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第18話 決闘騒ぎ(新版)

 ローズブレイド公爵領で、商談がてら遠乗りのレースが行なわれることになったのは、オデルが小切手を添えた手紙をアシュリー商会へ郵送した翌週のことだった。  貴族ばかり数十名が公爵邸へ宿泊し、明朝、日の出とともに一斉に馬を駆り、領地の端に立てられた赤い旗を持ち帰った順に勝敗を決め、優勝者には名誉と、ささやかな賞金が出る遊戯の傍らで、商売も進めようという話を、レナードが取りまとめてきたのだ。  まだ朝露の残る時刻に、貴族のアルファばかりが集う中、バレット・アシュリーの姿を見つけたオデルは胸が潰れそうなほど驚いた。アシュリー商会への手紙には、返事は一切不要の旨を添えたため、その後の経緯を知る由がオデルにはなかったが、爵位も持たず、一段低い身分として扱われるベータのバレットがこの場にいるのを無視できず、オデルはレナードにこっそり尋ねた。 「なぜ、彼が……?」  狼狽を声に出さないよう気をつけたつもりだが、レナードは特に聞き咎めなかった。 「ああ、招待リストに入れた覚えはないのですが、取引先のガジャージュ伯爵の随行者のようです。彼もまた、実業家らしい。アシュリー商会、でしたか」 「そうでしたか……彼は元々、我が公爵家に代々、奉仕してくれた家の出なのです。事業で身を立て、しばらく離れていたので」 「なら、私と同じですね」  オデルがバレットと面識がある理由を述べると、レナードは穏やかに言った。  ガジャージュ伯爵は、レナードが爵位を得るよりかなり前から、何かと後ろ盾になってくれていた恩のある人物らしい。神代の時代から連綿と続く階級社会のあり方に問題提起をする思想家としても有名で、今回、ベータであるバレットを随行者として連れてきたのも、彼なりの主張の一環かもしれなかった。  遠乗りは貴族だけで第一陣から第五陣まで、十二名ほどの集団に別れており、くじ引きでどの組に属するかが決められる。随行者がいる者は、主人と同じ組に配され、主催者のレナードとイアン、それにオデルが、最終組としてのんびり出立する予定だった。 「ホストがお株を奪ってしまっては、つまらないからな」  先日、シルヴィッド卿の馬に鼻差で辛勝したレフティソックスに跨ったレナードへ、黒鹿毛で額に星のある馬へ乗ったイアンが軽口を叩いた。オデルがフレイムトラスト社を訪ねたあとも、ローズブレイド公爵邸へ何度もきていたイアンは、律儀に約束を守り続けてくれている。ただ、アシュリー商会を起こしたバレットがローズブレイド公爵邸へ泊まっていることは認知しているらしく、たまに視界の端で存在を追いかけていた。オデルもそうだったが、小切手の件で接触してきた時は気をつけるべきだと最低限の心構えをして、あとは気にしないようにした。  前日の雨が上がり、空は快晴で、陽光が透明に感じられる眩しい朝だった。昨夜の晩餐会のあと、深夜まで客らを持てなしていたレナードもイアンも、快活だった。雨の多い時期や、冬には見られない、朝焼けに染まる露に濡れた大地や木々、小川の水面の透き通った輝きに魅せられながら、しばらく三人でゆっくりと野を駆ける。  が、次第に物足りなくなったオデルが、愛馬の腹を拍車で促すと、レナードとイアンに声をかけた。 「少し先にいきます」  そのまま前を向いたオデルは、ぐんぐん風を切り、早朝の野を駆け抜けた。風が頬に当たり、澄んだ空気が心地いい。父が倒れ、邸も、調度品の数々も抵当に入れられ、財産が底を尽きかけた時も、調教師と厩務員らが辛抱強く世話をしてくれたおかげで、馬の反応が良い。久々の鞍上につい、オデルは浮かれ、我を忘れて身を任せた。  しばらくゆくうちに、背後から追ってきたレナードに、名前を呼ばれた。 「レナード? どうしましたか?」  我に返ったオデルが手綱を引き、減速させながら左巻きに馬を半回転させると、レナードが非常事態を知らせた。 「イアンが泥濘に嵌まりました。私は彼を助けますから、あの場所で落ち合いましょう」  レナードが指差した地平線上に、まだ白い点ぐらいにしか見えないが、西洋風東屋があった。 「わかりました。