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第3章_愛と恨み_第20話_苦しみの果て

「それは、父は今でも母を必要としている、ということか?」  野本は何を言われているか分からないといった様子ではあるものの、口調はしっかりとしていた。突然聞かされた実の両親の話が、それまで聞いていたものとまるで違う。それなのに、あいつは悠然と構えている。俺はそれを見て彼の精神力に感嘆した。  父から不要だと言われて捨てられたと聞いていた母が、実は亡くなってもなお焦がれるほどに愛されていたのだと男は言う。それも、身代わりを立てたくなるほどに、だ。  もう少し動揺してもいいんじゃないだろうかと俺は思ってしまう。それでも、野本は動じない。感情の揺れは俺には誤魔化せないのだから、本当に冷静に話を聞こうとしているのだ。  そんな野本に対して、男は軽薄そうな様子で話を続ける。視線も動きもふわふわとしていて頼りない。しかし、それもまた何か思うところがあってあえてそうしているように見えた。何か深い悲しみを背負っているのだろう。体には、常にうっすらと濃いグレーのもやが張り付いている。 「えー? そうなんじゃないのか? だって、いつもセンチネルを連れて来てやると、『燈が戻って来た』って言いながら嬉しそうに抱きしめるぞ。ただ復讐のためにセンチネルになりたかっただけの他人、しかも男なのにな。相手は男に抱かれるのを嫌がってるわけだし、愛し合っている幻想も抱きにくいだろうにね」  そう言うと、呆れたように両手を開いて笑った。 「でも、愛していたならなぜ池内に帰らせたんだ。戻ってしまえば二度と会えなくなることは分かってたんだろう?」  咲人が二人の話に割って入り、そう尋ねる。  永心家の人間である咲人にとって、池内の鉄の掟は身に染みていることだろう。崇が本当に燈を愛していたのなら、永心の敷地に彼女を戻してはならなかったはずだ。  池内の人間は皆戸籍を持たない。そして、隠密行動が原則だ。それなのに、ターゲットと恋仲になってしまった上に、彼女は妊娠までしている。  それが池内内部にバレてしまえば、下手をすれば戻ってすぐに命を奪われる可能性だってある。その事が分かっていたのなら、野本で匿うべきだったのではないだろうか。誰でもそう考えるはずだろう。  しかし、男は咲人の疑問を一蹴する言葉を返す。それは、ここにいる者は誰も知らなかった事実だった。 「いや、何言ってるんだ。燈は池内には戻ってねえよ。つか、無理だろ? だってそいつはここで殺されてんだからな」 「えっ……?」  男の言葉に、場がしんと静まり返った。それは誰も想定していなかった答えだった。  野本家に潜入していた池内のセンチネルが、ミッション中にターゲットと恋仲になったというだけでも信じられないのに、ターゲットに命を奪われたなんてことがあれば、永心が黙っていないはずだ。 「それはどういうことだ?」  咲人が男を睨みつける。男はそれを見て、目を丸くした。 「ええ? いや、なんでお前らはそんなに何も知らないんだよ。俺はそれにビビってるんだけど……。あんたの母親は、池内のスパイだってことがバレて、ここのじいさんに殺されたんだよ。野本は一時期、一族にセンチネルが生まれ無いからと言って、誘拐して来てた時期があるんだ。それを調べに来てたんだろう? その頃にはもうそんなことはしてなかったはずだから、後ろ暗い事なんか何も無かったはずなのに、永心が燈を送り込んで来たことが気に入らなかったらしい。その時に見せしめで殺されてんだよ。だから、燈はこの家を出てない。死体だって、あの山の中に埋められてんだぞ」 「……じゃあ、どうして池内の記録では帰って来たことになってるんだ?」  力なくそう尋ねる咲人の顔は怯えていた。  池内と永心は、長く信頼だけで成り立っている。池内の人権を奪うような生活は、その分彼らの生活を保証するものでもあった。生きている間に住む場所を失くすことはなく、もちろん食べることにも困らない。亡くなってからも代々その菩提を弔うことを約束されている。  