5 / 6

第5話

 朝から城が騒がしい。  従者と侍女が城内を右往左往して、なにかにせっつかれるようにごたついていた。  カイトはその様子を窓の外から見下ろしているとソファで紅茶を飲んでいたニルスは顔を上げた。  「……時期が来たようですね」  「時期って収穫祭か?」  毎年秋になると農作物の収穫を祝う祭りが行われる。  「えぇ、みんな忙しそうですよね」  自分には関係ないとばかりにニルスは優雅に茶を啜った。  「それより体調はどうですか?」  また月一の発情期がきてしまい、ニルスと欲に溺れた日々を過ごしている。もう後半にさしかかっているが、いつもより発情が長い。  身体の中にはまだ燻る肉情の欠片が残っていた。  熱に浮かされたままカイトは窓枠に手をついて、尻を突き出しニルスを誘う。  「……まだ足りない」  カイトの大胆な行動にニルスは驚いたように目を瞬かせた。でもすぐ口角を上げ、ゆったりとした足取りでこちらに近づいてくる。  (早く、奥を突いて欲しい)  蕾がひとりでに濡れた。快楽を教え込まれ続けた身体は受け入れる準備もすぐできる。  けれど何度発情期を迎えてもニルスは決して最後までしない。指で中を解したり、猛った性器を慰めるだけで終わってしまう。  ひりつくうなじにキスの一つもしてくれない。  欲求不満が肥大していくばかりで朝露のようにちょろちょろと解放されるだけ。  今度こそはと期待を込めるが、ニルスは膝をついて赤い舌を覗かせた。  (今日も抱いてくれない)  胸は痛むのに与えられる悦楽に酔い、カイトは甘い声を漏らした。  目を覚ますと夜の闇に溶け込んだ天蓋が目に入った。熱はまだ燻っていて頭がぼんやりする。  シーツを手繰り寄せ、カイトはニルスを探したがひんやりとしたシルクの感触だけだ。  「……ニルス?」  起き上がって部屋を見渡すがニルスの姿はない。発情期の間は必ず部屋にいてくれていた。  (急用かな)  ニルスも暇ではない。王子としての責務は多く、普段執務室に籠っている。  発情期のせいで数日仕事を空けるため、休んでいた分の仕事をカイトが寝ている間に片付けているのかもしれない。  再び目を瞑ろうとするとノック音が響いた。ニルスか、と身構える暇もなく扉が開く。  「……シバ」  顔を出したシバは礼儀もなく無言で部屋に入って来た。形のいい眉を寄せ、不機嫌そうな顔を隠そうともせず気分が悪い。  裸のままだったことを思い出し、カイトは慌ててシーツを身体に巻きつけた。  「なにしに来たんだよ」  「……時期が来たからだ」  「はぁ? 収穫祭のことか?」  理由がわからないでいるとシバから花のような甘い香りが漂ってくる。  (この匂い……あのアロマと同じだ)  無理やり発情期にさせられたアロマキャンドルと同じ匂いがなぜシバからしてくるのだ?  匂いはどんどん濃くなっていき、思考を奪おうとしてくる。冷めきっていない身体が燃えるような欲情が湧き上がってくる。  シーツの中の性器はぐんと硬くなり、蕾から愛液を溢れさせていた。もう発情期は終わりかけなのにまるでピークのときのように息が弾む。  シバは鼻を手で覆い、ルビー色の瞳を鋭くさせた。  「くそっ、これがフェロモンの匂いか。頭がおかしくなる」  「なんだよ、いきなり」  「おまえの……フェロモンが、濃い」  頭を抱えだしたシバの額に脂汗が浮かび、なにかに耐えるように唇を噛んでいた。  「あいつはよく平然と過ごせたな」  ただならぬ気配にカイトは身を守るように身体を縮こませた。  「おまえ、俺になにをした?」  「俺のフェロモンが効いるんだろ。発情期にアルファのフェロモンを嗅ぐとオメガはより発情するんだ」  「あり得ない。こんなこといままでなかった」  発情期のたびこの部屋でニルスに慰めてもらった。アルファの彼から、ただの一度も甘い匂いはしていない。  シバは冷笑を浮かべた。  「そりゃあいつはベータだからだ」  「ニルスが……ベータ?」  信じられないと思う一方で、納得する部分もあった。  うなじを噛んでくれなかったこと。  カイトが求めても応じてくれなかったこと。  いつも冷静でまるで義務のようにカイトを慰めてくれていたこと。  バラバラだった出来事が一つの答えに繋がり、その真実の重さがカイトの心にのしかかる。苦しくて小さく喘いだ。  「あいつが不出来のベータのせいで、俺がおまえを抱かなくちゃいけない。アンナを愛しているのにこの屈辱がわかるか」  「俺だってごめんだ! なんで、おまえなんか」  心では嫌だと訴えているのに本能はアルファを求めている。