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第6話 大量学習 前半

 昼食後、またポージングかな、と気楽に考えながら食事を摂っていた刹那は、肘をつくなと要から左肘に鞭を入れられた。   「すみ、申し訳ございません」    謝罪の言葉を反射的に口にして、姿勢を正す。   「午後は座学を行う」    食後の歯磨きを終えた刹那は、昨日までと違う、防音が施された部屋に通された。  拘束具のついた椅子、その正面に4つのモニターが置いてあった。  昨日のメディカルチェックを思い出し、反射的に嫌悪感を抱くが、予想通りその椅子に座るよう指示され、ひじかけに両手が、足元も膝下が固定された。それだけではなく、頭にヘッドギアを被せられて、強制的にモニターと向かい合わされ、素通しのメガネがかけられた。  要が、刹那の背後でノートパソコンを操作する。  目前のモニターの上部2つの画面が開き、1つは【新人研修プログラム】という文字が、もう1つは怯えた刹那を正面から捉えたリアルタイムの映像が流れた。  【新人研修プログラム】というテキストが変わった。黒背景に白い明朝体で『第1章 1. 性的行為から「顧客満足度向上サービス」への意識転換』というタイトルが表示され、感情を排し、落ち着いたトーンのアナウンサーの声が始まった。   『これより、基礎技術篇、フェラチオの講義を開始します。  まず最初に、あなたの意識を根本から転換する必要があります。  あなたがこれから行うのは、性的行為ではありません。それは、アマチュアの感傷的な誤解です。我々が提供するのは、「顧客満足度向上サービス」。クライアントの投資に対し、最高の価値を提供し、リピート率と客単価を最大化するための高度なビジネス行為です』    内容とナレーションが間違っているのではないかと刹那は驚きつつ、画面に注視する。   『このプロセスにおいて、あなたの個人的な感情――羞恥、快感、嫌悪――は、サービスの質を低下させるノイズであり、除去すべきバグに他なりません。あなたは奉仕者ではありません。あなたは、最高のパフォーマンスを発揮するために存在するプロダクトです。本講義で学ぶ全ては、そのための技術です』    プロダクト、という言葉に一昨日体の内部を計測されたときに感じた虚しい気持ちが胸にひろがった。  新しい価値観に戸惑っている間に、残り2つのモニターに光が入った。    AIがデザインした男性キャラクターが、流暢にフェラチオの定義と目的について話し始めた。  刹那は「フェラチオ」という言葉を聞いて、苦いものが込み上げた。しかし、学術としての淡々とした説明が「情報」と捉えられるようになり、嫌悪感は徐々に消え流れる説明に没入していった。  常に、驚きながら画面を見る自分も視界に入る。悪趣味だと思う間もなく、次々と知らなかったことが流れていくために自分の表情が映るモニターへの意識は少なくなっていった。    上の画面は【1-2. 顧客(クライアント)に与える心理的効果:支配欲の充足と精神的依存の形成】と変わった。性器をくわえる行為が、クライアントにとってどのような心理効果があるのか、実例を伴いながら説明が始まった。  講義一時間毎に五分の休憩が用意されていた。  椅子の拘束が解かれ、目薬とグラス一杯の水が渡される。体をほぐしきる前に休憩が終わり次の講座が再開された。  一時間前後で、一章が構成され、【第2章:解剖学 — 体の構造理解】では、男性器の各部名称と機能や形状・サイズ別の分類。そしてアプローチの基本パターン、神経分布と快感のメカニズムなどで外科的に理解を深めた。  【第3章:衛生管理と準備 — プロダクトの品質維持】【第4章:基礎技術① — 唇の使い方】【第5章:基礎技術② — 舌の技巧 】と、実技の映像研修がひたすら続いた。  刹那は椅子に拘束され、ただひたすらに情報の奔流を浴び続けた。  序盤こそ、映し出される生々しい映像に、刹那は羞恥心と嫌悪感で体をこわばらせていた。しかし、聞きやすい声で進むナレーションによって、性行為が講義内容へと分解され、生々しさの無いCGにいつしか「学習」という気持ちに変化していた。    【運動パターン:回転、上下運動、タッピング、波状運動】    モニターには、男性器の構造を解説する精巧な3Dモデルのアニメーションと日本語の名称。続いて人間の舌が現れて、ナレーションが説明する様々な舌の動きが表示される。   『舌の運動パターンは、主に4つに分類されます。