 「俺たちに出来ることはこちらでしっかりやっておく。だから、高月の追跡は頼むぞ」  そう言って、指輪の中に用意した切れ端を封入し、それを渡した。俺たちはそれを利き手とは反対側の人差し指に嵌める。これで準備は完了だ。 「はいはい。受け取ることしか能がないけれど、警察犬のように高精度の五感を使って嗅ぎ回ってくるよ。……俺の方が奴らよりも実力は上だけどな」  そう言って鼻を鳴らす俺を見て、 「確かにな」  と言って田崎は笑う。しかし、すぐにその笑顔を引っ込めると、一段と険しい表情を浮かべた。 「……翠。蒼、咲人、野本。目的の見えないうちは、相手の実力も読み違えやすい。十分気をつけろよ」  そうして、俺たちを送り出してくれた。  監視カメラに映っていた拉致現場に立ち、肇の匂いがそこで若干減弱していることを確認する。そこからは、レインボーパトライトをつけた社用車に乗り、野本家へと向かった。 「……やっぱりあいつら家に戻ってるんですね。カメラに映るような位置で拉致をして、自分の家へ戻るなんて……。何も目的がなくてそんなことをするとは思えませんよね」  翔平が外の匂いを確認しながらそう訊ねる。間違いなくこちらの方向であっていると思えるほど、肇の匂いははっきりと残されていた。それはまるで俺たちを誘き寄せようとしているようでもあり、他の意図が隠れているようにも思える。 「やっぱりここなんだな。翠さん、肇の匂いが濃いのってどこだかわかりますか? 俺、もう少し行かないと分からないんですけれど」  翔平が鼻を鳴らしながら俺に訊ねる。俺は視界を遮り、嗅覚をフルに使って匂いを追った。 「……母屋だな。離れはモジュレーションの残り香はあるけれど、随分前のものだ」 「了解です。江里さん、突入先は野本家の母屋になります」 『了解。社長、突入のタイミングは通信機でお願いします』  江里さんからの指示に、俺は奥歯を短く三回噛み締めた。彼女のPC画面には了解と表示されているだろう。  野本家の母屋の前に車を停めると、俺たちの突然の来訪に驚いた英子さんが、目を丸くして中から顔を覗かせていた。翔平が降りて事情を説明すると、彼女は一瞬落胆したような素振りを見せた。  それは本当に短い間だったのだが、俺は見逃さなかった。あの反応をしたということは、ここで何があっているのかを彼女は知っているのだろう。  知っていて通報しなかったということは、崇がしていること分かっていて隠蔽しているはずだ。彼女はとても誠実で優しい人のはずだ。それなのに、なぜ孫を助けようとはしないのだろうか。その事実に、妙な違和感を覚えた。 「翠さん、客間ですよね。肇の匂いと……多分、モジュレーションの香りが……。漱もいるって事でしょうか」  翔平が周囲を伺いながら言う。俺と咲人も客間以外の部分へ視線を巡らせた。母屋には、英子さん以外誰もいないらしい。 「ああ、客間だ。……部屋の中から敵意は感じられない。客間の前の廊下まで行っても大丈夫だろう。室内には、肇・漱らしき人物と、俺が見たあの大柄の運転手の三名。崇はいない。江里さん、口頭連絡はここまでだ。俺たちは準備に入る」 『了解。必要に応じての発砲許可は取りました。どなたが撃っても大丈夫です。ですが、極力使用しない方向でお願いいたします』  その指示に、また奥歯を三回噛む。それから俺は、客間を囲む廊下にワンペアずつ待機させた。  配置が終わると、奥歯を一度だけ噛む。それは、突入のカウントを事務所の人間に依頼する合図だ。話せない場合には、これがゴーサインとなる。 『了解。では、カウントに入ります。三、二、一……GO!』  江里さんのカウントに合わせて一斉に襖を蹴破り、突入した。和室の中央に置かれたベッドに、二人が横たわっているのが見える。三人とも生きている事は間違いない。取り敢えずそれが確認できたことで、俺たちは安堵した。  肇はスーツがところどころ千切れてはいたものの、ほぼ無傷で横たわっていた。その傍には、ガイディング中の祈里の衣装と似ている服を来た漱が倒れている。 「右目が青いので、漱くんで間違いないと思います。クラリセージの香りもします。とても濃いので、俺たちの鼻でも分かりますね」  鉄平はそう言って鼻を摘んだ。  俺たち三人は、戦闘に問題無いレベルまでではあるものの、今は全ての感覚を鈍麻させている。必要に応じて研ぎ澄ませればいいので、今はそれでも構わない。  そうしたことで漱にも近づくことが出来るようになったため、その顔を確認した。彼は弱ってはいるものの、怪我もなく、気を失っているだけのように見えた。  体の周りにまとわりついているエネルギーが、正のエネルギーと欲情の桃色が混ざったサーモンピンクであることが妙に引っかかる。それでも、生きて幸せな状態であるのなら取り敢えずはこれで安心だ。  微笑んで眠っているその顔を見ていると、祈里と間違えてしまいそうなほどによく似ていた。祈里の言う通りだ。親でもない限りは、見分けがつかないだろう。 「すごく疲れて気絶したみたいだね。こんな風になるほどモジュレーションさせてるのか……。自分の子供に? 俺には信じられないよ。酷すぎるだろう」  蒼の憤りに、一瞬室内が静まり返る。鉄平が漱を毛布に包んで抱き抱えると、しゃら、とピアスが心地よい音を立てた。