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第3話
カイトの部屋にニルスと過ごすようになり、数日が経った。
寝る前に温かいお茶を飲みながら、その日あったことを語らい、同じベッドで眠る。
発情期が起きて以来、ニルスは仕事のとき以外一緒にいてくれた。そのお陰が従者たちからの奇襲はなく、平穏に過ごせている。
だがかなりの過保護気質らしく、ニルスが執務室に向かう前は「部屋から出ないように」と口酸っぱく言われている。ニルスに従順な従者が部屋の外で警護するほどの徹底ぶりだ。
これでは軟禁と変わらない。
「つまんねぇ」
カイトは天蓋の付いたベッドに寝転び、暇な時間を持て余していた。
スラムにいたときよりずっと贅沢な暮らしなのに、この平穏さが嫌で堪らない。
思い出すのはスラムのことばかりだ。
今頃ウィルや子どもたちはどうしているだろう。自分が王子の妃になったと聞いて心配かけているかもしれない。
(でもいまは思い出に浸っている場合じゃない)
本来の目的を思い出し、自分を奮い立たせた。
「っ、いたい……うわぁん」
開けっ放しの窓から子どもが泣き叫ぶ声が聞こえた。外を見下ろすと銀髪の子どもが噴水に繋がる階段のところで倒れて泣いている。見たところ近くに従者らしき人影はいない。
「いたい、いたいよ」
わんわんと泣き出している子どもの声はどうしてこんなにも心を締めつけるのだろう。居てもたってもいられず、カイトは窓から飛び降りた。
地面に着地するとじんと足裏が痺れる。この感覚が懐かしい。
「怪我したのか?」
怖がらせないように男の子と適度の距離を取って膝をついた。できるだけやさしい声音を心掛ける。
「起き上がれるか?」
「……うん」
うつ伏せで倒れている男の子の腕を掴み、ゆっくり起こすとズボンの膝の部分が擦り切れ、じんわりと赤い血が滲んでいる。
かなり痛そうだ。
「砂や小石がついてるから水で洗おう」
「それっていたい?」
「ちょっとだけな。でも我慢できたらお兄さんになれる」
「おにさん……」
男の子はルビー色の瞳を爛々と輝かせた。「お兄さん」に憧れを抱いているのだろう。
それなら調子に乗せやすい。
噴水横にある水道で膝を洗ってやると男の子は目の端に涙を溜め、終わるまで我慢していた。
「最後まで頑張ってすごいな!」
頭をガシガシと撫でてやると男の子はきゃあと声を上げながら笑った。裏表のない仕草は癒やされる。
「その子から離れてちょうだい!」
女の叫び声に振り返るとレースがたくさんあしらわれたカナリーイエローのドレスを着た女が顔を真っ赤にさせていた。色素の薄い長い髪は縦長にロールして、ハーフアップで結わいている。
ここでこんな高級なドレスを着ている人は一人しかいない。シバの妻のアンナだ。ということはこの子どもは二人の息子のラーニなのだろう。
ニルスから話だけは聞いていたが二人とは面識がない。
よくよくラーニを見れば髪と目の色は父親のシバによく似ている。
カイトからラーニを奪うように抱きしめたアンナは吊り上がった目を剣のように鋭くさせた。あからさまな敵意に生来の負けず嫌いが顔を出す。
「別になにもやってねぇよ。怪我してたから泥をとってただけだ」
「あなたがラーニを怪我させたんでしょ!」
「そいつが勝手に転んだだけだ」
「嘘を言わないで!」
アンナの金切り声は不愉快な超音波のように頭に響く。思わず耳を押さえるとその仕草に腹が立ったのか彼女は美しい顔を歪ませた。
「これだからオメガは卑しくて、下等な生物だわ」
「はいはい。そうですね」
相手にするのも面倒になり、ふてぶてしく肯定するとアンナは顔を真っ赤にさせた。
「かあさま、ちがうよ。このおにいちゃんはぼくをたすけてくれたんだ」