これらを組み合わせることで、単調な刺激を、芸術的なフルコースへと昇華させることが可能です。  第一に、回転運動。舌先を使い、亀頭冠の縁をなぞるように、正確な円を描きます。これは、顧客の期待感を高めるための、序盤の演出として極めて有効です。  第二に、上下運動。最も基本的な動きですが、重要なのは圧力と速度の精密なコントロールです。顧客の呼吸のリズムに合わせ、その振幅を変化させてください。  第三に、タッピング。キツツキが木を突くように、舌の先端のみを使い裏筋などの特定のポイントを、小刻みに、リズミカルに刺激します。  第四に、波状運動。舌全体を、蛇のように滑らかにうねらせ、竿部分を根本から先端まで舐め上げます。広範囲に、官能的な刺激を与えるための技術です。これらを、無秩序に行うのではありません。顧客の反応を常に分析し、最適なコンビネーションを、その場で構築してください』    パターン別に分類されて動く舌に、動く方向などが丁寧に矢印で説明が入る。  刹那は自由に動く舌を、ナレーションと同じように動かしていた。口をわずかに開け、ちろちろと動く舌先が見えたところで、その姿が視界に入り、慌てて口を閉じた。    【第5章、中級技術 — 喉の制御と呼吸法 】が終わったところで夕食休憩となった。  30分の間に夕食と排泄をすませるにとどめた。  夕方までは理論と各行為を分解して説明が行われ、夕食後はそれまでに得た知識の応用編だった。  軽食とはいえ、同じ姿勢で映像を見続けていることに飽きがきて、瞼もゆっくりと閉じていく。抗いがたい眠気が刹那を襲った。室温、アナウンサーの抑揚のない声、そして、あまりにも膨大な情報量に彼の脳が自らを守るためにシャットダウンしようとする。  意識が、ゆっくりと落ち始めた。    パシンッ!    静寂を切り裂く鋭い音と太ももに走る焼けるような痛みが、刹那の意識を強制的に引き戻した。  視界の端に要が立っていた。その手には、見慣れた黒い鞭。   「集中しろ」    感情のない声が、部屋に響く。  緊張感が満ちた刹那は映像に集中する。しかし、同じ姿勢を続ける苦しさから肉体が拒否感を示し、集中力が途切れがちになる。そのたびに、要の鞭が、柔らかい腿に容赦なく振り落とされていた。    【第6章:応用技術① — ポジション別アプローチ】に続いて【6-1. 対面座位(能動的奉仕):自らが主導権を握る場合の視線と動き】と表示された。そこで映像が中断された。刹那はようやく終わったとあくびをしたところで、太ももの内側を鞭で打たれた。   「間抜けな顔を晒すな。集中力を戻すために、体を動かす」    拘束を解かれ二本足で立つと、「シャツを脱いでよつんばいになれ」と要からの命令に両手を床につく。首輪に犬の散歩用のリードがつけられて、入り口へと歩き出した。部屋の中だけを歩くのかと思ったら、ドアを開けたので、刹那の体は動きを止めた。  要は、まるで散歩中に動かない犬を引っ張るように力強くリードを引き、部屋の外へと、そしてそのまま玄関に向かった。要の歩く速度に追いつくように急いで手足を動かす。玄関の冷たい石の温度に四月の寒さを思い出したが、要は構わず玄関のドアを開ける。  刹那は久しぶりに夜の外の匂いを嗅いだ。21時をまわり、神楽坂の夜もしんと静まり返っている。  冷たい新鮮な空気に包まれて、顔をあげ目を閉じて匂いを嗅ぐ姿はまるで本当の犬のようだと、要は刹那の順応性に少しだけ唇の端を緩めた。  芝生へと進む。最初こそ芝生の感触に恐る恐るという風に進んだが、手足を傷つけないと理解したようで要の速度に合わせて進み始めた。サクリサクリと芝を踏む要の立てる音と騒がしく動く刹那の音。刹那はまだその音に気づいていない。  警備員代わりに外壁や灯籠など要所に監視用カメラがあり、玲がそれを通して見ていることも刹那は知らなかった。   「仰向けになれ」    刹那は手足が痺れてきた頃だったので、素直に池のほとりで背中をつけたが「手足を伸ばしていいとは言っていない」と言われ、慌てて中空で手足を浮かせるように止めた。要の鞭の先が首から胸、股間から太もも裏となぞっていく。夜の空気の中で唯一動くものに刹那は意識を向けていく。   「膝を持て」    刹那は両膝の裏を自身で抱え込んだ。   「広げろ」    刹那は月明かりの中に、表情が暗くよめない要に股間を広げて曝け出した。今まで隠れていた場所にひんやりとした空気が沁みていく。その姿勢を数分させたあと、四つん這いに戻り、尻を高くあげさせた。胸元が芝生にちくちくと擦られる。