ふたりとも、気をつけて」  昨夜の雨の影響で、領地の所々に水たまりができ、踏み間違えたイアンの馬が前脚を取られたようだった。落馬したイアンは「先にゆけ」と合図を出したが、オデルが頷くと、レナードは引き返した。 「面目ない。馬は苦手なんだ」 「何を言ってるんだ。学生時代にポロの選手で鳴らした奴が」 「万年デスクワーカーに無茶言うなよ。拍車を押し当てる筋肉なんか、すっからかんさ。おれはもう引退だよ」  ふたりの掛け合う声が風に乗り、流れてくるのを聞き流し、オデルは愛馬の腹を優しく押した。東屋の白い佇まいが近くなるまで、全速力でぐんぐん進む。遠くから別の組の貴族らの、旗を奪い合う甲高い声が木々を渡り、聞こえてくる中、オデルは久々に自由になった気がした。  西洋風東屋まで辿り着くと、隣接する水場へ愛馬を繋ぎ、オデルは屋根の下へ入った。久しぶりの騎乗でかいた汗を拭うため、帽子を脱ぎ、ぐるりと領地を見渡す。これほど開放的な気分になったのは、いつぶりだろうか。レナードが誘ってくれなければ、オデルはアシュリー商会の件で、いつまでもぐずぐずと悩んでいたに違いなかった。 (レナードに、言わなければ……)  隠し事をしていると、しくりと胸が疼く。  オデルは何も考えまいと努めて、ぼうっと東屋のベンチでしばらく放心した。辛抱強く、慎重に、優しさで、レナードはオデルの中に芽吹いた感情を育てようとしてくれている。オメガであることを気にする気持ちが小さくなり、番っていないことをあまり意識しなくても、アルファの群れの中で振る舞うことにも少しずつ慣れてきた。失った淡い初恋を懐かしいと思えるくらいには、オデルは今、レナードを好きになり、愛したいと思いはじめている。 「好き……です」  そう呟いてみると、恥ずかしさにざわつく一方、心が温かくなる。  最近は、いつ機会が巡ってこないかと、そわそわする自分の変化を、オデルは受け入れられるようになってきた。  レナードとイアンがくるはずの方角を眺めていると、早くも折り返した集団の掛け声が近づいてきた。空を仰ぐと、急に雲が出はじめ、小雨がぱらつきはじめる。雨粒を縫うように馬の嘶きが聞こえ、オデルが首を巡らせると、一頭の白馬が近づいてくるのが、視界に小さく見えた。先をゆく集団から別れた一騎が、オデルのいる西洋風東屋の方へと足早に駆けてくる。 (あれは……?)  雨量が増え、視界が利かなくなってきたが、騎乗者を見分けられる距離まで近づいた途端、オデルは緊張し、反射的にベンチから立ち上がった。本格的に降りはじめた雨を避けるようにして現れたのは、バレットだった。 「オデル様」  馬を降り、軽く挨拶したバレットは、外の水場に白馬を繋ぐと、雨を凌ぐ目的以外、何もない様子で東屋へと足を踏み入れた。 「あなたが見えたので、少し寄り道を」  遠くに、第一陣を追うようにして、第二陣、第三陣がゆくのが見えた。 「……ガジャージュ伯爵の随行者として、いらしていたのですね」  本来ならばハンカチぐらいは貸すべきかもしれないが、オデルは不自然に思われないよう、慎重にバレットから距離を取った。 「伯爵には許可をいただきました。商会宛てに小切手をお送りいただいたこと、感謝します。オデル様」  バレットは、身体から滴った水が大理石に染みを作るのも、意に介さなかった。謝辞を述べる機会を伺っていただけかと楽観視したい一方で、表情が読み取れずに不安が増幅するのを、オデルは堪えた。 「ぼくの一存で差し上げたものに過ぎません。ただの気まぐれです。ぼくらの間には、もう何もありません。バレット卿。きみも、過去のことは忘れてください」  互いの立場を鮮明にし、明確に線を引く。これ以上、踏み込んでくれるなとのオデルの希望に、バレットは威嚇するように笑ってみせた。 「俺を恨んでいらっしゃいますか。あなたを置いて、姿を晦ました俺を……」 「恨む……?」  いきなり何を言い出すかと、オデルが訝ると、バレットは悔しさを滲ませた。 「式に出席もせず、異議も唱えず、尻尾を巻いて逃げたと思われても仕方がありませんが……あなたとの別れを悔いない日はなかった、と言ったら、信じていただけますか?」 「きみを恨むなど……。