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第20話 血と、その顛末(新版)

 地平線が青白く染まりはじめる夜明け前。  約束の場所に待機していたレナードたちのもとへ、立会人を連れたバレットが現れた。 「遅れちゃいないはずだ」  朝露を踏みしだき、ぶっきらぼうに主張したバレットは、オデルとレナードを一瞥し、審判役のガジャージュへ「準備はできています」と頷いてみせた。 「バ、バレットさん……っ、やはり、わたしなどでは……っ」  ローズブレイド公爵邸に連泊した客らがぐるりと囲む空気に圧倒された様子の、バレット側の立会人は、眼鏡を掛けたうら若い青年だった。貧乏くじを引いた表情で、猫背ぎみにぼそぼそと小声で話すアシュリー商会の経理担当者——経理屋と呼ばれる青年は、バレットの神経を逆撫でにしていた。 「金が入ったら、あなたにすべて任せるんだ。あなた以上の適任者はいない」 「でっ、でもですね……もし、あなたが……っ、万が一、そ、そしたらわたしが責められませんか……っ? それに、こんな違法なことをして、我々は、ベータなのですし……っ」 「どのみち、遺書を預かっているのはあなただ。時間が惜しい。はじめてくれ」  バレットは、経理屋を、ガジャージュと、レナード側の立会人のイアンに簡単に紹介した。決着が着いたあと、速やかに社債の売買ができるよう、顔を繋いだのだ。  決闘の詳細を知るのは、ローズブレイド公爵領内にいる貴族らと、その同伴者ぐらいだ。秘密は遵守され、イアンに呼び付けられたフレイムトラスト社の記者とカメラマンさえ、この場へくるまで何が行われるのか詳細を知らされていなかった。  バレットに翻意を促して失敗した経理屋が黙ると、審判役のガジャージュが進み出た。レナードも、さすがに緊張した面持ちだ。 「もしもの時は、頼む。イアン」 「万事、心配するな。勝ってこい」  フレイムトラスト社の記者たちが、構図を工夫しながらフラッシュを焚く。これだけの人数が集った以上、遅かれ早かれ噂になるのは避けられない。だから、物語風の架空記事にして、結末がどうなろうと、オデルとローズブレイド公爵家を守る戦略だと、レナードとイアンから聞かされたオデルは、努めて邪魔にならない場所——審判役のガジャージュのすぐ隣りに立った。  決闘前に、互いの獲物を検分し、審判役が両者を分けると、いよいよはじまる。 「両者ともに異存ありませんな?」 「ありません」 「ありません」  殺し合いに合意したレナードとバレットが、剣を構える。 「……はじめっ!」  ガジャージュが下ろした腕を合図に、レナードとバレット、双方が大きく前へ踏み込んだ。  足場は一昨日から断続的に降った雨水をたっぷり含み、所々、緩んでいる。闘いはすぐに混戦になった。両者ともに足を取られることを気にして、攻撃が浅くなりがちで、致命傷を負わせられない。中途半端な攻めと守りに、着ている白いシャツが破れ、みるみる血が滲んだ。周囲がしきりに囃し立て、煽る声を聞きながら、オデルは両手を祈るように身体の前で交差させた。  百を越す打ち合いが続き、時間が過ぎゆく中、次第に体力が削られ、体幹が崩れはじめる。すると、白熱した剣技に火花を散らすというより、闘犬同士の抗争めいた殺し合いになった。肉を削ぎ、両者とも血と汗と泥に塗れながら、体勢を崩しかけたまま、詰めの甘い防御と攻撃が繰り出され続ける。体力と血肉を削り合い、息が上がり、立っているのもやっとな状態ながら、どちらも引かない形相で、戦意を剥き出しに相手の弱点を見抜こうとしていた。  やがて、打ち合った回数がわからなくなる頃、観客らの待ち望んだ瞬間が、前触れなく訪れた。 