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第二話「午前・旅立って」

08:38  自動販売機で飲み物だけを購入し、新幹線こだまの自由席に二人並んで座る。  マコトはさり気なく、僕を窓側にしてくれた。  このまま1時間40分したら、東京へ到着だ。新幹線は音もなく走り出した。  僕は少しの間、流れる車窓を眺めていたけれど、ふと思い出す。 「そうだ。マコトくん、切符代を」  慌てて財布を取り出すべく、通学鞄に手を突っ込んだ。 「ねぇ、先輩」  急に僕のほうへ身を寄せてきたマコトと肩が触れ合い、その密着した距離感に頬が熱くなる。 「「くん」は無しで、マコトって呼んでよ」 「へ?」 「俺も先輩のこと、カナタって呼びたいし。ね、いいでしょ?カナタ」 「わ、わかった」 「じゃ、呼んでみて」 「マコト……」  自分の顔が赤くなっているのは、見なくたって分かる。  マコトはそんな僕を見て満足げに頷いた。 「切符代は、帰りの分をカナタが出してよ。……帰ってくるなら、だけどね」  いたずらっ子のような台詞を最後に付け足され、僕はどう返事をしたらいいのか分からず、ペットボトルのアイスティーを一口飲む。  少し冷静になれば「何言ってんだよ」と笑って一言返せばよかったと気づくのに、マコトに翻弄されっぱなしだ。 「カナタ、それよりさ、欠席届を出さないとだよ」 「そうだった」  僕らはスマホで学校のサイトへアクセスし、生徒ページからそれぞれ欠席する旨の届けを出す。 「でもさ、今日の球技大会、僕は図書室で過ごすつもりだったけど、マコトは色々な競技に出る予定だったんでしょ?クラスの人たち、困ってるんじゃない?」 「いいの、いいの。今の俺には逃避のほうが大事だから」 「そう?」 「うん。あっ、あとカナタはバイトも休まないと」 「そうだね。こっちは少し罪悪感があるな。マコトは?」 「俺は今日は元々、休みにしてあるんだ」 「水曜日なのに珍しいね」 「まあね」  バイトまでに帰って来ようとは、言ってくれなかった。僕だって、新幹線が東京へ向かって走り出している以上、今日という日をギリギリまで楽しみたかった。 「店長に風邪ひいたってメッセージ送っておくよ」  こうして自分でもびっくりするほど簡単に、僕らは今日一日、自由の身となった。  毎日何も変わらないと思っていた日常を、いとも簡単に乗り越え、非日常へ踏み出したのだ。 「カナタ、東京に着いたら何したい?」 「うーん。そうだなぁ」  急に言われて思いつくものでもない。 「食べたいものとか、ないの?」 「あっ。……パフェ」 「パフェ?」 「うん、季節のフルーツがたくさんのったやつ。でもなぁ……」  新幹線はトンネルの中を通過中で、窓ガラスには僕の姿が映っていた。  伸びすぎた髪がモシャモシャとしていて、せっかくマコトとパフェを食べるなら、お洒落して来たかったと思ってしまう。 「でもなに?」  トンネルを抜けたけれど、またすぐ次の暗闇に入る。再びガラスに映った自分の姿を見て、なんとか髪型を整えようと手櫛で悪あがきをした。  きっとマコトは察してくれたのだろう。彼は意外と僕のことをよく見てくれているから。 「ねぇ、美容院に行ってみるのはどう?お洒落で、近所のおばさんとバッティングしないような都会の美容院。カナタも、付き合ってよ」 「いいね、それ」  僕はガラス窓から目を離し、マコトのほうを見て、コクリと頷く。何より彼の気遣いがうれしかった。さり気ない髪型がすでに似合っているマコトは、美容院にこだわる必要なんてないだろうに。 「よし。予約できるとこ探すね。あとの予定は俺にお任せでいい?パフェの店はリクエストがあるの?」 「特にない。でも、できたらメロンのパフェがいい」 「了解!」 「マコトが本当に行きたいところも、ちゃんとプランに入れてよ」 「じゃ、昼ご飯は完全に俺の好みで決める!」  