首輪の下のうなじが熱を帯び始め、噛んで欲しいと訴えた。  「繁栄の神子を産んで、この国を導くためだ」  「わっかんねぇよ! 嫌だ、俺がおまえに抱かれるなんて!!」  逃げ出そうとするが身体に力が入らず、ベッドから落ちた。受け身もせず床に頭をぶつけ、意識が一瞬飛ぶ。  視界がぐらつき、シバの顔が歪んで見える。上にのしかかれ、身動きが取れない。  「でもおかしいだろ! 俺とニルスは夫婦として認められてる。例えおまえの子を産んでもあいつが国王になる。それでいいのか?」  「はっ、おまえ莫迦だな」  カイトの反論にシバは鼻で笑った。  「俺が神子を育てる。形式上おまえの立場はニルスの妻だが、本当は俺の妾だ」  「そんな」  つまりニルスはカイトが妊娠したときのフェイクに過ぎない。王族が妾を取るのは外聞が悪いからだろう。  目の前が真っ暗になった。  「俺の温情に感謝しろよ。俺はおまえに触れたくないからニルスに身体を慣らさせていたんだ。痛い想いせずに済むんだぞ」  「この……クソが」  睨みつけるとシバは見下すように笑った。  カイトがシバと番になり子を宿すことをニルスは最初から知っていたのだ。  (なにがマリオネットにしてやるよだ。ニルスははなから王族側だってことじゃん)  スラムの子どもたちを里子に出したり、毎日のように国の未来について議論した時間はなんだったのか。カイトを騙すための芝居なのか。  シバの手が毛虫のようにカイトの身体を這う。おざなりな手つきは嫌悪感を孕んでいて、早く終わらせたいのが伝わってくる。  好きでもない男に組み敷かれ、悔しくて涙がこぼれた。  (今頃になって気づくとか遅すぎんだろ)  ニルスが好きだ。こんなときでも思い浮かぶのは彼の笑顔。  子どものときから他人を信じないようにしてきた。信じたら騙される。スラムは蹴落とし合いの世界だった。  騙される方が悪いのだと何度も言われ、同じ数だけ言ってきた。  その言葉がカイトに重くのしかかる。  「やだ……ニルス」  心の悲しみが押し上げられて、涙となって溢れた。ニルスから快感を教えられた後孔にシバの指が挿入る。気持ち悪くて吐きそうだ。  でも身体は歓喜している。奥へ誘うように蕾は収縮を繰り返した。心と身体のアンバランスさに視界が歪む。  「これならすぐに終わりそうだ」  シバはズボンを下ろし、性器を取り出した。  「さっさと終わらせるぞ」  「嫌だ、ニルス……ニルス!」  「あいつに助けを求めても無駄だ。昔から俺たちの言うことを聞くように調教してある」  「ニルスはやさしかった! おまえらとは違う」  「俺がそうするように命令したからだ。おまえに逃げられでもしたらこの国の損失だからな」  シバの冷たい眼差しに射すくめられる。アルファの絶対的王者の空気にカイトの本能が怯えている。  屈服したオメガの性にカイトの気持ちも萎んでしまった。  ニルスを騙していた。  ニルスもカイトを騙していた。  スラムでは日常茶飯事なことをどうして城の中は違うと思ってしまったのだろう。  シバにのしかかられ、両手を頭上で一括りにされてしまった。両足を割って入ってくる大きな身体。ニルスではない身体。  瞼を瞑った。愛する男に抱かれるのだと想像を膨らませ、次にくる衝撃に耐える準備をした。  「おまえ……なにをっ!!」  シバの悲鳴と共に身体が軽くなる。拘束が解け、薄く瞼を開けると目の前にニルスの姿があった。  「ニルス……?」  「遅くなって申し訳ありません」  髪を振り乱したニルスが抱きしめてくれた。首に腕を回してすんと洟を鳴らせる。これだ、この匂いだ。  心と身体のピースがぴたりとはまる。  部屋の隅に倒れていたシバは歯を食いしばりながら起き上がった。口の端が切れ、こぶしで血を拭っている。  「まだ待機命令のはずだぞ」  「カイトを返して貰います」  「はっ! ベータの癖に俺に歯向かうのか?」  「いままでずっとあなたたちの言うことを聞いてきました。でも今回ばかりは譲れません」  三日月のように凛とした横顔に一切の迷いがない。切っ先のような眼光は本当にニルスなのかと思うほど殺気を滲ませている。  ニルスは胸ポケットから白い手袋と一輪の薔薇をシバに向けて放った。天使が舞い降りたかのようにその二つがふわりと床に着地する。  「決闘を申し込みます、兄上」  「俺に勝つつもりか?」  挑戦的に片頬を上げたシバはヨロヨロと立ち上がった。手袋と薔薇をだんと踏みつける。  