そこで「尻を横に振れ」と言われ、その通りにする。太ももの内側にペニスがピタピタと張り付く感触が奇妙に思えた。   「警備員もお前のその姿に喜んでいるだろうよ」    すっと刹那の胸に暗いものが落ちて動きが止まった。  誰かに見られているなんて考えもしなかった。こんな広大な敷地に警備員がいないとなぜ思いつかなかったと言葉をなくした。調子にのって恥ずかしいことをしていたことに体がこわばるが、尻たぶを鞭で打たれ「動かせ」と言われ、のろのろとさっきよりも遅い速度で高くあげた腰を左右に振った。  15分ほどの散歩の後、刹那は裸のまま再度椅子に拘束され、映像の続きを見た。  汗でしっとりと椅子の革が直接肌にはりつくが、第三者に見られていたという衝撃にうちのまされたままだった。    【6-1. 対面座位(能動的奉仕):自らが主導権を握る場合の視線と動き】というテロップに続き、映像は、ホテルの一室のようなセットになり、CGではなく人間がモデル役となるリアルな映像になった。プロダクト役の青年が、椅子に座る顧客役の男の前に跪いている。   『第6章、応用技術。その1、対面座位における能動的奉仕。このポジションにおいて、あなたは肉体的には服従しながらも、精神的にはこの行為の「主導権」を握っているかのように演出しなくてはなりません。最も重要なのは視線です。決して羞恥心から目を逸らしてはなりません。潤んだ瞳で伏し目がちに、しかし、はっきりと顧客の目を見上げてください。それは「あなたに奉仕させられている」のではなく、「あなたに奉仕したくてたまらない」という、倒錯した崇拝のメッセージとなります。手は決して遊ばせないこと。顧客の膝や太ももに置き、時に強く掴むことであなたがこの行為を渇望しているかのように演出します。顧客に腰を動かさせるのではなく、あなたが自ら顧客の腰を引き寄せるのです。全ては顧客に絶対的な支配者であるという幻想を、完璧に与えるための「演技」です』    ナレーションの通りに動く青年の視線や手の動きに、赤のラインが重ねられ強調表示される。  目と耳から同時入力される状態に刹那の精神は奇妙な状態に陥った。  それは、まるで飽和状態のスポンジのようで、流れる新しい情報を感情と共に受け入れる余地はなく、ただ目の前を映像が流れていく。肉体は鞭の痛みで悲鳴を上げているのに、心は何も感じない。羞恥も、嫌悪も、興奮も、全てが遠い世界の出来事のようだった。無数の男根、開かれた口、恍惚と歪む顔、顔、顔……。それらは、もはや彼にとって、ただの「データ」であり、分析対象の「映像素材」に過ぎなかった。  鞭の音以外、要は何の音も立てなかった。息遣いさえ聞こえない。  まるで、部屋の隅の暗闇が、そのまま人になったかのような絶対的な静寂。その静寂こそが、刹那の神経をじりじりと追い詰めていった。  モザイクなどなく、青年は実際のペニスを頬張る。  モニターは青年からの視線、クライアントから見た青年の視線、手のアップや全体像など4つのカメラアングルで説明が始まった。説明を聞いて演技だとわかっているものの、青年はくわえたくてたまらない、といった様子に刹那には見えた。  焦がれられている。自分が青年に強く求められている。青年をどうにでもできるような、不思議な高揚感と同時に、そのペニスをくわえたいという気持ちもわいてきた。  いつしか刹那は、青年とクライアントの両方の立場で映像をみていた。  深く喉までペニスをくわえて、舌が動くのを素直に見た。知識として、どう動かしているのかをなんとなく理解でき、刹那は急速に映像へと集中を始めた。午後から夜まで通してみていた知識が線と繋がった瞬間だった。  モニターに刹那の表情が映らなくなったことで、刹那は動画に集中し、指先は青年と同じように動き、舌や口もなぞるように大きく蠢いていた。  刹那が映像に没入したことで、要も刹那の背後に座りなおした。  【第7章】が終わり、講義は最終章に近づいていく。    【第8章:心理戦術① —「演技」としての喘ぎ声と表情 】    映像は、様々なシチュエーションでの、プロダクト役の顔のアップ映像になる。   『第9章、心理戦術その1、喘ぎ声の分類。喘ぎ声はあなたの感情の吐露ではありません。それは、顧客の満足度を最大化するための計算された音響効果です。顧客のデータに基づき、最適なキャラクターを演じ分けてください。  一例を挙げます。  タイプA、無垢型。『ひっ』『ぁ……』など、息を呑むような、短く、高いトーン。初めての経験に戸惑い、恐怖しているかのような演技は顧客の加虐心と征服欲を強く刺激します。  