それきりマコトは、スマホに向き合ってずっと何かを調べていた。    新横浜駅を過ぎたあたりで、窓の外には晴れ間が見え始めた。  この感じだと、東京はいい天気かもしれない。  それをマコトに伝えようとしたけれど、彼は予約を確認したり、画面をスクショしたり、真剣な顔で今日という日を準備してくれている真っ最中だった。  僕も一つだけ検索をする。 『駆け落ちとは』  そこに表示された文字を目で追う。 『主に恋人同士が、周囲に黙って一緒にどこかへ逃げること』  恋人同士……。いや、それは置いておいたとして、どうやら僕らは、何かから逃げているらしい。   10:18  品川駅を過ぎたあたりから、景色は「東京」らしくなり、気持ちが弾む。 『まもなく終点、東京です』  東京駅はもうすぐそこで、新幹線はゆっくりとホームに入っていく。  もしかするとマコトは、この街に対して緊張しているのかもしれない。 「降りるよ、カナタ」  自分に言い聞かせるように、彼はそう呟いた。  駅のホームは想像通り、降りる人と乗る人でごった返している。大きなスーツケースを持った、インバウンドの外国人もたくさんいた。  マコトはキョロキョロと辺りを見渡し、慎重に案内板を確認しながら、進んでいく。そして時々、僕がちゃんとついてきているか確認するように、振り返った。  今度は在来線へ乗り換えるのだろう。 「カナタ、次は山手線に乗るよ」  マコトは手元のスマホと、壁に書かれた表示を見比べては、必死にエスコートしてくれようとしている。 「うん。分かった。すごく楽しみだね、マコト」  彼の肩にポンと手を置き、そう声を掛けたら、強張っていたマコトの顔が少し和らいだ。 「だね。楽しもう、カタナ!」 10:33  どうやら山手線で「原宿駅」に向かうらしい。  電車は思ったほど混んでいなかったけれど、二人で扉付近に立って外を眺める。 「あそこに見えるあれ、何の建物だろうね。変わった形だな」  僕が軽い気持ちでそう言うと、マコトはスマホで調べてくれようとする。  けれど僕は首を振った。 「いいよ、マコト。一緒に外を見よう」  彼の表情がまた少し柔らかくなる。 「ありがとね」  早くも大好きな彼に、礼を言いたくなった。 「え?なに」  ちょうど途中駅に到着し、ガヤガヤと人が乗り込んできて、僕の声はかき消される。 「ううん。またあとで」  そこからは電車が混み始め、僕らは黙って晴れ渡る東京の街を眺めた。 11:01  原宿駅に到着すると、マコトが僕に寄り添うようにして、スマホの地図を見せてくれた。 「この広い道を真っ直ぐ歩いていって、美容院までは10分くらいのはずなんだ」  原宿駅はマコトのイメージと違っていたようだ。後方には森のような明治神宮が広がっていて、代々木公園だって近い。マコトが「広い道」と言った表参道もケヤキ並木で、周囲は緑が豊かなのだ。 「11時半の予約だから、ブラブラと周りを見ながら歩こ」  平日のこんな時間に制服姿で街を歩くのは、少し抵抗があったが、修学旅行と思われる制服の人がちらほらと目に入る。  これなら僕らも修学旅行生に擬態できるだろう。  それに今は僕らが住んでいる街と違って、東京の人は他人に興味が薄い。  ここだったら、僕とマコトが手を繋いで歩くことだって、できなくはない……。  いや、やっぱり無理か。  僕は自分の浮かれっぷりに気がついて、一人苦笑した。  隣にいるマコトは、都会を散歩する飼い主と洗練された犬を、めずらしそうに眺めている。特に大型犬が好きらしいということが、その目線で分かった。  11:30 「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」  幾重もの声が重なり、透明なガラスの扉を開けた僕らを、都会的でお洒落な美容師さん達が出迎えてくれる。 