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第9話 伴侶の親友(新版)

 イアン・テイル・ウェッダーバーンと名乗る若者がレナードを訪ねてきたのは、それからしばらく後の、午後のことだった。 「無粋ですまない。急ぎの用なんだ」  駅から馬車を飛ばしてきたイアンは、帽子を取ると、悪戯っ子のような視線でレナードに笑ってみせた。 「意思確認なら、電話で十分では? イアン」  レナードがうんざりした様子を隠そうともせずに言うので、オデルが冷やりとすると、イアンは破顔した。 「まあそう邪険にするなよ。実はきみの花嫁を拝みにきたんだ。式じゃ、うちの記者たちが粗相をしないか気もそぞろで、ろくに挨拶もできなかったからな」 「そんなことだろうと思った。……オデル、先日の婚姻式で紹介しましたが、イアン・テイル・ウェッダーバーン伯爵は私の寄宿学校時代からの友人で、幾つかある私の事業の共同経営者でもあります。これから頻繁に邸へ出入りするでしょうが、私が不在の時は、追い返してかまいません」 「おい、さすがにそりゃ酷いじゃないか……っと、挨拶もせずに失礼を。式では世話になりました。どうぞよしなに。イアンと呼んでください。レナードはおれの無二の友でね」  気の置けない関係らしく、レナードに抗議したイアンは、オデルに向き直ると軽く会釈をした。優雅で、少し人を食ったような仕草をする。オデルは内心、驚き、礼儀正しく返答した。 「オデルとお呼びください、イアン。ウェッダーバーンというと、フレイムトラスト社の?」  大手新聞社の名前を出すと、イアンは笑いながら頷いた。 「父が破天荒で有名ですが、おれは二代目でね。名前も事業も、うっかり気楽に継承しました。以来、ジャーナリズムの奴隷ですよ」  口で言うほど捻くれているわけでもない様子のイアンは、仕草の端々から誇りを持って仕事をしていることが見受けられた。フレイムトラスト社がやり手で名高いことは、時勢に疎いオデルでも知っている。婚姻式では数多の招待客のひとりとして顔を合わせたが、こうして話をするのは初めてだ。レナードがざっくばらんな口を利く相手にも、初めて会った。 「オデル、イアンは一見、軽薄に見えますが、根は真面目な奴なのです」 「言うなよ、レナード。どうせ新婚旅行の邪魔をしにきたのは、おれだよ」  レナードの言葉尻をつかまえ、イアンが冗談を言う。婚姻式で取材許可を出すとレナードが言い出した時は驚いたが、結果としてフレイムトラスト社の飛ばし記事は見事な出来で、他の新聞社も肯定的な記事を後追いで出してきていた。男性オメガのオデルと、社交界の寵児だったレナードの婚姻が、極めて前向きに認知された一因は、フレイムトラスト社のスクープ記事にある。こんな援護の仕方があるのかと、記事を読んだオデルは、密かに舌を巻いた。 「締め切りはいいのか?」  レナードが混ぜっ返すと、イアンは「言うなよ」渋い顔をつくった。 「うちの記者は皆、筆が速いからな。きみの結婚も、早速記事にしただろ? 誰にも靡かなかった社交界の寵児が射止めた運命のオメガ、だなんて、ロマンチックじゃないか」  ——運命の、オメガ。  実際は番いにすらなっていない。オデルは後れ毛で隠された白皙のうなじを意識し、沈黙を守った。 「きみが記事を書かせているんだろ、イアン」 「ははっ、まあ、そうとも言う」 「ゴシップもほどほどにしてくれ。それと、嘘は書くなよ」 「嘘なぞ、おれの目の黒いうちは決して書かせやしないが、読者の希望を先読みするのも我々の仕事だからな。塩梅が難しい」  レナードの態度も、オデルに対するそれよりもずっと気安い。とはいえ半分ぐらいは困り顔だが、こんなに楽しそうな伴侶の顔を、オデルは見たことがなかった。レナードはオデルを大切にするが、婚姻後もどこか他人行儀で、強いて距離を詰めてこない。政略婚だからそういうものなのだろう。しかし、近頃はそれが少し気詰まりに感じることもあった。イアンの来訪は春の到来を告げる風のようで、澱みがちな空気を攪拌する。 (イアンは、知っているのだろうか……?)  頭の片隅に「ドレッサージュの君」のことがある。爵位持ちのアルファという点で、レナードの条件には当て嵌まる。が、思春期をともに過ごしたなら、レナードが「ドレッサージュの君」の話をしていないとは考えににくい。探したが、見つからなかったからローズブレイド公爵家の交友関係を望んだはずだ。  しばらく世間話をしていると、やがて電話の音がして、執事がレナードを呼びにきた。 「すまないが、少し外す。オデルを頼む、イアン」 「任せてくれ」  レナードが部屋を出ると、騒々しかった空気が霧散した。