「口答えしないの!」
アンナはまだ小さなラーニをぴしゃりと一言浴びせた。握られている小さなこぶしは恐怖で震えている。
「そんな言い方するなよ。おまえ、母親だろ」
「うちのことをとやかく言わないでちょうだい!」
「まだそんな小さな子を怒鳴って怯えさせて。心が痛まないのかよ」
「……次の女王になれるからって上から目線?」
次の女王だと? そんな話、聞いたこともない。
アンナはぷいと顔を背け、ラーニの手を取って城へと戻っていってしまった。かつかつというヒールの音がしばらく耳にこびりついていた。
「アンナと揉めたって本当ですか?」
寝る前の穏やかな時間のひと時にニルスに切り込まれてカイトは鼻白んだ。どうやらアンナが告げ口をしたらしい。
「揉めたって言うか向こうが勝手に怒鳴ってきただけ」
「どうしてそんなことになったんですか?」
転んで怪我をしていたラーニを洗ってやっただけだ。恩着せがましい気がして「別に」と返した。
だがニルスは納得していないようで、ティーカップを置いて近づいてくる。
「それに勝手に部屋を出て……窓から飛び降りたんですか?」
「ここは二階だ。大した高さじゃない」
「カイト、危険な真似はやめてください」
「これくらい大したことじゃない」
「ならアンナとのこと話してくれても問題ないじゃないですか」
「……どうしてそこまで気になる?」
知りたいならアンナに訊けばいい。というか彼女なら全部話していそうだ。
それでもカイトの意見を訊きたい理由はなんだろう。
「私は公平な目で判断したいんです」
「気持ち悪いくらい真面目だな」
「それにカイトのことを悪く言われると……」
「言われると? なに?」
悪戯っぽく笑ってみせるとニルスは困ったように目尻を下げた。
この顔はカイトが気になっているのではない。
表面上はやさしさの仮面をつけているせいで、ニルスの感情が分かりづらい。
だから余計かき乱したくなる。ニルスはなにに感動して、なにに怒るのだと知りたい。
そうすればもっと――
(もっと、なんだ?)
ニルスは利用価値のある人形に過ぎない。
カイトの思う通りに動いて、この国をよくするように動かせればそれでいい。それだけのはずだ。
それなのにむず痒いような気持ちはなんだろう。
胸に手を置くと小さな鼓動がどくどくと不自然に鳴っていて気味が悪い。
意識を逸らそうと話題を変えた。
「アンジェは元気かな」
「アンジェ……? 恋人ですか? てか話をそらさないでくさい」
後半の小言は無視した。
「スラムで世話してた子ども。薬を頼んだだろ?」
「あぁ、きちんと手配はしました」
王室に嫁いですぐニルスに頼んであった。でもその後どうなったかは訊いていない。
「ラーニを見たら恋しくなった。会いに行ってもいい?」
「だめに決まってるじゃないですか」
「平気だよ。変装するから」
カイトの顔は国民に知れ渡っている。スラム出身のオメガとして王室に迎えられた経緯も国王は包み隠さず話していた。
「危ないからだめです」
「おいおい、俺はスラム出身だぜ? 死の縁を経験したことなんでザラだ。でもいまもこうして生きてる」
ニルスを始めとしたここにいるアルファたちは知らない。
食事も日用品も服もなく、店から奪うこと。捕まったら殺される寸前まで殴り蹴られること。
信じた仲間には裏切られ、身を売られそうになる経験もないだろう。命からがら逃げている間、心臓が張り裂けそうなった経験はあるか。
命を狙われる危険を感じながら眠りにつく夜なんて想像もつかないだろう。
その度に思う。
この国がアルファ至上主義ではなく、ベータもスラムもみんな平等だったらカイトには違った未来があったかもしれない。
なにもやりたくて盗みをしているわけではない。生きるためにはこの手段しか与えられていないのだ。
