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第4話 社畜の俺に、選べる道なんてない

金曜の夜。久しぶりに知人から飲みに誘われ、仕事帰りに居酒屋の個室に入った。 「圭、お疲れ!」 「うん、お疲れ様」 とりあえずビールで乾杯する。一息つくと、やっと肩の力が抜けた。 「そういえば、圭は最近仕事どう?」 「んー……きついね」 正直に答えるしかなかった。 今の会社は完全にブラックで、カスハラにサービス残業は当たり前。 上司は気分屋で、朝の機嫌が悪ければ一日中当たり散らす。先週なんて「お前、給料泥棒だな」って言われた。 「マジ? そんなに?」 「うん……もう、限界に近い」 本音だった。寝ても疲れが取れない。 朝起きるたびに、今日もまた会社に行かなきゃいけない現実がのしかかる。 ある程度金が貯まったら辞めるつもりだけど……貯金なんて、ほとんどない。 家賃と光熱費、奨学金の返済で、毎月の給料はほぼ消える。 ボーナスも雀の涙。残業代は出ない。通帳の数字が増えることはない。 「具体的にどのくらいキツいの?」 「毎日終電。土日出勤も当たり前。先月なんて休み三日しかなかった」 「えぇ……」 枝豆を口に放り込みながら続ける。 「この前、疲れすぎて風呂で寝落ちしてた。起きた瞬間、“もういっそ消えたい”って思ったよ」 「……圭」 「まあ、やらないけどさ。そんな勇気もないし」 冗談めかして笑ってみせるけれど、胸の奥は冷たかった。 手首に残る傷跡を見ないように、そっと袖を引き下げる。 「転職は?」 「考えてはいるけど、時間も気力もねぇ。とりあえず金貯めて、辞表出してから考える」 知人は少し考え込むような顔をして、グラスを傾けた。 そして、声を落として言った。 「実はさ……圭にぴったりのバイト、あるんだよ」 「バイト?」 その言葉に少し心がざわつく。 「男性専用マッチングサイトのモデル。内容は、会員向けの動画撮影。報酬は数万から数十万」 男性専用――つまり、ゲイ向けってことだろう。報酬は破格だ。 「怪しくね?」 「いや、大丈夫。ちゃんとした運営会社。俺の知り合いも何人かやってる」 「本当に?」 「うん。動画は一人で撮るだけだし、変な人と絡まされることはない」 なるほど、限定動画の“モデル”ってことか。 危険は少なそうだが、それでも抵抗はある。 「具体的にどんな感じなんだ?」 「最初は自己紹介動画。慣れてきたら、ちょっと露出が多くなる。もちろん強制じゃない」 「……へぇ」 「圭ってさ、顔は悪くないし、真面目そうに見えて実は……ってギャップがあるじゃん。そういうタイプ、人気あるんだよ」 「ギャップってなんだよ」 「いや、普段堅物なのに、ちょっと脱ぐとか。そういうのが刺さる層が多いらしい」 知人が軽く笑う。けれど俺は笑えなかった。 そんな自分を商品にするなんて、プライドが痛む。 「いっそ、気に入ってくれる人が現れたらパトロンになってもらえば?」 「パトロン?」 「金持ちの投資家とか社長も多いらしい。気に入られたら借金とか肩代わりしてくれるかもよ」 借金。 その言葉に、胸の奥がずきりと痛んだ。 大学時代に作った奨学金の残り、カードローン、生活費のツケ。 数字が現実味を失って、ただ“重さ”だけが残っていた。 「まぁ、悪い話じゃないだろ。圭次第で稼げる」 “稼げる”。その一言が、今の俺にはあまりに甘い響きを持っていた。 「……でも、俺、そういうの慣れてないし」 「最初はみんなそうだよ。嫌ならすぐ辞められるし」 「……そうか」 このまま潰れるくらいなら、何かを変えなきゃいけない。 自分のプライドなんて、もう守る余裕もない。 「……一回だけ、試してみる」 「おっけ。先方に連絡入れとく」 知人は嬉しそうにスマホを取り出す。 乾杯のグラスを傾けながら、複雑な気持ちが胸に渦巻いた。 これが俺の人生を変える一歩になるのか、それとも――終わりへの始まりなのか。

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