婚姻はぼくが望んだことです。それに、今はもう……」  バレットは鞭を持ったまま、牽制を試みるオデルへまっすぐ近づいてきた。帽子を脱ぎ、濡れた頭をひと振りすると、水滴がオデルのブーツの爪先にまで散った。 「俺は、あの日、オデル様に求婚するつもりでいたのです。十八歳の誕生日に届けた薔薇を、あなたは覚えているはずだ」 「し、知りません。忘れました。もう昔の話です。……あまり近づかないでください。ぼくはもう、レナードの……」  その瞬間、鞭を捨てたバレットの背後に焔が立ったように見えた。 「オデル様」 「……っ!」  踏み込んだバレットに、片方の手首を掴まれる。その瞬間、ざわりと肌が反応した。今まで抱いたことのない感覚に、一瞬、気を取られ、反応が遅れた。その間隙を縫い、身長差のあるバレットが覆い被さるように、オデルを東屋を支える支柱のひとつに追い込んだ。 「なぜまだ、うなじを噛ませないのですか?」 「きみに、関係な……」 「あります。社交に積極的でないあなたを置いたまま、新生ローズブレイド公爵と「ドレッサージュの君」の醜聞が、貴族らの間に広まっているのをご存知ないのですか? あの男は……腹立たしいほど、あなたを裏切っている。なら、俺が奪ってはいけない理由はない。そうでしょう?」 「それは、違います……っ」 「更地にしているのは、未練があるからでは? 伴侶のいるオメガを相手にしても、俺のようなベータに望みなどないと、行く先々で、散々、窘められました。確かに俺は、アルファじゃない。しかし、あなただってアルファではない。なら……っ」  バレットを遠ざけようとしながら、オデルは鳥肌が立った。嫌悪感に近い無遠慮な腕を不快に感じる自分に、衝撃を受ける。同時に、バレットの口から「ドレッサージュの君」という言葉が飛び出したことに驚いたオデルが顔を上げると、無遠慮なベータの眼差しがオデルを縛ろうとした。 「あんな風に、あなたに遠ざけられたことがショックでした……ベータでさえなければ、俺にも機会があったはずだ。あなたがオメガでさえなければ、政略婚など必要なかった。俺に、あの時、あなたのうなじを噛む勇気がありさえすれば……未来は変わっていたかもしれない」  逃げ場を失ったオデルを、バレットの強い言葉が抉る。柱に長靴の踵が当たり、これ以上、下がれないことを悟ったオデルは、どうにか平静を保とうとした。 「うなじの件は、レナードとの間に約束があるからです。……離れてください、バレット卿」 「嫌だ、と言ったら?」 「バレッ……」  吐き捨てたバレットの手が、オデルのうなじの毛をくしゃりと撫でた。背筋が震え、臓腑が煮えたぎるほどの不快感が迫り上がってくる。 「やめ……っ、いやだ、離……っ」  利き腕を封じられ、腰を抱かれて、引き寄せられる。脳裏で警鐘が激しく鳴った。抵抗を試みると、バレットにさらに押さえ込まれる。 「……せめて俺に、あなたをさらう力があれば……っ」 「バレット……ッ!」  血を吐くようにオデルが名を呼ぶと、バレットの動きが一瞬、びくりと止まった。 「やめて、くださ、い……っ。きみは、ガジャージュ伯爵を追いかけるべきだ……っぼくには、もう、構わないで……」 「俺は……」 「離してください……!」 「っ」  舌打ちをしたバレットは「なぜですか」と縋る声を上げた。 「アシュリー商会の危機を憂いて、救ってくれたのは、あなただけだった。あんな別れ方になってしまったけれど、俺は、あなたを忘れた日はありません。諦め切れないから、あなたを迎えにゆくつもりで……っ」  哀願するバレットに、狡い言い方をする、とオデルは唇を噛んだ。初恋も失恋も、バレットに落ち度はない。すべてオデルの我が儘だった。もう、バレットの話す世界だけが真実だと、信じるほど子どもでもなかった。 「っ……今、ぼくは、レナードのものです」  傷つけ合わなければ、切ることのできない絆なのだろうか。雨は本降りに近くなり、西洋風東屋の中だけが、外界から隔絶された御伽噺の世界のようだった。 「ぼくは、きみが好きでしたが、それは過去のことです。今のぼくは、レナードを……」  オデルは視界が滲み、涙が頬を伝うまま告げた。 