4 / 17
第4話
「どう思う?」
電話口の何とも言えない新條 の声の調子に、音原はう~んと唸った。
音原はオタクだ。ゲームとアニメが好きで、あとちょっとだけ腐男子でもある。ちなみに腐男子であることは新條にもそこまで伝えてはいない、つもりだった。
しかし今や新條は、音原の事を男性同士の恋愛の達人であるかのように頼ってきている。どう対応すればいいのか。音原自身は勿論恋人いない歴がイコール年齢の人間だ。そんなやつがどの面下げて人の恋愛にアドバイスしろというのか。
だが、新條は本当にどうすればいいかわからない様子だった。嫌がっているわけでも困っているわけでもなく、単純に「どう接するのがいいのかわからない」といった感じなのである。そういう偏見のないところが新條という人間の魅力で、だから自分も友人になったのだったな、と出会った時のことなんかに思いを馳せてしまっていた。
「音ちゃんの読んでる漫画とかだと、どんな感じで話が進むわけ?」
今まで全然BLに興味なかったアキがめっちゃ興味持ってる‥!
アキ(=新條)はどちらかといえば、人間関係の構築に力を入れないタイプだ。自分の好きなことに没頭して、それを邪魔するものはどんどん排除していく。オタク気質というか、あまり他に目を向けないのが新條秋親 という男である。
だが不人情かと言えばそういう訳でもなく、困っている人や弱者と言われる人たちにはちゃんと親切にする人間らしさを持っている。ただそれを大っぴらにはしたくないようで、助け方が人目につかない形になっているが。
新條秋親は、目立つことが嫌いなのだ。
そのくせ、自分の主義主張は曲げないから、そこにぶつかられると周りを気にせず意見(毒ともいう)を言う。上級生が新條の教室に向かっていったのを見た時には、これは間違いなく新條が何かやらかしたんだなと確信したほどだ。
そういう人間である、新條秋親が、弱って困っている。
今年から同じクラスになった笹井修一郎という男のせいだ。
音原は笹井とは知り合いではなかったが、そのガタイのよさとまあまあ整った顔かたちからクラスメイト達の噂になっているのを何度か聞いていたし、その顔も見知っていた。
笹井はいつも覇気がなく、世の中のことなんてどうでもいい、という顔をしていた。興味のあることにいつも一生懸命な新條とは真逆のタイプに見えた。
体格がいいから色々な運動部に誘われていたが、「デカいだけでトロいんで」と全ての誘いを断っていた。誰かとつるむでもなく、いつも大体一人でぼんやりしている男、それが笹井だ。‥と、思っていた。
ところが新條と同じクラスになって、笹井は急に「新條と友達になりたい」と言い出した。しかも理由は「新條が好きで、知りたいから」。
そんな、今どき漫画でも使われないような理由で友達になってほしいと明言するやつが存在するとは。
しかも、音原まで友達申請をされた。ほぼ新條のおまけ扱いだったが。
笹井は、何か喋るわけでもなく、大体は音原と新條が話すのを横で黙って聞いていた。時折質問をしてくるのだが、話の流れを邪魔しないようにタイミングや内容にも気を遣っているのがわかる。なんだ、顔はちょっといかついけどいいやつじゃん、と音原は思った。ただ、「新條が好き」という彼の意思表明をどうとらえていいかはわからないままではあった。
新條によれば、今日笹井は「性的な意味でも新條が好きだ」という意思表明をしてきたらしい。新條自身は恋愛自体をしたことがないので、相手が同性であることに忌避感はないと言う。ないんだ、忌避感‥とは思ったがややこしいのでそこはスルーしておいた。
音原はごくりと唾を呑み込んだ。音原は腐男子ではあるが、かといって自分の性的指向が同性なわけではない。単純に「エロいもの」として捉えた時にたまたまBLのエロいヤツの方が男女を描いたエロいヤツより音原の感性に嵌まっただけである。
つまり、音原のBL好きは単なるエロネタ好きであり、他人に何かしら助言ができる立場ではないのだ。音原の嗜んでいるBLはもっぱらあんあんひいひい言ってる場面ばかりのものなのだ。
「あの‥アキごめん、俺の読んでるBLはさ、ほぼエロ本と変わんないから‥あんまアドバイスとかできない」
「そっかあ」
新條はそう言って黙り込んだ。何か考えているのか。ここはせっかく自分を頼ってくれたんだし、ぜひ何か言ってあげたい。音原は今まで読んだBL本の知識を猛スピードで総ざらえしていた。しかし音原が有用な知識を引っ張り出す前に、新條が爆弾を投じてきた。
「キスはしてみたんだけどさ、よくわかんなかったんだよな。まあそんなに嫌じゃなかったけど」
「へえあ?!」
音原は驚きすぎて一瞬携帯を放り投げてしまった。ベッドの足の方に転がった携帯から「え?お~い音ちゃん?」と新條が呼んでいる声が小さく聞こえてくる。
