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第13話 寝物語(新版)

「オデル!」  昼に差し掛かる少し前、街から徒歩で戻るオデルの背中に向けて、車のクラクションが鳴らされた。振り返ると、車体を赤と白の二色で塗装した車が、オデルのすぐ脇で停車した。 「よければ、乗っていきませんか?」  運転席から顔を出したイアンが得意げに言うので、オデルは礼を言い、助手席に乗り込んだ。 「動くウェッダーバーン伯爵邸へようこそ。きみが最初のお客様ですよ、オデル」  暴れ馬に鞭を入れるように車を再スタートさせたイアンは上機嫌で、風のように飛ばす車内で、オデルはうっかり舌を噛まないように気をつけなければならなかった。 「どうです? この車! 風を切るのが気持ちいいでしょう?」 「馬車よりずっと速いですね。視界が低くて、迫力があります」 「ははっ、おかげで約束の時間よりだいぶ前に着いてしまった。でも、きみを拾えて良かったです」  オデルがおっかなびっくり褒めると、イアンはまんざらでもない表情をした。手に入れたばかりの最新式の玩具を、レナードに見せびらかしにきたのだ。ローズブレイド公爵邸を頻繁に訪れるイアンだが、今日は訪問予定時刻より、ずっと早かった。 「街に用事でしたか? オデル」 「ええ。今朝、朝刊を読んでから、少し買い物に」 「そうでしたか」  オデルは、イアンがそれ以上、詮索しないことに安堵した。宿屋に寄り、バレットとのやり取りに使っていた私書箱を閉じてきたが、その話はレナードにもしていない。だが、けじめを付けてきたからか、雲り模様の心に薄日が射しかかっていた。 「その、イアンから見て、レナードは最近どうですか? 毎日、顔を合わせているせいか、ぼくにはよくわからなくて。長い間、公爵としての責務を果たす父を見てきましたが、あまりにも違いすぎて……とても精力的に働いていますが、レナードは、あれが普通なのでしょうか? 無理をしていやしないかと、少し気になって」  秘密を抱える後ろめたさを飲み込むように、オデルはイアンへ話を振った。レナードの仕事のひとつには、ローズブレイド公爵家の債務の完済が含まれている。婚姻式からしばらく経つが、あと少し、もうしばらく、と引き延ばされ、新婚旅行の日取りもまだ未確定のままだった。 「レナードが? そりゃ大変です。霍乱だ。とまあ、冗談はさておき……最近、浮かれているせいか、以前より仕事の進みが早いですよ。やはり持つべきものは、やる気に溢れた共同経営者の友人に限りますね。あんなに身を入れて働いているあいつの姿は、事業を起こそうと決めた時以来、久しく見ていないです。きみの惚気を伝えたら、きっと馬車馬に鞭を当てる比じゃない馬力で、仕事を片付け出しますよ」 「惚……いえ、あの、は、恥ずかしいので、それはここだけの話に……」 「ああ、失礼しました。新聞屋の悪い癖が出てしまいまった。おれは何にでも首を突っ込みたがる性分で、よく叱られます。大丈夫。記事にはしません」  イアンの軽快な口ぶりに、緊張が解けたオデルは思わず笑ってしまった。隣りでハンドルを握るイアンも、釣られたように笑っている。 「ついでに、好奇心から尋ねますが……オデル、きみにとってレナードは、伴侶として何点ぐらいですか?」 「……っ、どうして……?」  突然、振られた話題に、後ろめたさを抱えたオデルは少し動揺した。 「いや何。周りが皆、身を固めはじめたので、参考にしたいのです」 「……どなたか、意中の方がいらっしゃるのですか?」  イアンの言葉に胸を撫で下ろしたオデルが興味本位から尋ねると、イアンは眉を下げ、困った表情で肩を竦めた。 「実は情けない話なのですが、婚約者がレナード贔屓でね。きみから、あいつがどう見えているのか、知りたいのです。できるところだけでも、真似をしてみようかと」 「参考に……なるかはわかりませんが」  オデルは考え込み、なるべく色の付いていない事実を述べようと、頭を整理した。 「点数は、付けられないです。ぼくと、ぼくの家族、ひいては公爵家を救ってくれた恩人ですから。レナードは優しいですし、何も言わなくても、ちょっとした仕草でこちらを気遣ってくれているのがわかります。不満に思うことなんて、何も」 (——彼を、愛せそうですか?)  以前、投げられたイアンの問いに、今ならどう答えるだろう、とオデルは考えた。 「ぼくは、以前より……もっと、彼が好きです」  レナードには直接、伝えていない。