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第30話 君と描く次の景色
side 輝
助手席の圭が、窓の外を見つめながら小さく息を吐いた。
言葉の端に、ためらいが滲んでいたけれど、目の奥はまっすぐだった。
ハンドルから片手を離し、そっと彼の髪に指を通す。
「圭、偉いじゃん」
「……そう?」
「うん。ちゃんと線を引けた。昔のお前なら、きっと断れなかったと思う」
圭が小さく笑った。
その笑みはどこか照れくさそうで、けれど確かな強さがあった。
胸の奥が、静かに温かくなる。
――本当に、強くなったな。
高校時代、俺が愚かだった頃。
あのとき、圭は何も言わず、ただ静かに俺の前から姿を消した。
それが、どれだけの痛みを背負っての沈黙だったか。
今なら、ようやくわかる。
「……ちょっとだけ、可哀想だとは思ったけど」
「それでも断ったんだろ?」
「ああ」
「それでいい。優しいのはお前の強さだけど――優しさと犠牲は違う」
圭が頷いた。
信号が赤に変わり、車を停める。
横顔を見つめると、柔らかい髪が光を受けて揺れた。
あの頃より少し大人になった瞳が、まっすぐ未来を見ている。
「圭」
「ん?」
「お前が誰に何を言われても、俺が守る」
短い言葉だったが、それ以上の想いを込めた。
圭が驚いたように瞬きをして、ふっと笑う。
「……ありがとう」
その一言が、胸の奥で静かに染みた。
青信号になっても、しばらく動けなかった。
代わりに、そっと圭の頬に触れる。
冷たい外気の中でも、彼の肌は不思議なほど温かかった。
「今日の夜、家でゆっくりしよう」
「……うん」
「何か食べたいものある?」
「輝のハンバーグ」
「了解。特製デミソース付きで」
笑い合う時間。
その何気なさが、どれほどの幸福か。
過去に取りこぼした時間の重みを、ようやく取り戻している気がした。
――もう、守る側を間違えたりしない。
窓の外には冬の光。
澄んだ空の下で、圭の横顔が眩しく見えた。
俺はハンドルを握り直し、アクセルを踏んだ。
向かうのは、俺たちの帰る場所――「安堂家」。
今日もそこに、温かな灯りが待っている。
*
数週間後。
湯気の立つコーヒーを前に、俺は少しだけ真剣な声で切り出した。
「圭、相談があるんだけど」
「……なに?」
「来月、海外出張があるんだ」
「海外?」
「うん。シンガポール。二週間くらい」
圭の表情が曇る。
無理もない。二週間は――長い。
俺だって、正直離れたくない。
「圭も一緒に来る?」
言葉にした瞬間、圭の目が少し見開かれた。
その反応に、思わず笑ってしまう。
「せっかくだし、観光もできるしさ。……俺は、一緒に行けたら嬉しい」
そっと彼を抱き寄せる。
コーヒーの香りと、圭の体温が混ざって、朝の空気が柔らかくなる。
「……ちょっと考えさせて」
「うん、わかった」
本音を言えば――仕事よりも、圭といたい。
離れて過ごす夜を想像するだけで、胸の奥がきゅっとした。
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