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第10話 不在の夜と(新版)
明け方に訪れた嵐は、日が暮れても激しくローズブレイド公爵邸を揺さぶり続けた。
土砂降りの外の様子が、閉じられたカーテン越しにもわかる。オデルは頭痛の種のようなものが後頭部を刺すように刺激しはじめるのを自覚し、酷く後悔した。
寝室で、広いベッドに仰向けになる。前夜、眠る機会を逸してしまったのは、オデルにとって想定外だった。柔らかな低いレナードの声に名前を呼ばれると想像するだけで、狼狽えるほど心が踊るのに、昨夜からいくら探しても、伴侶の仄かに香るフェロモンの気配がない主寝室は、思いの外、うら寂しいものだった。
昨日、イアンと出ていったきり、レナードからは一日半が過ぎても連絡がないままだ。
明朝、帰ると言い置いたまま、電報も電話も速達もない。どこで何をしているのか、気を揉むことにも疲れ、寝不足を引きずったまま渋々起床したオデルは、遅いブランチを食べ、権利関係の書類を少し片付けて、お茶を終えると、もうやることがなくなってしまった。
(イアンも、一緒のはずだ)
ウィルフォックスの繊維工場に連絡を入れることも考えた。
しかし、話し合いが紛糾しているのか、不測の事態が起きているのか、工場の労働者たちと対立しているのか、和解したのかもわからないまま、レナードの邪魔をしたくなかった。考えられる限りの希望的観測をしてみたが、時が経つにつれて、良くない方向へ向かいはじめた想像力を、オデルは意識的に追い出さざるをえなかった。
ローズブレイド公爵家は、先日、オデルの父が湖水地方へ旅立ったこともあり、静かだった。いつの間にか邸の一部に組み込まれたレナードの存在が、少し不在なだけで余白ができたような侘しさをオデルに与えた。頬にされたキスの名残りをぼんやり思い出し、帰宅しないレナードを思い出すたび、悪い予感が少しずつ、オデルを蝕んでゆく。
貴族社会には、大っぴらにできない関係を持つ者もいる。当主としての義務を果たし、子どもをもうけたあとで、正式な伴侶以外に愛人を持つ例も少なくない。レナードが「ドレッサージュの君」を見つけたあと、オデルと離縁するかはわからないが、逢瀬が重なれば、きっと今よりも頻繁に、この邸を空けるだろう。その兆候に慣れた方がいいのではないかと悩みながら、心がチリチリと焼かれる。ローズブレイド公爵家は、レナードに返し切れない恩がある。従って、レナードの幸福追求権を許容しないのは、些か虫が良すぎる考えだとオデルは思っていた。
レナードがローズブレイド公爵家の伝手を使って「ドレッサージュの君」を探していることは、社交界で今や知らない者の方が珍しいと言われるほど有名な話だ。いずれ、オデルが捨てられる方へ賭けをする者が現れても、驚かない。オデルにとって「ドレッサージュの君」の消息は、ある意味、未来を決める要素でもある。もし、出先で「ドレッサージュの君」に関する有力な情報が飛び込んできたら——残念だが、誰が一緒にいようと、抑止力になるとは考えにくかった。しかし、同時に、レナードがそんなことをするはずがないと信じたかった。
(おかしい……こんな、の……)
レナードのことが知りたい。
レナードを許容したいと思うたび、理解したいのか、オデル自身の保身によるものなのか、切り分けられなくなってゆく。心構えさえあれば、乗り越えられるかもしれないという希望的観測も、褥の中での話を日中に持ち出すのはルール違反かもしれないと思うと、心が揺れる。少なくともオデルは敵ではない、とメッセージを送ったつもりだったが、レナードがどう了解しているかを確かめる術はない。
オデルはランプの灯を借りて、しばらく数日前に発行されたフレイムトラスト社の新聞の字面を追っていた。やがて諦めて、ナイトウェアに着替え、明日の昼を過ぎても消息がなかったら、こちらから心当たりに連絡を入れようと方針を決める。もし、本当に「ドレッサージュの君」が見つかっていたのならば、祝福したかった。レナードのためでもあるが、なけなしのオデルの矜持のためにだ。
眠ってしまおう——そう考えたオデルは、ふと外の荒れ模様を確認しようとして、カーテンの隙間から窓を覗いた。硝子窓が染まったような漆黒の闇夜は、窓枠が不満を表明する音を立て続け、雨粒が窓硝子を叩く。荒れ狂う暗闇が、まるでオデルの心に巣食う闇のようで、見ていられなくなりそうだった。
だから、闇の中に瞬く小さな灯を見つけたのは、本当に偶然だった。
(星……? じゃない……、あれは……)
闇に呑まれ、消えては灯る、小刻みに揺れる小さな光。
灯火だった。
「レナード……!」
その瞬間、嵐に翻弄されながら進む馬車の灯だと確信したオデルは、裸足のまま部屋を飛び出していた。
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