でも、控えめに言って、毎朝、毎夜、好きになってゆくのを自覚してから、楽しかった。気づくとレナードを探しているし、見つけると目で追ってしまう。気付かれないように、密かに惹かれてゆく心を、ともすればオデルは持て余しそうなほどだ。 「何だか尻がむずむずします。手放しで親友が褒められるのが、こんなに居心地が悪いとは」 「す、すみません」  オデルの言葉に、問いを投げたイアンが、ぶすっとした顔で不満を漏らした。事実をありのまま話したオデルだが、考えてみれば、親友の伴侶からの惚気話を聞くほど、もどかしいこともないのかもしれない。 「はは、これも好奇心から訊くのですが、嫌なところはないんですか?」  イアンは何だか、レナードを貶したがっているようだ。どこか焦れったい声で根掘り葉掘り訊いてくるイアンの様子が子どものようで、可笑しくなったオデルはつい、気を許して余計なことまで話してしまう。 「ないです。でも……」 「でも?」 「あっ、いえ……彼の信頼に足る人物になりたいと思っています。大それた、願いですが」 「夢は大きい方がいいですよ」 「イアン。ぼくはオメガです」  忘れているかもしれない、と事実を言っただけだが、オデルの言葉にイアンは少し息を呑んだ。イアンは関係ないと言いたげだったが、ちゃんと伝えるべきいい機会に思えたオデルは、腹を決めた。心の奥底にある、本当の想い。そこに踏み込んだ告白を、イアンならきっと、ここぞという時に使ってくれるはずだ。 「男性オメガのぼくと、婚姻を望んでくれた。それだけで、ぼくは……だから、その」 「オデル……」 「ぼくが、望んでいいのなら……レナードの、信頼に足る相手になりたいのです。婚姻が継続している間だけでも。隣りにいられる間だけでも。この関係を永続的に続けたいだなんて、贅沢は言いません。……レナードが打ち明けてくれた、素直な気持ちや、お相手の為にも」 「えっ?」  オデルの零した最後の言葉に、傍らのイアンが笑みを引っ込めた。親友なら知っていて当然だ。でも、オデルの為に「ドレッサージュの君」についての言明を避けていた。それが、優しさだと、オデルもわかっている。レナードと、よく似た優しさの表れなのだと、わかる。 「贅沢は言いたくないのです。ぼくは、充分に恵まれていて、幸せですから」  いつか身を引く決断を、しなければならない日がくる。  その時までに、たくさん想い出をつくれたなら、それでいい。  離れ離れになっても、オデルの双子の弟たちのどちらかがアルファだった場合、家督を譲るまでの数年間、ローズブレイド公爵家がしっかり持ちこたえられるよう、財務管理を少しずつではあるが、学びたいとオデルは思っていた。いずれ、公爵の位をレナードが譲り、もしくは捨て去る時がきても、憂いを残さず飛び立てるよう、レナードに頼らなくても平気なことを示しておきたかった。 「きみは——、いや、ちょっと、待ってください、オデル。きみ……ああもう、少し、邸へ着いたら個人的に話があります。いや、その前に、確認ですが……、きみは」 「レナードは、夢物語をするのです」 「夢物語?」 「そのたびに、噂のお相手との進展があったのか、気を揉んでしまいます」 「……それは」 「夜毎に……どんなに愛していて、どんなに切なく恋しいか、聞かされ続ける……、それは、ぼくがレナードに許したことだから、いいのです。ただ……っ」  愛されていないことを、告白するのが恥ずかしい。  でも事実だし、期限がくるまで仲睦まじい伴侶でいられるなら、それ以上は望むまいと決めていた。もし離婚となれば、レナードの財産の一部、あるいは半分が、公爵家に分けられることになるだろう。父や弟たちを安心させることはできるが、レナードがうなじを噛まない選択をした意味が、オデルにはのしかかってくる。「ドレッサージュの君」については、オデルと別れたことを痛み分けと納得させるための落としどころとして、関係を公表することも、たぶんない。アルファ同士の婚姻なら、世間は騒がないからだ。 「ぼくは全然、きれいじゃないです。賢くもないし、理性的でもなければ、人として優れたところもあまりないです。でもそれは、オメガだからじゃなくて、ぼくが持って生まれた特性と、するべき努力を怠った過去の結果です。ぼくは、好きになった人に幸せになって欲しいと純粋に祈ることができない自分が、好きではありません。でも、たくさん努力をすれば、少しは望みどおりの人間になれるかもしれない。