タイプB、淫乱型。『んん……っ』『ふぅ……』など、喉の奥から漏れるような低く湿ったトーン。行為に慣れ、快感に溺れている演技は、顧客に倒錯的な共犯者であるという満足感を与えます。  タイプC、苦痛型。『や……っ』『痛……い』など、抵抗と痛みに耐える声。ただし、本当に拒絶していると誤解されないよう、その中に微かな快感の響きを混ぜることが必要です。  タイプD、懇願型。『もっと……』『お願いします……』など、自らさらなる行為を求める言葉。顧客の自尊心を最も効果的に満たすことができます。これら50以上の音声パターンをマスターし、状況に応じて自在に使い分けることが一流のプロダクトの条件です』    映像はタイプAから、1つずつ喘ぎ声と表情を映し出していく。刹那は小さな声だったが、語学練習のように映像の後に繰り返し発声していた。淫乱型の説明時には、表情すら真似ていた。続いて、表情に特化した講義映像がつづき、【第9章:心理戦術② — 顧客(クライアント)の反応分析】、【第10章:クライマックスの演出と事後処理 】と実際の行為についての講義が続いた。セックスを終えたピロートークや、別れ際の顧客満足度を最大化するためのアフターケア。そして、次回予約への誘導が終わったところで、10分の休憩となった。時計が無い部屋なので、刹那は認識していなかったがすでに連続講義映像の視聴は11時間に及んでいた。情報過多で感情や感想は欠落しており、肉体疲労も限界を超えていた。刹那は目を閉じて静かに休んでいた。    要によって最後の一時間の講義が始まった。    【12-1. 全10章の、高速ダイジェストレビュー】で、各章の要点が流された後に、画面は黒背景と白い文字で【12-2. 支給された器具(ディルド)を用いて、本日学習した技術を正確に再現すること】と表示された。  手足の拘束を解かれ、刹那はぐらりと姿勢を崩したがナレーターの声は冷たく、無機質に『――総合演習を開始します。画面に表示される指示に従い、支給された器具(ディルド)を用いて、本日学習した技術を無言で正確に再現しなさい』と告げた。刹那はもう少しだ、と自分を奮い立たせ椅子の背に体重をかけて座り直した。要は、銀のトレイを刹那に差し出す。そこには雄々しくそそりだつ30センチ近いリアルな男根のディルドがあった。  根本は肌色だが先端に向かって幾筋もの太い血管が走り、先は傘が開き黒ずんでいた。使い込まれたような色と形をしていた。   「さぁ手に取れ」    促されて、手に取ったディルドはずっしりと重く、温かさすら感じた。  映像にあったように、両手で持って先端に唇を押し付けて、その大きなカリ部分を含むように口を開いた。習得したばかりの「技術」の再生をしようと何度か出し入れをしていると、ぐちゅぐちゅと自身の唾液で濡れた音がし始めた。  唇の角度はこうやって、舌はタッピングから波状運動を行い、喉の使い方は――、と映像を思い出しながら両手でディルドを捧げ持ち、側面を舐めたり舌を見せつけるように舐め上げたり吸い上げたりした。感情は平坦な波のようで、フェラチオへの嫌悪感は無いが、学習したように嬉しい、しゃぶりたいと思う気持ちもわきあがってこないまま10分ほどじゅるじゅると男根に吸いついていたところで、ディルドをとりあげられた。  やっと演習が終了したと、安堵したところで、再度モニターに光が灯った。   【最終課題:射精】【あなたの肉体が、本日の学習内容を、完全にインプットしたことを物理的に証明しなさい】と表示された。  頭脳・肉体ともに疲労困憊で、まったく射精をする気持ちにはなれなかった。  のろのろと自身のペニスをしごくが、ふにゃりとしたまま反応を見せない。  今日の講義を思い返そうにも、映像の断片が走るだけだった。確か、最初の頃に神経分布と快感のメカニズムを習ったはずだ、と思い出すが、映像の内容までは思い出せなかった。   「できないのか?」 「――できません」 「12時間講義を受けても何の意味もなかったな」    そう言われても、反抗心は湧き上がることなく、ただ絶望を感じていた。言われるように、半日映像を見ても自分は何もできなかった。これほどまでに何もできない存在だったのかとうつむく。  玲に投資をもちかけた勇ましい気持ちはすっかり消え、去勢されたように反抗心がわいてこなかった。    玲の「プロダクト」として、最初に味わった、本当の「失敗」だった。

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