カイトも真っ当な仕事に就けて賃金が貰えれば犯罪に手を染めなかった。スラム出身というだけで仕事は貰えない。奴隷として買われるか、生き延びるために犯罪をするかのどちらかだ。
じっとニルスの顔を見据えていると観念したのか肩を竦めた。
「では私も同行します。それが条件です」
「おまえがいると足手まといだ」
「カイトを守ると言ったでしょ」
「……この騎士気取りが」
「はい、そうですよ」
ニルスの笑顔にどぎまぎしてしまい、カイトはぷいと顔を逸らせた。
日中に外に出ると従者たちに気づかれてしまうので、夜中に行くことにした。それに門番と衛兵の数も少ない。
カイトはぼろ布を倉庫から引っ張りだして頭から被った。シミ一つない服は目立つので、わざと泥をつけているとニルスは顔を青ざめながらも同じことをしてくれた。
「こんなことするの初めてだろ」
「はい。背徳感はありますが、ちょっとわくわくしますね」
子どものように無邪気に笑うニルスに片頬をあげた。意外と度胸があるようだ。
泥だらけの服装はどこからみてもスラムの人間だ。
門は一晩中衛兵が警備しているので裏口に回る。ニルスが巡回時間を把握しているので、誰もいないタイミングを見計らって外に出た。
夜中なので歩いている人はいない。だが酒場からは光りが漏れ、時折大きな笑い声が響いていた。
「これが、街ですか」
「おまえ来たことないの?」
「城の外に出るのは禁止されていたので」
「呆れた。それでよく王族が務められるな」
「私の中の国民は書類上です」
確かにニルスはいつも執務室に籠り、書類に向き合っていた。それじゃ国民の暮らしなんてわからないだろう。
「おまえが着ているそのシャツの刺繍をしているのはこの店だ」
カイトは店の前に立ち、看板を指さした。もちろんこの時間は閉店しているが、ショーウィンドウには煌びやかな装飾がついたシャツやドレスが展示されている。
「そしておまえが履いてる革靴はこの店だ」
ニルスが着ているもの、持っている装飾品の店を一つ一つ教えてやるとニルスの目はどんどん輝いていく。
「さぁここで問題だ。おまえと同じようなものを国民は持っていると思うか?」
「……もしかして持っていないのですか?」
「そうだ。国民は多額の税を払う。自分たちに使える金はそう多くない」
貴族は税金を免除されているので、その負担がすべてベータである国民が背負っている。
それがアルファ至上主義の国の在り方だ。
「では、どうやって暮らしているのですか」
「底辺を見せてやる」
城下町を抜けて北側へと走った。段々と街が寂れていき、汚物の匂いが強くなる。
「ここがスラムだ」
スラムに一歩足を踏み入れると街とはまるで世界が違う。
汚物まみれの道。壊れた建物。娼婦たちの喘ぎ声と男たちが喧嘩をしている怒声。
この国のはきだめにニルスは血の気が引いているようだ。
「これが……ザガルアなんですか」
「そうだ。俺から離れるなよ。すぐ追いはぎに遭うからな」
夜が更けでもこの街は眠らない。寝たらなにをされるかわからないからだ。心から安心できる場所はここにはない。
見慣れないカイトたちに周りから好機の目を向けられた。新しいカモが来たと思っているのだろう。
猫が威嚇して逆毛を立てるようにカイトの神経も高ぶってきた。ここは弱味を見せた奴が負ける、弱肉強食の世界だ。
久々の感覚に血が滾って仕方がない。
裏道に行くとなにをされるかわからないので、敢えて大通りを歩いた。カイトだと気づかれる可能性は高くなるが、ニルスを守りながら戦うのも限度がある。
しばらく歩いていると少年が脇道から出てきて、ニルスにぶつかった。少年はよろめくことなく、走っていこうとするとニルスは彼の腕を掴んだ。
