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第32話 未来へ続く、最後の夜

数時間のフライトを経て、シンガポールに着いた。 「着いたね」 「……ああ」 空港の扉を抜けた瞬間、肌に触れる空気が温かく、湿気を帯びていた。 思わず息を深く吸い込む。 冷たく乾いた日本の冬とはまるで違う感覚だ。 「……うわ、暑いな」 「あはは、シンガポールは一年中こんな感じだからね」 高級車が待っていて、運転手がドアを開ける。 「こちらです、安堂様」 「……マジか……」 「仕事で来るときは、いつもこうなんだよ」 車に乗り込むと、窓の外には見たことのない景色が流れていく。 高層ビルと南国の緑、光る広告と整然とした街並み。 そのどれもが、輝の隣で見るからこそ鮮やかに見えた。 「……シンガポール、初めてだ」 「そっか。じゃあ、いろいろ案内するね」 「……頼む」 ホテルに着くと、さらに驚かされた。 ――屋上にプールがある、世界的に有名なホテル。 「……まさかここ、泊まるのか?」 「うん。せっかくだから」 部屋はスイートルーム。大きな窓から見える街の灯りが、星空と溶け合っている。 「……すげぇ……綺麗だな」 「でしょ?」 背後から、そっと抱きしめられる。 「圭と一緒に見られて、嬉しい」 「……俺も」 荷物を置くと、屋上のプールへ向かった。 夜の風が心地よく、遠くで音楽が流れている。 水面に映る街の光がまるで宝石のようだった。 温かい水に身を沈め、肩が触れ合う距離で腕を絡め合う。 輝がそっと顔を寄せて、低く囁いた。 「圭」 「……ん?」 「幸せ?」 一瞬、言葉が喉の奥で詰まった。 過去の痛みがほんのわずかに胸をかすめる。 でも今、隣にいるのは――。 「……ああ、すげぇ幸せ」 輝が微笑む。その瞳に夜景の光が映っていた。 「よかった。俺も、幸せだよ」 プールの中で抱き寄せられ、唇が触れる。 深く、静かで、言葉よりも確かなキス。 すべてを溶かしてくれるような温もりが胸を満たした。 * 翌朝。 目を覚ますと、輝が窓の外を見ていた。 朝焼けがカーテンの隙間から差し込み、彼の輪郭を金色に染めていた。 「おはよう」 「……おはよう、圭」 「今日は午前中に会議があるんだ」 「そうなのか」 「圭も一緒に来る?」 「……いいのか?」 「もちろん。圭の意見も聞きたいから」 会議室は冷房の効いた静かな空間だった。 輝の英語が流れるように響き、投資家たちが頷く。 「圭、ありがとう。助かったよ」 「……役に立てたか?」 「当たり前だろ。圭がいてくれて、本当に心強かった」 その笑顔に、言葉を返すよりも先に胸が熱くなった。 会議の後は観光へ。 マーライオン、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ、チャイナタウン。 見慣れない街の喧騒の中で、輝の手を握る。 その温もりが、すべての過去を遠くへ押し流していくようだった。 空を見上げると、夕焼けが街を染めていた。 あの日見た空とは違う。 けれど――同じ色の幸せを感じていた。 * シンガポールでの二週間は、夢のように過ぎていった。 仕事、観光、そして毎晩重ねた温もり。 どの瞬間も、確かに生きていると感じられた。 帰国の飛行機で輝が眠る横顔を見ながら、思った。 俺はこれからどうするべきか――。 輝のマンションに帰り着く。 「ただいま」 「……ただいま」 同じ言葉を返すだけで、胸がいっぱいになる。 「圭と一緒だったから、最高の二週間だったよ。ついてきてくれてありがとう」 「……いや、こちらこそ。輝、ありがとう」 「うん。疲れただろ? 今日はゆっくり休もう」 「……ああ」 荷物を置いて、ソファに腰を下ろす。 窓の外には東京の夜景。 そして、輝がゆっくりとこちらを向く。 「圭」 「……なに?」 「これから、どうしたい?」 ――その問いは、俺が考えていたものと同じだった。 *** 次回――物語はついに最終話。 圭と輝の未来が、最後の光の中で結ばれます。 あと一話、見届けてください。

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