「愛しています」  オデルに反論するためか、バレットが二の句を継ごうとした時、雨の音に混じり、複数の馬蹄の音が近づいてきた。 「オデル……!」  レナードのレフティソックスが、西洋風東屋のすぐ傍まで乗り付けてきた。すぐ後ろにイアンの乗る、額に星がある黒鹿毛の馬も一緒だった。 「いやあ、面目ない。おかげで酷い目に遭いました……っと」  明るいイアンの声が、虚しく雨音にかき消される。そのイアンさえ、堅い表情をしていた。 「この状況に説明を求める」  燃えるような声で、レナードが命じた。オデルと視線が絡むと、レナードの双眸は憐れみの色を湛えた。 「アシュリー卿。卿が今、掴んでいるのは私の伴侶の腕だ。離してもらおう」 「俺に、その命令口調が効くとは思わないことです……新公爵様」  バレットが馬上のレナードを、ぎろりと睨んだ。オデルは膝から力が抜けて、その場にへたり込まないよう努めた。振りほどこうとしても頑丈で、バレットに力ではかなわない。 「レナード、すみませ……」 「なぜうなじを噛まない……!」  オデルを遮り、バレットが吠えた。 「社交界でオデル様を貶めるような噂が立っているのに、ろくな対処もせず……っ、言われるままにしておくのが貴族のやり方か……! こんな扱いをする者に、オデル様を渡したとなれば……っ、末代までの恥だ……!」 「こんな扱い……?」 「とぼけるつもりかっ。あなたの振る舞いが噂になっていることは、皆知っている……! オデル様を傷つけまいと守ってきた人の気持ちを、踏みにじっておいて、知らぬ顔をするのがアルファのやり口か……っ? ならば、そんなもの……っ!」  怒鳴られたレナードの表情が、少しだけ変化した。ふとオデルの方へ視線を移したレナードは、ほんの一瞬、躊躇った。表情に影が差す。主人の機嫌の変化を感じ取ったのか、レフティソックスがしきりに首を振る仕草をする。 「バレット卿、止めてください。ぼくは、望んでレナードを選びました。最初は……打算があったとしても、今は違います。お願いですから……」  しかし、オデルの声がバレットに響いた様子はなく、レナードと睨み合ったまま、ふたりとも動こうとしなかった。 「警告します。私のオデルを離しなさい、バレット卿」 「あなたの? はっ……笑わせる。うなじを噛む勇気もないくせに……!」  挑発するような冷笑を浮かべたバレットへ、レナードは不本意そうにため息をついた。 「何を言っているのか……。我々の間に約束があるから、今は噛まない選択をしたまでのこと。きみに事情を明かす義理はありませんが。それより、私の伴侶に乱暴を働くとどうなるか、それこそを、きみは知るべきだ」  レナードの目の色が、わずかに淡くなった気がした。かと思うと、おもむろにレナードは白手袋を外し、バレットの足元に投げ付けた。 「拾え。バレット・アシュリー」 「……」  その瞬間、沈黙と緊張が、オデルとバレット、レナードを背後で見守るイアンにも走った。 「話をする気分ではないだろう? 私もだ。きみとは、いずれ決着を付けなければと思っていた」 「……いいとこ育ちの坊ちゃんに、俺がやれるとでも?」 「自信がないのなら、このまま立ち去ることだ。そして、二度と私の伴侶に近づくな」  今なら見逃してやる、と付け加えたレナードの態度が、バレットの気に障ったのがオデルにもわかった。心得たとばかりに雨と泥に濡れた白手袋を拾い上げたバレットは、歪んだ笑みを浮かべた。 「いいでしょう。受けて立ちますよ。レナード公」 「レナ……ッ」  オデルが踏み出そうとすると、イアンが声を上げた。 「決闘の成立を確認した! 繰り返す! ただ今を以って、決闘の成立を確認した!」 「待ってください……! そんな、違法でしょう……? レナード……!」 「すみませんが、いくらきみにでも、譲ることはできません、オデル。伴侶に乱暴を働かれて、黙っている男がどこにいますか。イアン、きみには証人になってもらう」 「引き受けた、レナード」 「そんな……っ」  時代錯誤にもほどがある、とオデルが同意を取れないかと周囲を確認するが、イアンの声が上がるより少し前に、揉め事の匂いをかぎつけてきたらしい貴族らが、西洋風東屋の周囲をぐるりと囲むように集まってきていた。 