「すぐにご案内いたしますので」  観葉植物がふんだんに置かれた待合室のような場所へ連れていかれ、フカフカのソファへ座らされた。  鞄を預けてしまったから、余計に手持ち無沙汰だ。  慣れない雰囲気の空間に、僕は少し緊張する。 「マコト、なんだかドキドキするね」  横に座ったマコトを見れば、彼はこの空気感に飲み込まれそうになっている。  それでも、「大丈夫だよ、先輩」と僕を気遣って声をかけてくれた。  先輩呼びに戻っているのが、可愛い。そう思ったら、僕自身はリラックスできた。  マコトは膝の上で両手を組んでいたが、その指が白くなるほど、力が入ってしまっている。  だから僕は、そこにそっと自分の手を重ねた。  マコトは驚いたように僕を見る。  笑顔を作ってコクリと頷けば、マコトも笑顔になってくれた。 「お待たせしました。こちらへどうぞ」  僕とマコトを、それぞれ違う美容師さんが迎えにきてくれた。  僕の担当は木村さんという女性。マコトの担当は佐藤さんという男性。  僕らは今朝コンビニで出会ってから、初めて離れ離れにされてしまう。それはちょっと寂しいことだった。  僕の担当の木村さんは、短い髪を奇抜な緑色に染めた若い女性で、最初は少し怯んでしまう。  けれど、彼女の口調は思いのほか親しげで、優しかった。 「今日は学校サボり?」 「いえ」 「修学旅行で」 「ホントかなぁ?東京の子みたいに見えるけど」 「いえ、ホントに地方から来たんです」 「ふーん。じゃ、そういうことにしてあげる」 「実際、修学旅行の途中で来る人っているんですか?」 「いるいる。班行動の途中で抜け出してきてくれたりするよ。うちはこの辺りでは比較的手頃なお値段だから。それで、今日はどうしましょうか?少しボリュームを抑えたい感じ?」 「あっはい。大きな変化じゃなくて、セットしやすくしてほしい、というか、でもちょっとお洒落だなってポイントがほしい、というか……」  自分でも上手くイメージできていないのだから、的確に説明するのは、難しい。  それでも彼女は「ОK!任せて」と、微笑んでくれた。 「では、先にシャンプーしましょう。どうぞ、こちらへ」  シャンプー台へ移動するとき、鏡の前で担当の佐藤さんと話し込んでいるマコトが見えた。  木村さんも、マコトのことをチラッと見ている。 「一緒に来たお友達、格好いいわね。背も高いし、磨けば光りそう」  シャンプーしながら話しかけられたから、ちゃんと返事はできなかったけれど、僕は心の中で、うんうんと頷く。  自分の仕上がりはもちろんだけれど、きっともっと格好よくなるだろうマコトのことも、楽しみでしかたない。  余分な髪を梳いて軽くし、最もボリュームのある位置を以前より上にしてもらった。  それだけで、スッキリとお洒落に見える。  さらに木村さんがワックスの使い方、日頃のセットの仕方を詳しく説明してくれたから、僕はとても満足だ。  オススメのワックスを買うように誘導され、まんまと買ってしまったとはいえ、満足だ。  会計をしていると、マコトが佐藤さんに連れられやってくる。  僕はその姿を見て、言葉がでない。口だってポカンと開いていたかもしれない。 「どうかな?カナタ」  格好良すぎるのだ。普段ナチュラルにしている髪も、もちろん似合っている。でも、隙なくスタイリングされたマコトは、今すぐ男性アイドルグループに混ざっても遜色ない。  ただただコクリコクリと何度も頷くだけの僕を見て、佐藤さんがマコトに言う。 「よかったね。喜んでもらえたみたいだ」  マコトは僕に気を使って「カナタもすごく似合ってる」と口にしてくれる。 「でしょ?」  僕ではなく木村さんが、自慢げに答えてくれた。

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