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8月31日 PM11:14 ―7

「…うそ?」  颯也(そうや)がつぶやく。 「いや、だって、その前に優海(ゆう)、俺に内緒で進路決めてたでしょ?俺、てっきり同じ公立に行くのかと思ってたのに。しかも編入学ギリギリのタイミングでぶっこんでくるとか、普通、あり得ないだろ…」 …初めて聞くトーンの声だ。どうやら、動揺しているのらしい。  とりあえずここは、颯也からの告白を黙って受け付けることにした。颯也は続ける。 「おまけにLINEで一斉送信って。『立派な大人になれ』って、それって俺からのありったけの皮肉だよ。…だって俺、あんとき優海に対してガチで頭きてたし。」  皮肉…?あのときの、俺のことは何でもなかったとでも言いたげなお前からの激励メッセージは、ただの皮肉だったっていうのか? 「…優海が黙って消えようとしてたこと、俺は悔しくてたまんなかった。夢中だったのは俺だけだったのかよって。俺とのことはなんだったのって、そりゃふられたって思うし。」  堰を切ったように紡がれる、天才とは思えない幼稚な言葉の羅列。  きれいな顔をしかめて、眉間に皺をよせ、薄い唇を軽く尖らせて俺を見つめている颯也。  颯也の顔とその言葉の内容に、俺は今、見とれている。 「なんでだまってたの?俺のことなんか、どうでもよかったんだろ?優海は。」  初めてかもしれない。颯也はたいがい笑っている。泣いた颯也も見たことある。でも、完全に怒った颯也というのを、俺は見たことがない。  それだけ、余裕を失くしているのだ。  颯也は俺を見下ろし、俺に向かって強気な視線を投げつけている。 「…そういうわけで、俺は自分に誓ったの。来年の誕生日までに、優海を()としてやるって。誕生日のこの夜、俺のことしか考えられなくしてやるって。」 (――…!) 「だから、優海が俺を無視できなくなるくらい目いっぱいがんばってやった。特待制度に飛びついたし、クラスだって追い抜いてやったし、それに単位不足で留年しかけたのにも必至で抵抗したんだからな。だって、明日から優海のこと先輩って呼ばなきゃなんてカッコ悪すぎるし。」  それからようやく、口元を緩ませてにやりと笑った。 「…どうだ、優海。言えよ。『俺の負けだ』って。俺が本気だせば、優海を泣くくらい惚れこますことなんか、ワケないんだぞ。」 ……颯也… 「……。 …なんか言えよ。」  俺が黙ったままなので、颯也はまた少しむくれた。 「…ありえんほど馬鹿だな…お前って…」 「はあ!?」 …感情が、ほとばしっていく。  ますます不機嫌になった颯也とは対照的に、俺の全身は、喜びで高まり始めていた。 「…ずいぶん無駄なことに、才能を使っちまって…」 「…なにそれ。」  そんなことしなくても俺はお前に夢中だった。  どれだけ俺が必死だったのか。こいつは全く気付いていなかったのだ。 「…颯也…、俺は、去年も、一昨年(おととし)も、今この時だってずっと…、お前のことしか考えてない。」  颯也はきょとん、としている。 …だから。 「…お前の努力は、最初から見当はずれだったんだ。」  なんだんだこいつの思考回路は…  IQ170の脳みそが考えついたとはとうてい思えない。  こいつって…やっぱりいまだにガキなんだ…ガキのくせに行動力と知能レベルだけはすごいもんだから、とんでもない突っ走り方をしてしまった。  努力知らずの天才が初めて挑んだ挑戦は、俺を振り向かせるための無駄あがき。  そして凡人の俺は、そんなお前を引き留めようと必死だった。  颯也の壮大で間抜けな計画に気づかないまま、一年間も踊らされつづけていた。 …俺たちって、全人類の中で一番アホなのかもしれないな。  颯也の顔が赤くなり始めたのがわかった。  それを指摘してやろうとして、次の瞬間、颯也の顔は一気にプールの中に沈んだ。  あどけなさを残したままの、はにかんだ、でも嬉しそうな笑顔の残像を残して。  もう一度確認しようと息をためてからプールの水に顔を浸すと、月の光が漂う水の中に、颯也の、そのきれいな全身が浮かんでいる。  涙が水に溶け、火照っていた目じりが冷やされる。  少しボヤけた視界のなかで、颯也は、変わらずに笑っていた。  長い腕が伸びてきて、水の中を、颯也に向かって引き寄せられる。  唇が重なったので、目を閉じて颯也を抱きしめる。 …あたたかい。  体の底から白い光の粒みたいなものが湧き上がってきて、それが徐々にひろがっていく感じがする。 …颯也と俺は、今、ひとつだ。  これが、俺の欲しかった、本当の祝福であり、愛の証明。  俺は今、心からそう思えている――  水面から顔を出すと、何かが首に巻き付いてきたので思わず笑顔が止んだ。 「?」  下を見ると、いつの間にか細長い紐が首から垂れ下がっている。  先にシルバーの小さなアクセサリーがついているので、颯也がしていた真新しいレザーのネックレスだとすぐに気づいた。 「…誕生日プレゼント。」 「え?」  同じく水面に顔を上げた颯也を見る。笑ってる。 「今日は、それ買いに街まで下りてきた。見て。」  颯也は水面から左手を上げて、その手を裏返した。人差指にはめられていた指輪が薬指に付け替えられている。青いターコイズの石がはまった真新しいリング。  それから右手で、俺にかけられたネックレスを引き上げる。  颯也はさらに指先でレザーに通されたシルバーのアクセサリーをつまみあげてみせた。 …いや、よく見ると、…指輪だ。  颯也のと同じ形の、羽のような形をしたシルバーリング。ターコイズの色は颯也のに比べて少しグリーンが強い。 「…優海が俺のものになったっていう、(あかし)。」  颯也を見上げると、颯也はまた顔を赤らめ始めた。 「ここまでが俺の計画。優海を怒らせる予定だったから、その穴埋めのために用意しといたの。…だけど、」  照れ臭そうに笑う。 「これもなんか、見当はずれな努力の一環だったわけだよな。」  颯也は空を仰ぎ見た。 「ああーーっ!」  そして突然大声をあげると、水の上にひっくり返った。  そのまま両手を広げて体を浮かし、仰向けのまま少し向こうへ進む。 「やっぱ優海には勝てなかったー!」  颯也は真上にある月に向かって、吠えるように叫んだ。  颯也の言葉と、祝福と、リング。  俺が欲しかった、これ以上ないほどの“証明”。  胸が高鳴るのを抑えられずに俺も一緒に叫びたくなったが、俺は颯也ほど天然でも馬鹿でもない。 …少なくとも颯也のなかにいる俺は、きっと、そう。  颯也のなかにいる『俺』。  俺の中にいる『颯也』。  そのふたつがやっと巡りあって、溶け合えた。  白い月を分かつように仰向けで進んでいた颯也が息を溜めて水面に潜り込むと、ゆらゆらと揺れる水面にやがて静かな月が戻ってくる。  潜水で戻ってきた颯也に足を捕まれ、誘われるままにプールに潜り、俺たちはまた、ひとつになった。  ~おわり~

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