「賭けるのはオデル様の心だ……!」  バレットの宣言に、オデルは青くなった。やめさせなければ、と口を挟もうとするオデルの言葉は聞き入れられず、バレットが獰猛に笑う。 「それともうひとつ! 俺が勝ったら、アシュリー商会の社債を引き受けてもらう……!」 「いいだろう」  レナードが、感情の抜け落ちた声で即答する。イアンもバレットも、腹を括った顔だった。次々に物事が決まり出す状況に、オデルは口を挟むことすらできない。 「場所は?」  バレットの問いかけに、レナードが応じる。 「ここで」 「時間は?」 「明朝、日の出の時刻に」 「獲物もあなたに選ばせてやりますよ。負けた時に文句を言われちゃ、かなわない」 「では……剣で。医者は私の方で用意しましょう。イアン、立会いを頼む」  背後を振り返ったレナードへ、イアンが短く「承知した」と頷き、宣言した。 「決闘の成立を確認! 場所はこの西洋風東屋にて、明朝、日の出の時刻! バレット・アシュリーとレナード・アルテア・オルティスが命を賭ける! 獲物は剣!」  イアンの声が高らかに上がると、いつの間にか数十の馬群が複数、できていた。領地の端まで駆けてきた帰りらしく、各々赤い旗を持ち、ことの成り行きを見ている。中には「違法では?」「面白い」「どちらに賭ける?」などと耳打ちする者もいた。それらを制するようにイアンが声を上げ、場を仕切った。 「立会人を双方立てるが、おれはレナード側に付く。審判は……誰かいませんか?」  見回すイアンへ、周囲の雑音をかき分けて、立派な白髭を蓄えた壮年の貴族が、黒馬とともに進み出た。 「わたしが引き受けよう。その若いベータは、わたしの随行者だからな」 「ガジャージュ伯爵、お願いできますか」 「うむ」  ガジャージュが頷くのを確認すると、次にイアンはバレットへ話を振った。 「アシュリー卿、きみの側の立会人はどうする?」 「心当たりならある。それと、もうひとつ条件を。俺は、オデル様がその場にいることを、望む……!」  バレットの声にざわつく周囲に、オデルは絶望を聞いた気分だった。イアンは頷くと、さらに条件を盛った。 「了解した。……ところで、おれの方からもひとつ注文を付けさせてくれ。この決闘、フレイムトラスト社の独占記事にする……! 依存ありませんか?」  レナードもバレットも、互いを見たまま頷くだけだった。すべてが決まると、バレットは白馬の手綱を引き、ひらりとその背に跨った。 「好きにしてくれ。……今日は帰らせてもらいます。明日が楽しみだ」  背を向けて去りゆくバレットに、ガジャージュ伯爵が並走して駆け出す。雨が上がった空は、雲が物凄い速度で形を変え、流れていた。呆然としたまま震えるオデルへ、レナードが鞍上から声を掛けた。 「きみを巻き込んでしまって、すみません……オデル」 「レナード……」 「駄目ですよ。そんな顔をしては。私は負けるつもりはありません」  困ったような笑みを浮かべたレナードは、レフティソックスの進行方向を翻し、オデルが騎乗するのを待っていてくれた。いつでもオデルを尊重しようとするレナードの、命を賭けた我が儘に、オデルは深く後悔した。  バレットは王立騎士団の下部組織である騎士養成学校から、ベータでありながら、初めて勧誘されたほどの剣の腕前だ。十代の頃はジュニアのフェンシング競技会に、アルファに混ざり出場したこともある。そんな相手と決闘だなんて狂気じみていたが、どんなに言葉を尽くしても、今から事態を引っくり返すことはできない。アルファは血の気の多い者が多い。違法でも、内輪の揉め事として片付けてしまう権力も、併せ持っている。 (明日——どちらかが命を落とすかもしれない……)  その元凶がオデルにあっても、どちらが死んでも、オデルには選択権がない。  ——こんな馬鹿なことが、ありえるだろうか?  オデルは身震いしながら、緩めた腹帯を締め直し、愛馬に騎乗すると、レナードの背中を追った。  明日になれば、レナードを、永久に失ってしまうかもしれない。  だとすれば、心を乱すおこないは、今は慎むべきだった。

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