気づくと、イアンがじっとオデルを見つめてきた。 「あの……」  不躾な蒼穹の眸にたじろぐと、イアンは「いや」と首をひと振りした。 「単刀直入に尋ねますが、気を悪くしないでください、オデル。きみは……レナードを、愛せそうですか?」 「っ」  核心を突くイアンの質問に、オデルは一瞬だけ息を止めた。 「なぜ……」 「なぜって、レナードが、この婚姻に恋愛感情を持ち込みたがっているのを知るのは、おれぐらいですから」  イアンは肩を竦め、困ったように笑った。 「レナードにも誰にも言いません。ただ、きみがどんな人なのか、知りたいのです。親友が、不名誉と誹られようと、汚名を着ようと、恨まれようと、すべてを投げ打ちローズブレイド公爵家に肩入れすると言って聞かなかった。その理由を知りたいと思っても、おかしくないでしょう?」 「それは……」  オデルの第二性別がオメガであることが明らかになるとともに、ローズブレイド公爵家は醜聞に巻き込まれた。瞬く間に帝国全土へ広まってしまった根拠のない噂に、女王も心を痛めておられると伝え聞いたため、オデルは境遇を恥じ、頻繁に開かれていた王室主催の様々な会への出席を見合わせることが多くなった。女王との親交が途絶えがちなまま、借金まみれになってしまったローズブレイド公爵家が、直後の夜会に招待されなかったことを父は憂いたが、父の体調とオデルがオメガであることを慮っての女王の配慮によるものだと、あとから手紙で伝えられ、経済的に助けられたことは事実だった。  ただ、オデルが代理で出席する道が絶たれたことに溝を感じる程度には、オデル自身も深く考え込んでしまったし、こうした措置こそが、王室に極めて近かったローズブレイド公爵家への隠れたメッセージなのではないか、と疑心暗鬼にもなった。イングラム男爵家の血と財産を取り込み、生まれ変わったローズブレイド公爵家は、王室にとって、もはや純粋で正当な貴族の血統とは認められなくなったのかもしれない。 「何、単純に親友の結婚相手に興味が湧いたのです。ですから、どうか、ざっくばらんな雑感を聞かせていただけませんか」  イアンはそう言うと、傍らのカウチに「掛けても?」と断りを入れるなり腰を下ろした。 「記事には……」 「しません」  会ったばかりの人間を値踏みする真似はしたくなかったが、オデルが用心深くなったのを見るなり、イアンは頭を掻いた。 「まいったな。おれはこういうのが苦手でね。ただの好奇心だと考えて、思ったことをそのまま言っていただければそれでいいのですが……」 「ぼくは——」  運命などと書き立てられて、気持ちが塞がない日はない。正直、誰に注目されるのも嫌だった。イアンが「ドレッサージュの君」について、どの程度、知っているかも心配だ。早耳の新聞王の嫡子が噂を認知していないわけはない。この先、レナードがしようとしていることも、ある程度、予測できる位置にイアンはいるのだろう。なら、種を蒔いておけば、いずれ芽が出るかもしれない。 「誠実で……いられるよう努力します。それで足りなければ、身を捧げることも」  レナードに言うことができていないことを、イアンに伝えてみる。将来「ドレッサージュの君」が見つかった時、きっとフレイムトラスト社はローズブレイド公爵家のことを記事にするだろう。なら、事前にオデルの人となりを知ってもらうことにも意味がある。 「それでは足りないでしょうか? なら、ぼくは……レナードの足枷にならないよう、努力します。それに、ぼくは……」 (ぼくは、醜い……)  ふと、自己嫌悪する。名と地位を守るための婚姻をしておいて、離別の算段をして、状況が公爵家に有利に働くよう、望んでいる。だったら、せめて偽らない心を伝えるべきだと、オデルは震える唇をほどいた。 「ぼくは、以前よりも、きっと、レナードが好きです……」  最大限の親愛の情を、会って間もない人に開示するのが怖かった。だが、イアンは笑ったりしなかった。柔らかな視線をオデルに投げかけ「おれは、きれいなものが好きでね」と呟く。 「きみも、美しい」 「かいかぶり、です……」 「いいや。おれの目は節穴ではありません。きみのできる範囲でいい。どうか、レナードを幸せにしてやってください。無理に愛さなくても……っと、しまった、これは内緒だった。あいつは弱みを晒すことを、怖がりますからね」 「はい……」 「美しいものは、愛になり得る。おれの持論です」 「イアン、ぼくは……」  容姿がそうだとしても、ただのしがないオメガだ。謙遜し過ぎるのも傲慢だろうかと、言葉を途中で止めたオデルに、イアンは笑いかけた。 