「それはないと困るんです。返していただけますか?」
「……離せよ!」
「返してください」
少年の手には布袋が握られていた。ニルスの財布だ。ずっしりとした重そうなところを見るとかなりの額が入っているのだろう。
だが少年も放そうとはしない。ジタバタと手足で藻掻き逃げようとしているが、ニルスの力もなかなか強いようだ。
しばらく攻防を続けていたが、ニルスははぁと息を吐いた。
「これで返してください」
ポケットから金貨三枚を取り出して少年に渡した。みるみる目を輝かせる少年は財布と見比べたが、おずおずと返してくれた。
少年は金貨を奪い取ると夜の闇へと消えていった。
「おまえ、莫迦か」
「どうしてですか? あれだけあればあの子はしばらく生きていけます」
「そんな一時的な施しで助けたつもりか? じゃあここにいる全員に同じことできるのかよ」
一部始終を見ていたらしい老若男女がジリジリとカイトたちの回りを取り囲んでいる。おこぼれを貰おうと必死な形相にニルスは言葉を失った。
「結構残酷なことをするんだな」
「私は……そんなつもりは」
「俺たちにも金を寄越せ!」
男が飛び掛かってきて、カイトは迷わず蹴り飛ばした。男の顎に命中し、後ろに倒れる。それが合図のように次から次へと襲いかかってきた。
「くそっ、埒が明かない。走るぞ!」
何人か蹴り倒し道を開けるとニルスの腕を引っ張って裏道へ走った。
細い路地を右へ左へと走り、追いかけてくる人をまいた。スラムの中は熟知しているので逃げ道なんていくらでも思いつく。
「ここまでくれば平気だろ」
建物脇にあった樽に身を寄せて後ろを確認したが追いかけてくる人はいない。額に浮かんだ汗を拭って隣を見るとニルスの細い顎にも汗が溜まっていた。
「おまえよく俺に追いつけたな。途中で根を上げるかと思った」
「これでも鍛えてますからね」
「さすが王子様だ」
「ありがとうございます」
嫌味を言ったつもりだったが、ニスルには効いていないようだ。
少し休憩しようと外から見えないように身体を縮こませた。カイトに倣うようにニルスも長い足を窮屈そうに折りたたんでいる。
「おまえが金貨をあげた子ども、捕まってないといいな」
「まさか、子どもを襲うのですか?」
「ここは弱い者から死んでいくんだよ」
「助けに行きましょう」
物陰から出ようとするニルスの腕を掴んだ。
「やめとけ。正体がバレたらもっと面倒になるぞ」
「……これがこの国の姿なんですか?」
「そうだって言ったろ。紙っぺらの国民とまったく違うだろ」
「そんな」
項垂れる形のいいつむじを見下ろした。絹のように流れる美しい金髪が月明りに照らされて、光の粒子を纏っている。
この世の美しいもので作られたようなニルスの存在に腹が立った。いつも空高いところから地上を見下ろして満足していたに違いない。
「おまえ、空腹で胃が痛くなったことがないだろ。風呂に何日も入れなくてフケだらけになったことは? 死ぬ間際まで殴られ続けたことはあるか?」
カイトの問いに顔を上げたニルスの表情が絶望に塗り替えられていく。ざまぁみろ、と内心で毒吐いた。
「それでも私は……」
それきり口を閉ざしてしまったニルスにカイトは首を傾げた。
「どうしてそこまで傷つくんだ? おまえにとったらスラムの孤児なんて金にしかならないだろ」
悪逆非道と名高いニルスは奴隷産業に精を出している。だがその割にはスラムの現実にショックを受け過ぎだ。
(こいつはなにか隠している)
それを炙りだすためにスラムに連れて来た節もある。
「……私は孤児を売っていません。他国の養子に出していたんです」
とうとつと語るニルスの言葉に耳を傾ける。
「父の命令で奴隷産業を始めました。でも私は未来ある子どもたちに酷い真似はしたくない。だから父に隠れて養子として国から出しています」
