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第5話
「辛い感じにしちまってごめんな、笹井」
そう言って新條 は離れてくれた。俺の愚息 はまだわーいって感じで臨戦態勢だ。頭の中にヒーリングミュージックをかけ大海原を思い浮かべる。平常心だ、平常心を取り戻せ、俺‥。
深呼吸を繰り返す俺を、少し離れたところで新條は見つめている。できればあまり見ないでほしい。何が悲しくて愚息 をどうどうとおさめているところを、好きなやつにガン見されなきゃいけないのか。
しかし新條に何か言うこともできず、とにかく俺は深呼吸を繰り返した。五分ほど経ってようやくおさまった俺に、新條が話しかけてきた。
「笹井、俺とセックスしてみる?」
ぴーぴーぴぴっぴぴーぴーぴー!ズンドコズンドコズンドコドコ!
再び愚息がサンバカーニバル状態になってしまった。新條は何を言ってるんだ。アレ新條って宇宙人だったかな‥。
「新條おれの事、別に好きじゃないだろ」
自分を落ち着けるために俺は基本的な情報の確認をした。
「いや、好きだけど。ただ、セックスしてもいいくらい好きなのかはわからないからさ。してみたらなんかわかるかなって」
だから!
新條、お前は!
なんでそういう思考回路なんだ!?
『してみたら』って二言目にはお前!
「調べてみたらさ、突っ込まれる方は結構いろいろ準備がいるんだよな。もしやるなら、笹井に確認取ってからやってみようかなって」
「へ‥?あの、面倒でメンタルちょっとやられそうな作業を‥?」
俺は自分で調べた時に思ったことをそのまま口に出してしまった。‥あれを、新條が、俺のためにやってもいい、と‥?
新條はこくんと頷いた。
愚息はぴーぴーぴぴっぴぴー!と浮かれまわしてガッチガチだ。
だが、待て愚息。またの名をちんこよ。
大事なことを、忘れてはいないか。
「新條、俺は、お互いの気持ちがある中でそういう事をすべきだと思っている」
いや正直なところで言えば、めっちゃお願いしたい。突っ込みたい。セックスしたい。
だが、セックスはただ快楽を得る手段として取るものではない筈だ。
俺が、新條で抜いてしまったときだって、妄想の中でお互い愛を囁いていた。決して新條の気持ちがない状態で無体を働くような妄想はしていない。妄想でさえもしていなかったのだ。
新條は俺の言葉を聞いて、「ふうん?」と小首をかしげた。やめろかわいいから。
「だから、俺は笹井が好きだって。でもその好きが恋愛か友情かわかんねえからセックスしてみようつってんの。それもダメ?」
「‥‥‥」
セックスは愛があってこその行為だ。
俺は固くそう信じている。
「笹井?」
だが俺は、健康な高校生男子だ。
「わ。わかった‥」
しかし俺にも良心は残っている。
「‥でも、それでやってみて、やっぱり違ったわ、ってなったら‥新條のダメージがでかくないか?精神的にも、その、身体的にもさ‥」
そう言われても、新條はあまり顔色を変えずにさらりと答えた。
「それは、そうすると決断した俺の問題であって笹井が心配することじゃねえだろ」
‥新條、お前、男前すぎないか。
そんなちっさいなりで、ぱっと見いかにもな陰キャのくせに、なんでそんな中身は思い切りがよくて好奇心旺盛で男前なんだ。
俺は、新條のきっぱりとした言い方に全く反論できなかった。
新條は続けて言った。
「最初は、笹井を変なやつだと思ったけど、話してみたらいいやつだったし楽しいしさ。‥でも音ちゃんと話してる時とはまた違った感じで楽しいから。確かめたいんだ」
そう言って、またにっと笑った。
俺は、何だか茫然として新條の顔を見つめていた。
その後、「すげえやつ引いてもらったから昼飯は俺が奢る」と言ってきかない新條にファミレスに連れ込まれて。
ミックスグリルのランチセットにデカいパフェまで奢ってもらって。
自分もデカいパフェを豪快に食べて、機嫌よく漫画の話とかしながら笑っている新條を見つめて。
絶対当たらない宝くじに当たってしまったんだと思った。
楽しい。すっげえ楽しかった。
普段、ほとんど話したりしない俺なのに、新條が話すことを聞いて返事をするだけでどんどん会話が進む。それが楽しい。
黒縁眼鏡の奥の新條の小さめな目がきらきら光っている。
ずっとその顔を見ていたい、と思った。
気がつけば夕方まで俺たちは話し込んでいた。少し外が薄暗くなったのを見てそれに気づく。そろそろ帰るか、となった時に新條が言った。
「笹井ってラブホテルとか行ったことある?」
「へっ!?ねえよ?!」
うーんと新條は腕組みをして考え込んだ。
「じゃあどうしようか、頑張って二人で入ってみる?徒歩で行けるそういうところって調べればわかるかな?」
「‥新條、なんでラブホなんだ‥?」
「え、だってお前とセックスするとき場所ないじゃん。俺んちいつも誰かいるしさ。笹井んちだって家族がいるだろ?」
新條の中で俺とセックスするのはもう決定事項なんだな‥。
俺は、ちょっと脱力感を覚えながら返事をした。
「‥俺も探しとくよ‥」
新條は、俺の返事を聞いてもう一度言った。
「じゃあ、そうだな‥。二週間とりあえず時間をくれ。ネットとかで調べて準備を頑張ってみる」
相変わらず思いきりがいいな新條。
全然ためらいなんかないように見えるが‥本当は色々悩んでたりしてないよな。
