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第2話 契約

 新宿駅のガードレールをくぐって東へと向かったリムジンは、市谷駅を通り過ぎたあたりで左折して細い道を静かに進んでいった。  リムジンの後部座席でタオルにくるまった少年は、緊張を隠すことなくだが、与えられた暖かさの中で目を閉じていた。リムジンが止まり、外から開く音に目をひらく。最初に男が降り、続いて降りるよう促された。  日本家屋だが、車寄せは洋式でファサードが突き出しており、濡れることなく乗降ができるようになっていた。二人が降りたあとリムジンは姿を消し、秘書らしき初老の男が二人を待っており、扉を開けて招き入れた。  刹那は無表情の男に軽く会釈をした。広い玄関では靴を脱いだついでに濡れた靴下を脱いだ。タオルで足裏を拭いてから男をおいかけた。  「とりあえず、風呂に入ってこい」    リビングらしきところを通り過ぎ、バスルームに案内された。口の中や胸など男に汚された場所を念入りに洗って用意されたバスローブのみを着て案内されるままソファに男が座る、その場所に連れてこられた。  「これからいちいち驚くな。――銀龍会から500万の借金を背負ってるな」  驚くなといわれても、驚かざるを得なかった。  「友達を信じてその結果だ。私からの契約だが、その500万は私が立て替えよう。その代わり、おまえはここで仕事をしていく」 「どういう仕事だ」 「私に飼われるのさ」   男の性器の感触が口の中で蘇り、胃液があがってくる。  「私はただのお前には興味がない。お前を生まれ変わらせてやる。その代わりに、お前の借金を立て替える」 「本当の目的はなんだ?」 「お前は、私が磨くに値する原石だ」 「勘違いだったとしたら?」  男は話す価値もない、と鼻で笑う。  「お前には選択肢はない。ここから出て銀龍会でシャブ漬けになって借金返済か、私の元で私のルールで借金を返済するか、だ」  少年はしばし考えた。  「俺がなんの原石かは意味がわからないけれど……借金返済のためにあんたが俺を磨く、というのを『投資』ということにできねぇか?  俺が稼げる男になるための。……そして、俺が稼いだ金であんたの『投資』に利子をつけて返したら、この契約は終わりってことで、俺はあんたの元から出ていく。……その条件なら、この金を受け取る」  男は面白そうなことを言う、という表情になった。しばし考えて先ほどのずぶ濡れになり絶望しながらも、強い意思を表した少年の姿を思い出し、「――出ていく日がくるといいな」と、契約書の変更を秘書に命じた。  数分して新しくなった書類に目を通し、先にサインをし、テーブルの上で少年へと書類を滑らせた。秘書が、少年の横にひざまづき万年筆を差し出した。  「読んで理解できるなら目を通せ。そうでないなら、時間の無駄だ。サインだけしろ」    少年は契約書を斜めで読むが男の言う通り、難しい文章の羅列は全く理解ができなかった。だが、「契約終了時には甲は乙の身柄を解放する」とう文章を認め、示されたところに名前を書いた。  秘書が書類と万年筆を回収するのと入れ替わりに、別の男が白いケースを抱えてきた。  「お前は今日から本名を捨て、刹那(せつな)と名乗る。生活については家令のサンドルに、教育については要に聞け」    秘書が、「サンドルとお呼びください」と頭を下げた。   「待って、あんたの名前は?」 「お前のご主人様は(れい)様だ」  刹那の背後から冷たい声がかかる。  (かなめ)と呼ばれた男は、テーブルの上に音を立てずにケースを置き、刹那と呼ばれるようになった少年を立たせてバスローブをはいだ。全裸になり、自然と股間を両手で隠すが、要はそれに構わず、その白い首に黒皮のベルトを巻いた。小さな蝶番で止められ、鍵無しでは外せないようになっていた。刹那は、蝶番の音が先ほどのラブホテルの施錠の音に重なった。もうどうやっても元の生活に戻れないことを自覚した。  要は刹那の肩に白いシャツを羽織らせて「自分で止めろ」と言って、ケースの蓋を重ねた。白いシャツは膝上十センチほどまで裾が長いが、股間が気になって裾を伸ばす。   「下着は?」 「要。今の刹那を消すまで、徹底的にやっていい」    刹那の質問は黙殺されて、不穏な単語が玲から発せられた。 「承知いたしました。Néant(ネアン)にはいつ頃とお考えですか?」 「一週間だ。どんな状態でも一度連れていく」 「承知いたしました。明日はメディカルチェックですか?」 「そうだ。手配しておけ」    深々と玲に頭を下げて、刹那に「案内する」と立ち上がるよう促した。  玲はフランス語で、電話をかけており、退出する刹那に一瞥もくれなかった。

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