音原は慌ててベッドの方ににじり寄り、携帯を拾い上げた。そして恐る恐る尋ねてみる。
「ア、アキ、え、今日、笹井に、迫られたの‥?いや、キスしてみた‥って言ったよね、ええっまさかアキからキスしたの⁉」
「うん、何かわかるかなと思って」
変わり者だとは常々思っていたが、ここまで変わり者だとは想像していなかった。右手に携帯を握りしめながら音原はうなだれて、はああと深いため息をついた。
もはや自分がどうこうできる事態だとは思えない。
「キスしてみたって‥アキなんでそんなに思い切りがいいんだよ‥。普通そのキスに至るまでに色々もだもだあるもんなんだよ!?」
ついつい、新條を責めるような口調になったのも仕方ないのでは、と思いつつ音原は言った。新條が「そうなんだ?」とあまり納得していないような口ぶりで返してくる。
他人事ながら、なぜ笹井はこんな変わり者を好きになってしまったのかと思わず同情してしまった。
「アキ、俺も恋人いない歴がイコール年齢の人間だからあまりいいこと言えないけど、あんまり笹井にその、キスとか、仕掛けるなよ?向こうも戸惑っちゃうかもしれないだろ?お前のこと好きって言ってるくらいなんだから」
「戸惑う‥」
あ~何もわかってねえな、と音原は思った。新條の好きな漫画やアニメのジャンルに、恋愛要素が入っているものはほぼないことをこのタイミングで思い出す。
「笹井はさ、アキの事が好きなんだからキスとかされたら自分のこと好きなのかなって期待しちゃうだろ?アキがまだ気持ちが定まらないってんなら、あんまりむやみに期待持たせるようなことをしない方がいいってことだよ」
「‥‥なるほど」
少し考えこんで、珍しく新條が神妙に返事をした。音原は、笹井俺に感謝してもいいぞ、と心の中で笹井に呼びかけながらとりあえず話が終わりそうでほっとした。何分 この話は自分には荷が重すぎる。
「なあ、同性の恋愛って、何がゴールになんの?」
そこに再び新條が爆弾を投下してきた。‥ゴール?ゴールって何だ?
「ゴールって何?」
「いやあ、一応さ、異性だったら結婚てのがゴールみたいに言われるだろ。でも現状日本では同性の結婚は認められてないから、今現在同性同士で恋愛している人たちのゴールって何なのかなって思ってさ」
また何という重いテーマをぶっ込んでくるのだ。日本という社会の仕組みの根幹に切り込むような話題を、BL本をエロネタにしかしてない高校生に振らないでほしい。
「‥‥ごめん、アキ、その話題俺には重すぎてわからん。‥アキが自分で考えてみたらいいんじゃないかな‥」
音原は、頭の中でバンザイ降参ポーズをしながら日本の社会問題を無責任に友へと放り投げた。
俺は今、初めて衣服に全く頓着してこなかった自分を呪っている。
新條と初めて出かけるのに、適切な服が、ない、ように思える。
箪笥の抽斗 を引き開けたまま、もうかれこれ十分くらい固まっている。
ちょっと新しいTシャツかちょっとくたびれたTシャツくらいしかない。
「仕方ない‥せめて新しいヤツにするか‥」
いくら睨んでいても服が増えるわけではない。約束に遅れるわけにもいかないので、春ごろに買ったネイビーのTシャツにチノパンを履いて、ワンショルダーのバッグを背負って家を出た。
「よう」
昨日ぶりの新條だ。二度目の私服だが、前回は新條の武闘派な部分に驚いてあまり印象に残っていなかった。今回が俺にとっては実質、初私服の新條だ。
新條はオフホワイトのざっくりとしたボタンシャツに細身のブラックデニムといういで立ちだった。何だか少し幼く見えて可愛いと思ってしまう。
「なんか穴場があるんだって?」
そう言いながら新條は座っていた花壇のふちから立ち上がった。眼鏡はいつもと同じ、大きな黒縁眼鏡で前髪もいつもと一緒。あまり目が見えないのが残念だ。
「ああ、ガチャマシンが並んでるんだけどあんまり人通りがないところだからひょっとしたらあるかもと思って」
夜の街を当てもなくうろうろしていた時に見つけた場所だった。新條から「もう人気だから結構売り切れて中身変わってるところもある」と聞き、考えに考えて思い出したところだ。
そこは俺たちの最寄り駅から一つ電車を進んだ駅の近くにあり、ビルの隙間にある小さなゲームセンターの後ろの方にひっそりと三十台ほどのマシンが置かれているところだった。
電車で新條と並んで立つ。俺からは新條のつむじが見える。ふわっとシャンプーの香りがした。
「‥新條、身長何センチ?」
気を紛らわせるために話をする。新條はちらっと俺を見上げて少し嫌そうに言った。
「168cm。多分もう伸びないな。170は欲しかったんだけどな‥笹井は?」
「四月に測った時は186cmだったな」
「デカ」