俺が、新條にエロいことしたいと思ってるって言っちまったから、無理して言ってくれてるわけじゃないよな。
心の中でそういう疑問がいくつもわいてきたが、俺はそれを新條には言えなかった。
「‥という訳なんだけど、音ちゃんはそういうの詳しい?」
音原は一度口に入れた卵焼きをぼとりと落とし、俺は一口かじったパンをそのままグシャッと握り潰してしまった。
新條‥なぜ音原にすべて説明せねばならないんだ‥
音原も硬直して二の句が継げなくなっているぞ‥。
しかしそんなことには全く頓着せず、自分で作ったというデカい握り飯をがぶがぶかじりながら「やり方だよなあ」とか呟いている。
絶望した顔の音原がゆっくりと向きを変えてこちらを見てくる。その目には俺を責めるような、しかしまたちょっと同情するような複雑な色が滲み出ている。俺はいたたまれなくなってそっと視線をそらした。
「‥やっぱドラッグストアとかで訊いてみた方が早いかな?」
「「訊くな!!」」
期せずして俺と音原がハモった。新條はきょとんとして俺たちを見た。
音原ががっくりと首を垂れて、ハアアアアと地獄の底から湧いてくるようなため息をついた。
「‥アキの情緒が死んでるのは知ってたけど‥ここまでとは‥」
新條の情緒は死んでいたらしい。音原と新條の、俺の知らない一年間の結びつきがちらっと見えてちょっと羨ましくなった。音原はまさか俺に羨ましがられているとは全く思っていないだろうが。
新條は首を傾げつつ、もりもりと握り飯を咀嚼して呑み込んでいる。ごくん、と全部呑み込んでから言葉を継いだ。
「だって、よくわからねえんだよ。サイトによって書いていることが違ったりするし‥完全に綺麗にするなら病院に行ってそれ用のドリンク飲んだ方がいいって書いてあるところも、んが」
俺は耐えきれなくなって新條の首に手をかけて自分の方にぐんと引き寄せ、その口を手で覆って塞いだ。それを見て、今度は音原が完全に俺を憐れむような目で見てきた。
「アキ‥。そういう事はね、人前で言わないモノなんだよ‥」
「だってわかんねんだもん。他の人はどうしてんのかな?訊かねえの?」
音原は箸をいったん弁当の上に置いて、じろっと新條を睨んだ。
「訊くにしても高校の昼休みに教室では訊かない!!」
「へえ?」
全然ぴんと来ていない新條に、俺と音原のため息が重なった。音原は今度は俺の方を見ていった。
「笹井、本当にこれ大丈夫?」
「‥俺に訊かないでくれ‥」
新條の首から手を離し、自分の席に座り直した俺はそう返すのが精いっぱいだった。月曜の学校でこんなにも精神が削られるとは、この後残り四日間の学校生活をどう乗り切ればいいんだ。
いや、二週間後と新條には言われているから正確には後十三日間‥。
掌で無残に握りつぶされたあんパンをもそもそかじっている俺を、音原はちらっと見てから新條に小声で話し始めた。
「‥俺の持ってる本で洗浄とかについて結構詳しく書いたやつがあるから持ってくる。後は‥ローションとゴムはいるよ。男同士でもセーフセックス!絶対生ではしないこと!‥あとは、まあ浣腸とか?買えばいいんじゃない?‥それから拡張だよね‥一緒に今度ネットの商品を見てみようか」
「ほうほう」
新條は真剣な顔をして頷いている。‥俺と、セックスをするために、去年からの友達に、昼休みの学校内で、えぐい話をしている。
そしてなんで音原はやけに詳しいんだ。怖いからその理由は聞かないが、新條の傍に音原がいたことは、俺にとってよかったのか悪かったのか。
どういう精神状態でいればいいのかわからない。
味のしない潰れたあんパンを機械的に噛んでいる俺に、くるっと音原が視線をやった。そして少し厳しい顔をして言った。
「アキはちょっと情緒が莫迦だけど、すごくいいやつだから。ヤリ捨てなんかしたら俺だって許さない」
「しねえよ!」
すぐさまそう返した俺に、今度は新條がははっと明るく笑いながら言った。
「ひでえことしそうなら俺が笹井のケツを蹴り上げてやるから心配すんな」
‥身体能力的に新條はできそうなので、ちょっと怖い。
いや酷いことするつもりなんかはさらさらないが。
あっという間に二週間が過ぎた。
三つ駅を行ったところに徒歩で行けるラブホがあることも調べて、なんか予約もできそうだったのでおっかなびっくり予約した。
俺は普段、あんまり金を使う方ではなかったからホテル代には苦労せずに済む。
別のところで苦労しそうな気はしているが‥
昨日は、新條はずっとあまり元気がなく少し赤い顔をしていたので、今日の事を考えて憂鬱になったのでは‥と心配していた。同じく新條の異変に気付いた音原が「大丈夫?」と気遣って尋ねたところ、新條はこう言い放った。
「ああ、今日はさ、拡張のためにプラグを入れて来てるんだよな。そんで、何か少し違和感ある」
音原はそれを聞くなりすぐに俺のところへすっ飛んできて
「ねえアキがこんなことになっちゃってるけど、笹井はちゃんと責任とってくれるんだろうねえ!?」
と涙ながらにまくし立てていた。
その責任の取り方はどうすればいいのか、今のところ俺にもわからない。
「とりあえず、俺は新條のことは本気で好きだから」
と伝えることしかできなかった。
音原は顔を真っ赤にして「信じてるからね!」と言っていた。
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