「私が勝ったらカイトは諦めてもらいます」  「俺が勝ったらおまえは死ね」  「では、成立ですね」  「せいぜい首を洗って待っていろ」  シバは振り返りもせず部屋を出て行った。  「決闘だなんて危険だ!」  「すみません。カイトを勝負のだしにしてしまって」  「そんなことはどうでもいい。負けたらどうするんだよ!」  シバは騎士学校に通い剣の腕を磨いていた。対するニルスは勉学を好み、剣術には優れていないと聞く。  結果は火を見るより明らかだ。  「どうしてもカイトを渡したくなかったんです」  頬に添えられたニルスの手は小刻みに震えていた。その上に自分のものを重ね、ぎゅっと掴む。  「ニルスが死ぬ方が嫌だ」  「死にませんよ」  「でもっ」  ニルスの顔が近づいてきて目を瞑った。唇の柔らかい感触に強張っていた全身の力が抜ける。  「何度も名前を呼んでくれましたね」  「……聞いてたのかよ。趣味悪い」  唇を突き出すとそこにちょんとキスをされて面食らった。  「少し、昔話をしてもいいですか」  窓から空に浮かぶ満月を見上げたニルスは眩しそうに目を細めた。  「十歳になってすぐベータだとわかりました」  王族にベータはあってはならない。ベータは下等生物の平民だけだと幼少期から叩き込まれていた。  何度も検査をさせられても結果は同じ。女王は心労で倒れてしまい、見るのが辛かったそうだ。  この秘密を漏らすわけにはいかない。  ニルスはアルファとして装うように命じられ、少しでも粗相をしたら暴力を振るわれる日々が続いた。  いつしかニルスは感情を捨てた。そうすれば楽になれると気づき、操られる人形ができあがった。  「そんなとき出会ったのがカイトです」  オメガとして王室に迎えられたスラム出身の孤児は酷い噂ばかりだった。盗みや暴力は当たり前でなにより口が悪い。  だが小さな子どもたちをまとめて暮らしていると知り、やさしい人だと思ったそうだ。  国王を前にしてもカイトは揺るがないカイトの強さにニルスは憧れを抱いてくれたらしい。  「買いかぶりすぎだろ」  「いいえ。カイトは私にとって神のようなものです」  「オーバーな奴だな」  あがめられるようなことはしていない。ただ自分の信念を貫き通しているだけだ。  アルファであるシバがカイトと番になろうとしていたのは、繁栄の神子を産ませるためだけだ。  けれどシバはアンナと結婚していた。離縁をすると外聞が悪い。だからニスルが夫役を担った。  「カイトに触れるたびに愛おしさが込み上げてきて……何度も最後までしようと思いました」  「……すればよかったじゃん」  「父と兄に背くことが怖かったんです。カイトが求めてくれるのに、我が身可愛さで見ないふりをしました」  申し訳ございません、とニルスは頭を下げた。  「俺が聞きたいのはそんな言葉じゃねぇよ」  ニルスの生い立ちは同情する。アルファとして振る舞わなければならないプレッシャーは想像以上に辛いだろう。  でもいまは言い訳を欲しいわけではない。  「俺のこと、好き?」  こんな女々しい台詞を言う日がくるとは思わなかった。でも聞かずにはいられない。  「もちろん……愛しています」  唇にキスをされ、頬、首筋、鎖骨と降りていく。触れられた個所が火傷みたいにジリジリと熱を帯びる。  じんわりとうなじが存在を主張しだす。  「首輪の鍵って確か戸棚に……あった、あった」  「なにを、するんですか?」  カイトは鍵を解除して首輪を床に落とした。久しぶりになにもない首はスースーして変な感じがする。  「ここ噛んで」  うなじを曝け出すとニルスの喉仏が上下に動いた。  「私はベータです。番にはなれません」  「真似事でもいいんだ。ここはニルスだけのものだって証が欲しい」  ニルスの歯型はすぐに消えるだろう。でもその度にまた噛んでもらえばいい。  何度も繰り返すことでニルスへの想いを強くしていきたいのだ。  「わかりました」  白い歯を覗かせたニルスはやさしくうなじを噛んでくれた。くすぐったりだけで、これでは数時間で消えてしまう。  「もっと」  「カイトを怪我させてしまします」  「いいから……もっと強く」  「痛くしたらすいません」  さっきよりも噛む力が強くなった。皮膚が裂け、血が溢れてくる。その血を啜ったニルスはゆっくりと顔を離した。  触れるとボコボコとしたおうとつがあり、カイトは目を細めた。  「……嬉しい」  ニルスと繋がれた絆。これさえあれば何も怖くない。  「私も嬉しいです。カイトは誰にも渡しません」  「うん」  鉄の味が残るキスが甘いものに変わるまで、交わり続けた。

ともだちにシェアしよう!