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第2話 オレンジ色の嘘

あの日から、輝はやたらと俺の側にくっついてくるようになった。 「おはよ、圭」 朝、教室に入ると輝が隣の席に座ってくる。 「教科書見せろよ~」 休み時間になると、当たり前のように俺の机に肘をつく。 「なあ、昼飯一緒に食おうぜ」 肩に軽く触れたり、廊下ですれ違う時にわざわざ声をかけてきたり。 最初はドキドキして、正直、少し嬉しかった。 あの輝が、俺のことを構ってくれる。 冗談だったとしても、特別な何かを感じているような気がした。 「圭って真面目だよな。ノートきれいだし」 「……別に普通だろ」 「いや、俺なんて字汚いし。やっぱ圭すげえよ」 そんな風に笑いかけてくる輝を見るたびに、胸が高鳴る。 でも――その“楽しさ”は、すぐに別の感情に侵食されていくことになる。 昼休み、弁当を広げた俺の横に、輝が当たり前のように座る。肩が触れるくらいの距離。周りの視線が痛い。 「ちょっと……やめろよ」 苦笑いしながら輝を押しのけても、あいつは悪戯っぽく笑うだけ。 「なんだよ、冷たいな」 「いや、近すぎだろ……」 「そう? 別に普通じゃね?」 周囲がざわめく。ひそひそと交わされる声。 「ねえ、あの二人って付き合ってるの?」 「え~、あんな地味なやつと? ありえなくない?」 廊下ですれ違うたびに聞こえる陰口。クスクスと笑う声。教室の隅で、こちらを見ながら何かを囁き合う女子たち。 「安堂くん、冗談きついよね」 「でも最近マジで五十嵐とずっと一緒じゃん?」 「え~、まさか本当に……?」 居心地が悪い。でも、輝は全く気にしていない様子で、いつも通りに笑っている。 それでも輝に誘われると断れなかった。 「なあ、圭。今度の休み暇?」 「……まあ、特に予定ないけど」 「じゃあ、せっかくだし圭も来いよ。駅前のゲーセン行こうぜ」 「いや、別に俺は……」 「いいから! 決まりな」 輝の押しの強さに負けて、結局ついていく。 休日の駅前。ゲームセンターで格ゲーをしたり、カフェで適当に時間を潰したり。 「お前、意外とゲーム下手だよな」 「うるせえ。お前が上手すぎるだけだろ」 「まあな」 たわいもない話をして、輝の笑顔を見て、ほんの少しだけ楽しいと思った。 「なあ、圭ってさ」 「ん?」 「なんか、一緒にいると落ち着くっていうか」 「……そうか?」 「うん。だから俺、圭のことが好きだよ」 「え……」 照れくさくて、視線を逸らす。胸が温かくなる。 でもその裏側には、いつも重い視線があった。 月曜日、教室に入った瞬間。 「あ、来た来た」 「ほんとに二人で遊びに行ったんだ~」 噂が広がったらしい。誰かが俺たちを見かけたのだ。 「なんで五十嵐が……」 「調子乗ってんじゃないの?」 廊下で聞こえるささやき。靴箱の前で笑う声。体育の授業中、背中に刺さる視線。 胸がざわついて、逃げ出したくなる。楽しいはずの時間が、少しずつ息苦しくなっていく。 輝と一緒にいることが、嬉しいのか苦しいのか、分からなくなってきた。 そして、ある日。 放課後、校舎裏に呼び出された。夕暮れのオレンジ色が、輝の横顔を照らしている。 輝が真顔でこう言った。 「……あのさ、お前のことが好きって言ったけど、やっぱりあれ嘘」 心臓が止まりそうになった。 「……俺、男は無理だし」 ――嘘。 その一言が、胸の奥に突き刺さる。 びりびりと痛む。息が詰まる。怒りと悲しみが混ざり合って、どうしようもなく「こいつが嫌いだ」と思った。 「あ、そう……」 それしか言葉が出なかった。 「なんか、お前に迷惑かけたみたいで悪かったな。女子たちもうるさいし」 こいつが気まぐれでふざけただけ。頭では分かってる。でも、心がついていかない。 「……別に。気にしてないから」 嘘だ。すごく気にしてる。すごく傷ついてる。でも、そんなこと言えるはずがない。 その日の夜。 部屋に戻って、俺は机に向かったまま動けなかった。 教科書を開いても、文字が頭に入ってこない。 「……ばかみてぇ」 ぽつりと呟いた声が、静かな部屋に響く。 期待した俺がバカだった。 本気にした俺がバカだった。 ドキドキした俺が、何より――バカだった。 胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。 息が苦しい。目の奥が熱い。 「なんで……」 涙が溢れそうになって、俺は必死に堪えた。 泣いたら、もっとバカみたいだから。 「……もう、あいつのこと考えるのやめよう」 そう呟いて、俺は机の電気を消した。でも、布団に入っても眠れなかった。 目を閉じるたびに、輝の笑顔が浮かんでくる。 “俺、男は無理だし” あの言葉が、何度も何度も、頭の中でリピートされた。 ――それから俺は輝を避けるようになった。 朝、教室で目が合っても、さっと視線を逸らす。休み時間、輝が近づいてきても、用事を作って席を立つ。 輝も、あまり近づいてこなくなった。 たまに廊下ですれ違う時、気まずそうに「よう」と声をかけられることもあったけど、俺は軽く頷くだけだった。 本当は嫌いじゃない。今でもそう思う。 でも、もう前みたいに素直に距離を縮めることはできなかった。

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