もっと真摯に、心から願ったら、アルファのようにはいかないかもしれないけれど、少しくらいわきまえた人間に……」  なのになぜ。  なぜ誰かの幸せを願うことができないのか。  なぜ誰かの不幸を望んでしまいそうになるのか。 「なぜ……ぼくが「彼」でないのだろうと、不毛なことを願うぼくは醜いです。たとえお相手が現れず、もしくは、現れたあと、レナードの願いがかなわなかったとしても、ぼくのところにずっといることになったとしても……ぼくもレナードも、それで幸せになるはずがないのに」  わかっている。  でも、手放せない恋があることを、オデルは知りたくなかった。  すべてを詳らかにしたら、レナードに嫌われてしまうだろう。受け入れてくれるかもしれないと、優しさに縋って甘えてしまう自分が嫌いだ。レナードが運命の番ではないと、オデルは知っていて選んだ。この婚姻を進めると決めた時、いったい誰が、レナードに次の恋をすることを予想しただろう。 「……オデル、お願いがあります」  イアンが低く呟いた。 「今、私有地に入りました。公爵邸まであと数分です。それまで、少し黙っていていただけますか? 着いたら、あなたに話があります」 「はい……」  物凄い速さで声が後ろへ飛んでいったが、不思議と聞き取ることは容易かった。  オデルは頷き、情けなさに込み上げる涙を堪えた。  低い振動とともにエンジンの音が轟き、景色が瞬く間に流れてゆく。沈黙した座席には、慎重にハンドルを握るイアンが、いつになく黙ったままだ。失望させたとしても、下手に取り繕い肝心な時にボロが出るより、早いうちに知られた方が、傷が浅くて済む。レナードの伴侶として相応しくないと烙印を押されたとしても、レナードが離れゆく時、レナード側が切れる手札が増えることは、悪いことではないはずだ。傷つくことに慣れることはできないとしても、レナードに懇願されたら、オデルは許してしまうだろう。 「……着きました、オデル」  口を閉じたまま腿の上で両手を握りしめていたオデルに、エンジンを切ったイアンが、やっとハンドルから手を離した。 「はい……」  何を言われても覚悟をしろ、とオデルは自身に言い聞かせ、きゅっと唇を結んだ。イアンは運転席でひとつため息をつくと、いつになく真摯な声で、噛んで含めるように呟いた。 「きみは、ひとつ誤解をしている。酷い誤解です。でもそれは、きみの美点を明らかにしているとも思います。おれが言えるのは、そこまでです。それ以上は……」  項垂れぎみだったオデルが、こくんとひとつ頷くのを、痛ましげな視線でイアンが見た。こうなってしまったら、次はレナードにこのことを伝え、レナードから遠からず、直接「ドレッサージュの君」が見つかったあとの方針について説明を受ける覚悟をオデルは固めた。  だが、オデルがイアンに促され、車から降りると同時に、レナードが険しい顔で飛び出してきた。 「オデル……!」 「レナード……」 「イアン、これは?」  どういうことだ、とオデルを見るなり発されたレナードの鋭い声に、イアンは眉間に皺を寄せたが、冷静だった。 「おれから言うべきことは言った。レナード。きみに話がある。オデル、少しの間、レナードを借ります。運転に付き合ってくれて、ありがとう」  何か言いかけたレナードを制し、イアンは出てきた執事に車の鍵を委ね、勝手知ったる様子でローズブレイド公爵邸に入っていった。 「大丈夫ですか、オデル……?」  気づかう様子を見せるレナードに、オデルは平静を取り繕った。 「大丈夫です。イアンと話をしてきてください、レナード」 「本当に……?」 「はい」  オデルは必死に頷いた。ここで崩れるわけにはいかない。 「イアンは親切でした。街へ散歩を兼ねて買い物にいった帰りに、偶然、拾ってもらったのです。それだけです。彼は……」 「ではなぜ、きみは泣きそうなのですか」 「っ……」  詰問され、窮してしまったが、オデルはすぐに取り繕おうとした。  これは、オデルの問題であり、レナードの問題ではない。 「ぼくが、少し不安定になったので、心配させてしまっただけです。すみませんでした。……しばらく休憩します。イアンにお礼と、申し訳なかったと謝罪をお願いできますか」  オデルは躊躇うレナードに強引に念を押して、そのまま邸に駆け寄ると、逃げるように中に入った。背後でレナードが困惑の声を上げた気がしたが、振り返ることができなかった。

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