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第8話 玉石混交の気持ち(新版)

 人気のなくなった喫茶室でくつろぐレナードに、オデルは少しだけ付き合うことにした。  勇気を振り絞り隣りへ腰掛けたオデルへ、レナードは少し寂しそうに笑った。 「きみも、お義父上も、欺く真似をしませんね。貴族の末席に加わったばかりの私を受け入れてくれたこと、感謝します」  夜毎にレナードの寝物語を大人しく聞いているから、オデルが「ドレッサージュの君」を許容しているとみなされている。自覚するたびに、恋をしているわけでもないのに相手を勘繰ってしまうのが、情けなかった。 「善良扱いされるのは、違いますし、くすぐったいです」 「いいえ。きみらは一度として私を蔑まなかった。それは誇るべきことです」  そうだろうか。レナードの提案に食いついたのはローズブレイド公爵家だし、幾ら家格が高くても、オメガであることや財産がないことを引き合いに出されたら、何も言えない立場だった。 「ぼくらは、その……「あの方」について、少し話し合った方がいいと思うのです」 「「あの方」?」 「初夜に……お話しいただいた、あなたの特別な方です」  血の気が引いた指先を握りしめ、決然とレナードを見つめたオデルに、レナードは瞠目した。 「ああ、オデル」  レナードの声が、わずかに喜色を帯びているのは気のせいだ。暴れそうな心を押し殺し、オデルは歯を食い縛る。略称すら呼べずに、曖昧に濁したオデルへ投げられたレナードの柔らかな視線を受け止めるのは、難しかった。 「ぼくらは、レナードの申し出に、多大なる感謝をしています。あなたがいなければ、この邸も何もかも、跡形なく失っていたでしょうから……。使用人たちも、弟たちや、父や、ぼく自身のことも、ちゃんとお礼を言いたいと、ずっと思っていました」  ローズブレイド公爵家が名実ともに今、在るのはレナードの功績だ。いずれ女王に招かれる機会がきたら、今までの非礼を詫び、ぜひこのことを強調すべきだとオデルは決めていた。 「光栄です。ですが、実利家で成金の私が、勝手に動いただけだとは思わないのですか? 私はしがない調教師の出で、所詮、地位と名誉を手っ取り早く買っただけの、成り上がり者とも言えます」 「それは……」 「きみの市場価値をきちんと理解する者がいなくて、幸運でした。おかげで誰にも妨害されずに、いい買い物ができた……と、考えているかもしれませんよ」  露悪的な口調とは対照的に、レナードの表情は柔らかい。自虐を滲ませるレナードに、オデルは何だか苛立ち、少し強い言い方をしてしまう。 「ローズブレイド公爵家と、そこに連なる者たちは、誰ひとり、あなたに協力を惜しみません。あなたが欲しいものは、提供できる限りすべて、お渡しする用意があります」 「ありがとう、オデル。でも……我々についてひとつ言及すれば、私たちの速さで関係を進めば良いのです。きみが私を好きになるまで待つ、と言ったのは本心です。誰にも文句は言わせません。強制もしません。時間はあります」  きっとオデルに圧をかけないように、気を回してくれているのだ。番っていないオメガには、アルファの言葉に従うことが歓びになりうる。これからの運命を思えば、オデルを立てておくことは、レナードにとって必要だろう。 「きみに、少し触れても……?」 「はい……」  オデルは頷き、視線を足元へ伏せた。  本当は少し怖い。昼の光の中での軽いキスや手を繋ぐ以上のことは、羞恥心を掻き立てるからだ。しなやかなレナードの指が伸び、オデルの白銀の後れ毛を一房、摘まんだ。指先に絡ませ、そっと梳かれると、背中がぞくぞくする。 「きれいな髪だと、ずっと思っていました……触れ心地も申し分ない。柔らかくて、素直に形を変えるのに、ちゃんと芯がある。きみ自身のようです」  囁かれると、頬が上気する。自覚と同時に心音が速くなり、オデルはほとんど息を止めていないと喘いでしまいそうだった。 「過大、評価だと……」  きっと、口説いた相手に言う戯言の類だろう。わかっていても、特別な意味などない、と自身を納得させなければ、いられない。オデルが答えると、レナードは再びくるりと後れ毛を指にひと巻きした。 「どうしてそう思うのでしょうか。きみは褒められても素直に喜ばない性質ですね」 「特別、価値がある、とは……」  思わない。  いずれ容姿など衰えるし、互いに何も知らないに等しい状態で婚姻したのだ。だから、幻想を抱くこともありえる。 「それこそ過小評価です。髪は……私のために伸ばしてくれているのでしょうか? 我々の間の約束を、見るたびに思い出します。とても素敵です、オデル」  こうして周囲を肯定するレナードだって、自身を過小評価しがちだ。口さがない者たちの噂がそうさせるのか、それとも別の理由があるのか、オデルは判断がつかなかった。だが、レナードが自身を謙遜すると、オデルの心は波立った。 「認めないというなら、レナードだって……」  負けじとやり返すと、レナードは「確かに」と目を眇めた。 「どうやら我々は、似た者同士のようですね」  喉の奥で笑ったレナードは、立ち上がると、不意にオデルの目前に跪いた。 「……っ」  後れ毛から指を外し、下から覗き込まれる。視線が絡むと、オデルはレナードの鳶色の眸から、目を離せなくなった。 「レ、ナード……」  呟きに熱が込もり、もっと、と催促したくなる。アルファと対峙しているからか、レナード個人への衝動か、区別が付かない。 「きみは美しいです。でも、これ以上はしません。今は、まだ……」  言い残したレナードは、立ち上がると踵を返した。オデルを残して遠ざかるレナードの背中は、まっすぐ天井へ伸び、彼自身の気質を思い起こさせた。 「……きみは存外、私を刺激しますね」  扉の前で、立ち止まり零した言葉が、オデルの鼓膜を刺激する。 「は……」  扉がレナードを飲み込み、閉まると、ひとりになったオデルは安堵の息を吐いた。  膝が震え、身体の芯が燃えるようだった。 (反応……してしまっている……)  オデルは両手で顔を覆うと、自分を落ち着かせるために深呼吸した。

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