「じゃあ俺が検査場でみたあの子は?」
赤茶髪の子どもが衛兵に押さえられ、泣き叫んでいた場面が蘇る。それを助けられなかった後悔までが胸に広がり、カイトに痛みを与えた。
「身なりを整えて別の名前を与え、他国に移ってます」
「そうか……よかった」
奴隷にされていない、誰も酷い目に遭っていないという事実に力が抜けた。
「じゃあなんでおまえの噂は悪名高いんだよ」
「自分で流しました。父の目をかいくぐって里子に出すのは限度があったので全員で押し寄せられたら対応できません」
「確かに俺たちは検査場には絶対行かないよう子どもたちに言いつけてたな」
「助けられる子に限りがあるのは大変心苦しいものですね」
眉を寄せるニルスの顔に視線が釘付けになった。時折見るこの表情の意味はなんだろう。
「カイト……?」
懐かしい声にカイトの鼓膜が震える。そうっと物陰から顔を出すと懐かしい男が立っていた。籠にたくさんの果物やパンが入っているから狩りに出かけていたのだろう。
「ウィル!」
物陰から出てウィルに飛びついた。大木のようにがっしりとした身体は勢いをつけてもびくりともしない。
「驚いたぞ。検査場行ったはずが、いきなり王子の嫁になったって聞いて」
「なにも連絡できなくて悪かったな」
「いいよ。もしかして城を抜け出したのか?」
「まぁね」
「王族になっても相変わらずだな」
ウィルの笑顔にへらっと笑ってみせた。彼の小言が懐かしい。
「アンジェはどうだ? 薬を頼んだんだけど」
「顔なじみの衛兵がくれたよ。ほら、カイトにお熱だった奴」
「あぁ、あいつね」
大柄の衛兵の顔を思い出し、眉を寄せた。
「そんな顔すんなよ。お陰でアンジェは元気だ」
「ならよかった」
「それを確認するために戻ってきたのか?」
「家族のことを心配するのは当たり前だろ」
「変わらないな、カイトは」
やさしい笑顔のウィルに安堵の溜息が漏れた。長年培ってきた友情の重みを感じる。
「てか、そいつは?」
ウィルは顎でニルスを指した。物陰に隠れたままのニルスだが、おずおずとこちらに出て頭の布を取った。
「……ニルス王子!?」
「ここまで一緒に来た」
「なんでまた?」
「説明すると長い。アジトに行ってもいいか」
「それは構わないが」
ウィルは渋々とした様子でアジトへ案内してくれた。
アジトは元々洋服店だった場所をウィルと住めるように直したのだ。屋根の穴は塞いであるが、建付けが悪く壁には隙間があるので風が通る。夏以外は部屋の中央に焚き火をしておかないと寒い。
少しでも寒さを凌ごうと子どもたちがくっついて眠っている。
だがなぜか子どもたちから離れたカイトの寝床にはアンジェが丸くなっていた。
「カイトが帰ってくるまでここを守るんだってきかなくてな」
「そっか」
すぅすぅと規則的な寝息を立てるアンジェの髪を梳いてやった。まだ小さいアンジェは両親の死を理解できていない。カイトを父親のように慕ってくれている。それが突然いなくなって寂しいのだろう。
(ここを守りたい)
子どもたちの生活はなにも変わっていない。盗んだ食べ物を食べて、衣服はボロボロ。もちろん学校に通えていないから読み書きもできない。
いまのままで大人になったらカイトたちと同じことをしてしまう。そして次の子どもたちも。円のように同じところを回って抜け出せない。
そんな残酷な未来をつくるアルファに怒りが湧く。
「で、こいつのこと説明して貰おうか?」
子どもたちの寝室から離れた倉庫の椅子にウィルはどかりと座り、ニルスを睨みつけた。
「俺の旦那だ」
「結婚式見たから知ってる」
莫迦にしてるのか、と唇を尖らせるウィルに笑ってしまった。
これまであった話をかいつまんで説明するとウィルの表情はどんどん曇っていく。