身の危険が迫る仕事が多いため、永心の痛手よりも明らかに池内が被るものの方が重いのだが、池内の者たちも行き場をなくした能力者であることが多いため、ずっとこの関係を保っていた。  この男の発言は、それを根底から覆すことになる。それほどに重い言葉なのだ。  野本はそんな咲人の様子を心配そうに見ている。その肩をそっと支えると、優しく抱き寄せた。   「あの、もしかしたら執事長が揉み消したのかも知れませんね。あの人は全部ご存知でしょうから。それででしょうか、俺を親身になって育ててくれていたのは。後ろめたい気持ちがあったから、優しくしてくれていたのでしょうか」  野本はそう呟くと、寂しそうに目を伏せた。  彼にとって執事長は実父よりも大切な存在だった。信頼を寄せていた人物が自分の出生について隠し事をしていたとしたら、それはきっと悲しい。さすがの野本も、これはこたえたようだ。俺たちも、その様子を見て思わず胸が痛んだ。  しかし、そのしんみりした空気を蒼が遠慮なく引き裂いた。ふっと軽蔑したような笑いを漏らすと、男をまっすぐに睨みつける。その目は、激しい怒りに燃えていた。 「……だからなんだ」 「えっ?」  咲人が、蒼の声の冷たさに驚く。俺は予想通りだったが、他のみんなにはそうでは無かったのだろう。翔平に至っては、ひどく怯えていた。  蒼はこの事件の中で、最初からずっと受け入れられないと思っている事がある。それは、祈里と漱、そして相原の三人の存在が、ずっと蔑ろにされているという事だ。  野本の事もきっと気の毒だとは思っているだろう。ただ、それは今となってはもうどうにも出来ないことばかりなのだ。でも、漱を助けるなら今この時であるのは間違いないし、祈里もその後に助けてあげる事が出来るだろう。だから、まずはそれを優先させたい。その思いが強くあるのだ。 「その燈さんがここで殺されたとして、崇がそれで悲しんでいたとして、それが何だって言うんだ。そんなことで、身代わりのセンチネルを得ていた事が許されるとでも思ってるのか? それはつまり、親が自分の苦しみから逃れるために、子供に苦痛を強いてたってことだ。漱ぐが行方不明になったのは、一年以上前なんだろう? それなら、その間ずっとこういうことをさせられてたんじゃないのか? それを親もかわいそうだったんだから許せって言うのか? そんな事できるわけ無いだろう!」  怒りを露わにする蒼を見て、今度は男が歯軋りをする。蒼が相手を見極めずにここまで食ってかかることは珍しい。それほどに崇と男の言い分が許せないのだろう。俺にもその気持ちは分かる。だから、簡単に止める事は出来ない。  蒼の言っていることは正しい。この感覚を曲げてはいけない。それでも、それが正しいと分かっていてもそうすることを選べなかった人もいる。  もしそこに葛藤があったのであれば、この言い方では相手は心を閉ざしてしまうだろう。そして、反発を招くはずだ。その時に逆上する可能性がある。それが危険なのだ。  男はその予想通り、蒼に対して大きな反発心を抱いてしまった。それは俺たちにも派生する。射るような目で俺たちを睨みつけると、家が崩れそうなほどの大声で咆哮を上げた。 「うるっせえんだよ! だから、その苦しみがどの程度のものかなんて、お前にはわかんねえつってんだよ! 何も分からないくせに、なんでそこまで平気で人を責めることが出来るんだ! お前なら耐えられるのか? どうしようもないことが続いて、気が滅入りそうになってもなんとか踏みとどまって頑張って、それでもまだ問題が追いかけてくる……。それをまだ耐えろって言うのかよ! 俺やおっさんと同じように大事な人を奪われても、そうやって綺麗事を言ってられんのか? 生きて行きたくないと思うほどに苦しいことがあったとしても、お前はまだ涼しい顔をしてられるのかよ! いつまでも耐えるのが、本当に正しいって言うのかよ!」  男は叫びながら肇を蹴り飛ばした。細身ではあっても背の高い肇の体を、片足で軽々と蹴飛ばす。激しく身を打ちつけながらもまだ目を覚さない肇を、今度は上から踏みつけようとした。 