新條はそう言ってドン、と俺の腹を軽く殴った。思わずその手を取る。意外に骨ばっている手だった。なんとなくそのまま握っていると、電車が目的の駅についてしまった。
「降りるんだろ?」
と言って新條はするりと手をほどき、先に歩いて行った。ほどかれたが、嫌がられてはいなかった気がする。俺は新條の後ろを追いかけた。
横に並んでまた話しかけた。今日は、できるだけたくさん新條の声が聞きたいと思っていた。
「ルルイって、一巻には出てこないよな?」
「ああ、ルルイが出てくるのは三巻から‥え、笹井読んでんの?」
新條がばっと顔をあげて俺の顔を見てきた。前髪と眼鏡の隙間から、あの少し小さなきらきらした目が見えた。
「あ、えと、一巻しか持ってない」
「はあ?逆になんで一巻でやめられんの?絶対次読みたくなるだろあれは!」
新條がテンション高く俺に迫ってくる。俺は、新條に近づきたくて読んだだけだという不純な動機を隠してどう話せばいいか必死に考えていた。
しかし新條はすぐに言った。
「貸す。二巻から続きを貸す!絶対読め、絶対ハマるから!」
「お、おう、ありがとな‥」
「俺あんまり本貸すの好きじゃねえんだけど、笹井なら大事に読んでくれそうだし」
新條はそう言ってにっと笑った。
か、かわい‥‥
あらぬところが熱くなってくる。昨日やってしまった事を思い出して反省した。今日も会うのに、新條で抜いたりするんじゃなかった‥。
俺はもごもごと曖昧な返事をしながら新條をガチャマシンのところまで案内した。新條は目を輝かせ「ここは知らなかった‥!」と言いながらマシンをチェックしている。
「あった!!」
新條が嬉しそうに叫んだ。俺はすぐさま新條の傍に行ってそのガチャマシンを見た。まだカプセルは結構入っているように見える。新條が欲しいものが残っていればいいが‥。
「新條どいてくれ。俺が回す」
新條は「は?」と言ってきょとんとした顔をした。
「あれ、笹井も欲しかったのか?」
「いや。でも俺のせいで新條が欲しかったやつ駄目にしたから、俺が回す」
新條に止める隙を与えないよう、あらかじめ俺は両替して、百円玉を結構持参してきていた。ガチャは一回につき400円だった。すぐに硬貨を入れて回した。
「ザンガだ」
次。
「またザンガだ。主人公だからな」
次。
「レンだ」
次。
「ロウェインだ。これも結構レアだよ‥笹井、もういいよ。もう四回も回してる」
新條が四回目でも外した俺に、そう言ってきた。俺は黙って硬貨を投入した。百円玉は三千円分持ってきた。まだあと三回は回せる。
ガタン、と音を立てて丸いものが転がった。
「ああ、違う‥え?あ!わあああ!」
カプセルを開けた新條が絶叫した。今まで聞いた中で一番の大声だった。新條はカプセルを持ったままぴょんぴょん跳ねまわった。
「笹井、笹井!!すげえ、ルルイのゴールドだ!シークレットのやつだよ!マジかこんなことあるのか!すげえええ!」
新條は早口でそう言うと、カプセルを片手に持ったまま俺に飛びついてきた。
文字通り、飛びついてきたのだ。
つまり、俺に抱きついて、足も俺の腰辺りに回して、しがみつかれた。
ぶわっ!!と身体中が熱くなった。首筋に新條の息がかかった。
「あ」
新條が俺の首横で声を出した。
俺の愚息が、元気に主張しているのを新條の腰で確認されてしまった。‥‥いくら何でも反応が早すぎないか?俺のちんこよ‥
「なんか、すまん」
新條はそう言った。
「あ、え、いや、こっちこそ、ごめん」
俺もドキドキしながらそう言った。
しかし新條は、足は下ろしたが、首から外した手を俺の身体に回してぎゅっと抱きついた。
「本当に俺で勃つんだな、笹井」
「あ、うん‥ごめん、きしょいよな」
「いや、そんなことはない」
新條はなぜ俺に抱きついたままなんだろう。愚息 は大喜びサンバカーニバル状態でガッチガチだ。愚息 は新條の腹部にぎゅっと当たっていて、新條腹筋あるなあ、なんて思って。
「笹井」
「‥うん?」
「俺、色々調べてみたんだよ」
新條、とりあえず離れなくていいのか。ここは人通りは少ないが、ゼロじゃない。ほら、今も通りすがりのお姉さんが胡乱気に俺たちを見ていったぞ。‥俺の愚息 はどんどんガッチガチになってるぞ‥
「な、何を」
「男同士の、色々」
「え」
新條は俺の胸の辺りで顔をあげて俺をじっと見た。
「笹井は、俺に突っ込みてえの?」
俺は、何の試練を与えられているんだろうか。
新條秋親は何を考えて行動しているのかについて、どこかに解答集は売ってないだろうか。
「‥新條は突っ込まれていいのか?」
新條はじい、と俺の顔を見て言う。
「この身長差で俺が突っ込むの無理がねえか?」
「新條、とりあえず一回離れてもらっていいか」
「なんで」
「‥ちんこいてえから」
ともだちにシェアしよう!

