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第9話 スイートルームの約束
翌日、なんとか早めに仕事を切り上げ、約束の場所へ向かう。
タクシーを降りると、目の前には駅前の外資系高級ホテルがそびえていた。
テレビでしか見たことのない煌びやかさ。威圧感のある建物を前に、思わず足が止まる。
入り口には制服姿のドアマンが立ち、俺みたいな庶民がここに入っていいのか、一瞬ためらった。
――でも、ここで一歩踏み出さなければ、今日の仕事は終わらない。
「いらっしゃいませ」
丁寧な声に、心臓が早鐘のように打つ。手のひらにじんわりと汗がにじむ。
こんな接客を受けるのは初めてだった。
そして、事前に男から聞いていた。
『高級ホテルのスイートルームね。相手の方が部屋を取ってくれてるから』
スイートルーム――食事ではなく、部屋。
その時点で、嫌な予感が脳裏をよぎった。
でも、報酬の話を聞くと断れなかった。
相手次第では、かなり稼げるかもしれないと言われた。
手を軽く震わせながら、俺はドアマンに導かれ、ロビーへ一歩を踏み出した。
運営者の言葉が頭をよぎる。
『時間には遅れないように。相手はお客様ですから。報酬は圭さん次第ですよ』
“圭さん次第”。
つまり、相手を満足させろ、ということだ。
ロビーに入ると、高級感に圧倒される。
大理石の床。天井に吊るされた豪華なシャンデリア。
どこを見ても、金の匂いがする。
それなのに自分はただの庶民。場違いだという意識が頭の中で渦巻く。
フロントで部屋番号を告げると、係員がエレベーターキーを差し出してきた。
「恐れ入りますが、こちらのエレベーターをご利用ください。最上階でございます」
最上階――。
たった数時間、俺と会うためだけに、こんな部屋を用意するなんて。
胸の奥がざわざわして、胃のあたりが重くなる。
エレベーターに乗る。扉が閉まり、静かに上昇していく。
鏡に映る自分の姿。普段の仕事着のスーツ、やつれた顔。
準備も心構えも、何もできていない自分が、そこにいた。
最上階に到着すると、長い廊下が延びていた。
静寂に支配された空間に、自分の足音だけが響く。
一歩一歩、呼吸を整えようとするが、胸のドキドキは収まらない。
部屋番号を確認する。
2501――ここだ。
ドアの前で立ち止まり、深く息を吐く。
「……よし」
報酬があれば、今月は乗り切れる。
そう自分に言い聞かせ、震える手でチャイムを押す。
数秒の沈黙。
そして――扉の向こうから足音が近づいてくる。
ドアがゆっくりと開いた。
「……来てくれたんだ」
その声を聞いた瞬間、俺の全身が硬直した。
「え……」
目の前に立っていたのは――
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