「肇っ」 ——まずい!  男は躊躇いなく足を振り下ろそうとしている。あの筋力と勢いで腹を踏まれてしまえば、防御しなければ内臓が損傷する可能性がある。  しかし、俺の反応は一瞬遅れてしまった。蒼は男を睨みつけたままで、少しも動こうとしていない。男の体を弾き飛ばすには、俺の力では足りない。 ——どうする!?  そう考えていると、部屋を真っ白に埋め尽くすような閃光が走った。 「ぎゃーっ!」 「うわーっ!」  部屋中から響き渡る悲鳴の中、ドスンと重たいものが落下する音が響いた。ゾーンアウト寸前まで追い込まれそうな視覚刺激の中、俺たち三人はなんとかその場に立てるほどの気力を振り絞る。 「う、……ぐっ。おえっ」  目を凝らして見てみると、倒れていたのは男の方だった。ミュートの男には、ガイドでサイコキネシスを使える者など見た事が無かったのだろう。  まさかこの優男が、激情してものを吹っ飛ばすような激しさを持ち合わせているとも、思いもしなかっただろう。完全に油断していたのが分かる。まともに衝撃を受けてしまったようで、部屋の隅に倒れて嘔吐していた。 「……お前っ、少しは加減しろよ!」  予想はしていた。手を出すよりも確実に仕留められるから、何かするだろうとは思っていた。それにしたって、一部屋を吹き飛ばすほどの爆発を起こすのなら、前もって知らせておいて欲しかった。  センチネルはサンさーの調節をしなければならない。突然の衝撃に耐えるために精神力が酷使され、少しも動けなくなってしまった。 「……ごめん、どうしても許せなかった」  蒼はまるで悪戯をして怒られた子供のように、そうポツリと呟く。しかし、それをすぐに切り替えると、地を這うような低い声で男へ言い放った。 「俺は耐える。そして、耐えられ無くなったら死ぬ。悪いが、俺は人を殺してまで生きていたくない。そこにどんな正義があろうと、命の大切さを説かれようと、人を殺していいという理由にはならない。それも、お前たちは十一人の命を奪ってるんだ。愛する人を失ったからといって、人の命を奪う可能性のあることをそう何度も繰り返すことに、正当化出来る理由など絶対にない。それを願う権利もない」  蒼の言葉に、男は目を手で押さえながら、なおも立ち上がろうとする。眩暈がするのだろうか、時折ふらつきながらもなんとか膝立ちになると、まだ自分たちは悪くないという言い訳を続けようとした。 「お前たち能力者は、今が優遇されてるからそんなことが言えるんだよ。本当にそうなってみろ。俺はおっさんに同情した。だから自分では努力せずに文句ばっかり言ってるようなカスみたいな人間を連れてきて、おっさんの希望を叶えてやったんだ。お前はあの人に何をしてやれるっていうんだよ。説教して終わりか? それなら、あの婆さんと同じだ。そして、結局誰も救えなくて後悔するんだよ。気が狂ってしまうほどにな!」  蒼は男の顔を見た。じっとその顔を見つめ、深いため息をこぼす。そして、何度か被りを振った。先程までよりは少し落ち着いたらしい。すうっと怒気を収めると、男の方へと歩み寄った。 「お前、名前は?」  突然名前を聞いたかと思うと、慈愛に満ちた目で男を見た。俺たちも男も驚いたが、蒼は男の腕を掴むと、体を支えて立ち上がらせる。 「……て、寺井仁だ」 「そうか。なあ、寺井。ちゃんと考えろ。お前たちが理不尽に苦しんでいた時、相手の事をどう思って見ていた? みんなクソだっただろう? 死ねばいいとすら思ってたんじゃないか? でも、それはそいつらのことだ。他の人間にそれをすり替えるんじゃねえ。それは、しちゃいけないことだ。それとな……」  そうして、突然寺井の頬を張った。肉を打つ乾いた音があたりに響き渡る。勢いで倒れ込んだ寺井は、再び蒼を睨みつけた。 「俺は果貫蒼。お前たちのような、能力者を一括りにして羨み、勝手に嫌うミュートが大嫌いだ。覚えておけ。そして、刑が執行されるその日まで、俺を恨んで生きろ」  そう言うと、頬に一筋の涙を光らせた。

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