「レナードは、きみが好きですよ。きみがあいつを好いても、まったく問題ないです」 「は……い」  甘い言葉に、婚前のオデルだったら、酔いしれて溺れていたかもしれない。今は足枷のように、暗い気持ちになるばかりだ。戯言ばかりの世間に嫌気が差さないわけもないが、こうすることでしか守れないものもあるのだろう、と今のオデルは飲み込むことを覚えた。 「記事に大げさな見出しを付けてしまったことを、許してください。でも、個人的には気に入っているんです。オデル、きみを傷つけていないといいのですが」  オデルは、立ち上がり歩み寄ったイアンが差し出した右手を、柔らかく握った。 「平気です」  半分は強がりだったが、安堵の光をイアンの眸に見つけると、許容して良かった、とオデルは思った。 「良かった。レナードは本当にいい奴です。ぜひ、幸せに」  インクの匂いが少しして、大きく握り返された手がほどけ、イアンははにかみながら笑った。 「いいのですか?」 「? もちろんです」  オデルの声に不思議そうに頷くイアンを見て、やっと率直な想いを口にしただけなのだと確信したオデルもまた、安堵した。 「レナードはいい伴侶をもらったようだ。いや、独身の身としては、羨ましい限りです」  からっと笑うイアンに釣られて、オデルも笑みを浮かべた。遠くない未来に別れの時がきたら、双方に配慮した記事を書いてくれるだろう。哀しい別れだが、どうしてもと頼まれたら揺らいでしまうぐらいには、レナードに情が移ってしまっている。「ドレッサージュの君」を恨むことのないように、なるべく静かに消える方法を模索していこう、とオデルは決めた。 「ぼくも、レナードに見初められたことを、幸運だと思っています」  告白することで、知っておいて欲しい想いを託す。重荷になったら困るから、レナードには打ち明けない。回り回って伝わる確率も、考えまいとした。 「レナードが、ぼくを好きかどうかは、わかりませんが、ぼくは……」  証拠など求めないほど、純真になれたら。イアンはオデルの憂いをマリッジ・ブルーと捉えたのかもしれない。オデルの控えめな発言を、軽々と気持ちのいい声で笑い飛ばした。 「ははっ、いよいよ証拠が要るとなったら、うちにくるといいですよ。いつでも、どんな時でも、きみなら歓迎します」 「ありがとうございます、イアン」  イアンが差し出した名刺を受け取ったオデルが微笑を返すと、電話を終えたレナードが戻ってくるなり硬い表情をした。 「……何の相談をしているんだ?」  電話を終えたらしいレナードの顔色に、イアンも笑みを引っ込める。 「きみの想い人の話以外の何をするっていうんだ。……何かあったのか?」 「ウィルフォックスの繊維工場からだった。事故があり、人が巻き込まれたらしい」 「いつ?」 「今朝だ。先週、立ち上げたばかりの機械が誤作動を起こしたとか」 「今朝? だが、おれが訪ねた時は何の問題もなかったぞ……いや、待て。うちは時間外労働はしない方針だろ? 場合によっては労務規定違反になりうる……巻き込まれた人数と、怪我の程度は?」  イアンが真剣な声で詳細を問うと、レナードが頷いて、ふたりとも部屋を出る。 「二人が機械に挟まれたようだが、軽い捻挫と打撲で済んだそうだ。が、とにかくきみか、私と話さないと気が済まないと先方は息巻いている。怪我人を救助したところで、こちらへ連絡を寄越したらしいが……」  話しながら、自然と玄関へ向かったレナードとイアンを追いかけながら、オデルも急にきな臭くなった事態に耳を傾けた。 「下手をすると、またストだぞ、レナード。あそこは最新式の機械を入れたばかりで、まだ自転車操業状態だ。利益を見込んでいるのは最短でも三ヶ月後のことだ」 「だから我々と話がしたいのだろう。二人いれば二倍早く事が片付く。先方は、この期に労働時間の短縮か、賃上げをねじ込むつもりかもしれない」 「参ったな……次から次へと。すまないが、オデル。きみの旦那様を少し拝借してもいいだろうか?」 「あっ、はい」  イアンに頷いたオデルへ、レナードも緊張を滲ませた声で言った。 「遅くなるでしょうから、今夜は待っていなくていいです」 「気をつけて」  無難な言葉を紡ぐことしかできなかったオデルへ、レナードは笑みを見せ、オデルの頬に軽くキスをする。 「いってきます、オデル」  向けられた背中が遠く感じられたとしても、オデルには引き止める権利がない。  玄関先まで見送ると、執事が用意した馬車に乗り込んだレナードとイアンは、そのまま速度を増し、遠ざかっていた。

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