「そんな奴の言うことを信用するのか?」
「ニルスは嘘を吐いていない」
「どうだか」
「目を見ればわかる」
「じゃあこれはどうなんだよ!」
ウィルにマントを剥ぎ取られ、カイトの首輪を晒された。冷たい空気に金具部分がひやりとする。
「これはどう意味だよ。王族の犬になったっていう証拠か?」
「違う!」
「カイトにとって必要なものです」
ニルスが割って入るとウィルは片眉を跳ね上げた。
「首輪が必要?」
「他のアルファにうなじを噛まれないためです」
「おまえは噛まないってことか?」
「カイトの意志を尊重します」
殺気を滲ませるウィルに恐れもせずニルスはぴんと背筋を伸ばした。その毅然とした態度は王族ならではの風格すらある。
「ちょっと……ウィル」
ニルスと距離をとるため部屋のすみにウィルを引っ張って耳打ちをした。
「俺は中からこの国を変えようと思ってる」
「王族を皆殺しにするのか?」
「ちげぇよ。ニルスを国王にのしあげるんだ」
番のこと、国を導く神子の話とカイトの計画を語るとウィルは「無理だ」と口にした。
「そんなうまくいくわけがない。あいつが裏切らないという保証はあるのか」
「それはない……けど」
「好きでもない男の子を産むのか。おまえの身体はそんなに安っぽいものなのか」
「でもなにもしないままだったら、アンジェたちはここから出られない。俺みたいになって欲しくないんだよ」
子どもたちには日の当たる場所でまっとうな道を進んで、幸せになって欲しい。
「やっぱり戻ってこいよ」
「それじゃあこの国は変えられない」
「変えなくていいじゃないか。いままで通りみんなと過ごせれば」
「それじゃダメなんだよ!」
声を荒げると屋根で休んでいたカラスがかぁと文句を言いながら飛び去って行く。
「カイト、時間です」
ニルスの声に外を見ると朝陽がのぼりはじめ、空は淡く光っている。時間がない。
カイトは再び布を被り、顔と首輪を隠した。
「じゃあな、ウィル。会えてよかった」
「カイト……」
「元気で」
まだなにか言いたそうなウィルを置いて、城へと戻った。
自室のベッドにダイブするとボスンと柔らかなスプリングが受け止めてくれる。いつもは心を癒してくれる感触が今日はやけに冷たく感じた。
「私はなにも知らなかったんですね」
呆然と窓の外を見るニルスの後ろ姿は頼りない。字の中でしか知らなかった現実を目の当たりにして、ショックを受けているのだろう。
それだけニルスは幸せな檻の中にいたということだ。
「私は……どうすれば」
「ニルス?」
思いつめたような声音に起き上がるとニルスの肩は小刻みに震えていた。なぜだろう。その姿がとても可哀想に見えてくる。
胸の奥をきゅうと掴まれたような息苦しさがあり、思わずニルスの背中を撫でた。
「私もこの国を変えたいです」
「おまえ、ウィルとの話聞いてたのか」
「カイト、協力させてください。私も子どもが穏やかに暮らせる社会にしたいです」
朝日を背にしたニルスの表情は逆光でわかりづらい。それでもブルートパーズの瞳だけがギラギラと闘志に燃えていた。
「じゃあ番になろうぜ」
「それとこれとは話が別です。違う道を考えましょう」
「なんだそれ。番になるのが一番手っ取り早いだろ」
「他にも道はあります」
頑ななニルスに苦笑が漏れた。結構頑固なところがある。
(国が変わるなら、もうどっちでもいいや)
なにも好き好んで男に股を開きたいわけではない。
ニルスが手を出したので握手を交わした。同盟の印。これから同じ船に乗り、航路を旅する仲間の証だ。
だが初めて触れるニルスの体温に心臓が変な音をあげた。
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