その音に反応するように、肇が身じろぎをする。それで俺も我に返った。俺たちには、今早急にすべきことがある。   「蒼、肇の能力の確認をしてくれ」 「あ、そうだった。了解」  俺が指示をすると、蒼はうっかりしていたという風に反応して、慌てて肇の体に触れた。これで何も起きなかった場合、肇はモジュレーションを受けた事になる。ガイディングが出来た場合は、モジュレーションは受けていない事になる。  その結果次第では、帰社しても祈里に会わせる事が出来なくなるだろう。それに、相原に合わせる顔も無くなってしまう。  祈里が、自分のパートナーが弟と体を重ねたと知った上で、何事も無かったかのように生きていけるのだろうかと聞かれれば、無理なような気がしている。そうなると、祈里をケア出来る人がいなくなってしまうだろう。  出来れば何事も無いことを願う……そう思い、結果を待った。 「……大丈夫みたい。ちゃんとケアが出来てるよ」  その言葉に、全員が安堵した。  蒼が握った手から、肇に向かって正のエネルギーが流れ、肇から蒼に向かって負のエネルギーが流れ込む。蒼はそれを体内に溜め込みながら、肇の顔色が回復するまで待たねばならない。 「そうか。じゃあ、肇の回復を待つ間にお前と話す事にしよう。出てこいよ。……服は着なくていいのか?」  俺は部屋の隅に隠れてはいるものの、まるで気配を消しもしない男に向かって話しかけた。男は、何も身につけていない。その状態で俺に見つかったにも関わらず、まるでそれを気にする様子を見せないのだ。そのまま飄々とした様子で俺たちの前へと現れた。 「あー、センチネルやっぱすごいなあ。しっかり見えてるんですね。じゃあ隠れてもしょうがないから、堂々と話しましょうか」  そう言うと、俺たちの前にどっかりと座り込んだ。 「あの、さっきの問いかけなんですけれど。漱がここまで利用されてる理由は、気が狂ったおっさんを慰めるためですよ。そのためにセンチネルが必要なんだ。あ、こいつはセンチネルだけど俺の獲物だから、おっさんには触らせてないけどね」  と言う。男は、やはりあの日野本崇と一緒にいた、ガタイのいい運転手だった。  二メートル近くはあろうかという身長に、がっしりとした筋肉が鎧のようにその体を覆う。その美しく均整の取れた体の上には、計算され尽くした美術品のような美しい顔があった。  男はベッドの上に胡座をかくと、まるで客をもてなす主人であるかのように悠然と構えた。俺たちは、その余裕すら感じる態度に、ますます恐ろしさを募らせていく。ぞわりと肌が粟立っていた。 「おっさん、いつも違う人を抱きたがるんだよね。でも、センチネルなんてそんなにいないだろう? いつも俺が手配をしてたんだけど、探し出すのがだんだん難しくなってさ。どうしようもなくなったから素直にそう話したら、おっさんが『センチネルは生み出せるんだ。適当にミュートを連れて来てくれたら俺が作り上げるから』って言うんだよ。だから、金が欲しくて絶対に裏切らないようなやつを探して来て、二人で偽物をたくさん作ってったわけ。で、気がついたら、あの人はそれを商売に仕立て上げてんのよ。いやあ、すごいよね。俺もたくさん稼がせてもらったよ」  そう話す男に、蒼が嫌悪感をむき出しにしていく。まるで外敵を見つけて威嚇する狼のように、ギリギリと歯を慣らして男を睨みつけた。 「つまりは、お前らの金と欲のために漱くんを利用してたってことだろう? その仮初のセンチネル達が、力を持て余して死んでいっているのは分かってるのか? 分かっててその態度なのか?」  激しく吠える蒼に、男は一瞬黙り込んだ。そして、何かを諦めたような、泣き出しそうな顔で笑う。しばらく逡巡したのち、力のない声でポツポツと答え始めた。 「まあ、そう思うよね。でも、二人とも最初は金のためにやってたわけじゃねえんだよ。おっさんは、愛するセンチネルを死なせてしまって気が狂いそうなほどに後悔してた。それで、寂しさを埋めるために、代わりのセンチネルを求めてたわけ。俺はただこの男に復讐がしたかっただけだよ。どっちにも、どんな犠牲を払ってでもその願いを叶えたいっていう思いがあったんだ。それはあんたにとやかく言われる筋合いは無いよ。どれほど俺たちが苦しんだかなんて、あんたには分からないだろう?」  そう言って、睨みつけている蒼に同じように厳しい視線を投げかけた。そこには、並々ならぬ覚悟があるように見える。その言葉に、不透明な事実を確認しておかなければならないという思いが湧いた。 「なあ、おっさんっていうのは野本崇の事だよな。崇が死なせた愛するセンチネルっていうのは、誰のことだ?」  俺と同じ思いを抱いたのか、咲人が男に問う。 「なんだ、もしかしてその事を知らないのか?」  男はそう言うと、ゆっくりと腕をあげて人差し指をまっすぐに伸ばす。その指を、野本の顔の前でピタリと止めた。 「おっさんが失ったのは、(あかり)って呼ばれてた女だ。あんたの母親だよ、慎弥さん」  そう言って、ニヤリと嫌な笑みを浮かべる。その言葉に、野本がハッと息を呑んだ。

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