「っ!」  左肩を突かれたレナードが蹌踉めくと、皆が大きく唸った。  返礼とばかりに、レナードが唸り声とともに、バレットの右脇の下を薙いだ。 「ぐ……!」  利き手をやられたバレットが、たまらず剣を取り落とす。拾い上げようと身を屈めたバレットの首筋に、レナードの剣先がぴたりと付けられた。だが、中腰のバレットは左手で濡れた土をひと掴みすると、レナードの視界を奪うべく投げ付ける。飛んできた泥土を躱したレナードの足場を崩そうと、バレットが低く蹴りを放つが、動きを読んだレナードが飛び退き、バレットが支点とした右手を大地に縫い付けた。 「ぅが……っ!」  動きを封じられたバレットが、たまらず声を上げる。  だが、バレットは自由になる左手で掴んだ小石や泥を、レナード目掛けて投げ付け続けた。たまらず怯んだレナードが剣を抜き、距離を取りかけたところへ、バレットが獣のように突進する。 「ぐ、ぅ……!」  肉弾戦に持ち込もうとするバレットの右肩を、レナードが突き刺す。バレットは痛みに悶絶しながらも、引くまいと声を上げた。バランスを崩しかけたレナードは、剣を外側へ薙ぐと、迫ってきたバレットの右太腿の裏を突き、さらに身体を半回転させ、左ふくらはぎを突き刺した。続いて、相手の体勢が崩れるのを待ち、膝を付いたバレットの喉元に、再びぴたりと剣を突き付ける。 「終わりだ……っ!」  荒い息のまま、レナードが宣言するが、バレットは燃えるような双眸を伏せようとせず、闘志を曲げようとしなかった。  その時、立会人の経理屋が悲鳴を上げ、身を乗り出した。 「なしなし! 負けました! 降伏しますっ! 命だけはお助けください……っ!」 「待てっ……! まだ負けを認めていないっ!」  飛び出しかけた経理屋を、イアンが羽交い締めにして止める。 「っ……そうだ、まだ、だ……っ」  そう唸ったバレットは、攻撃を止めたレナードの剣を上腕で払いのけ、血塗れのまま挑発し、叫んた。 「どうしたっ! 殺さないのかっ!」 「っ」  動揺し、一瞬、躊躇し、隙ができたのがオデルにもわかった。バレットはレナードの攻撃範囲から出ようと身体を捻り後ずさろうとした。その瞬間、踏み込んだレナードが剣先をバレットの額へ向けて跳ね上げる。 「……っぐぁ、っ……!」  かろうじて届いた切っ先が、バレットの頬に傷を作る。返した手で、しなった剣が左鎖骨を突き刺した。次にバレットの手首を狙い、上腕骨の間を正確に通し、その場に縫い付けた。 「あ……ぐ……っ、く……っ!」 「動けまい……っ。負けを、認めろ……!」  神業のような技術だった。群衆が唸り、歓声を上げる中、双方とも肩で息をしていた。レナードも、立っているのがやっとの様子だ。だが、音を上げようとしないバレットを見たレナードは、縫い付けた剣先を、そのまま半回転させた。 「ぎ、あぁっ! ぐ、うぅ……っ! ぐぅ……っ!」 「負けですっ! 負け……っ! 認めてください、バレットさんっ、死にますよ……!」  獣のように苦しみの声を上げるバレットに、経理屋が叫ぶ。衆目もどよめき、カメラを抱えた記者は決闘の絵を撮り続けた。賭けをしている一部の貴族らが、大声で野次を飛ばしはじめる。中には絶対に降伏するなと無茶を言う者もおり、次第に事態の収集が付かなくなりかけていた。 「二度と……私の伴侶に、近づかないと、誓え……っ」  生殺与奪の権利を持ちながら、レナードはそれを行使しない。傷口を広げられる痛みに晒されながら、まだバレットは逆転の機会、もしくは粘る手を探しているようだった。 「誓えっ、バレット・アシュリー……!」  レナードが促すが、バレットは虐げられた鼠のような目で睨み上げてくる。オデルも、イアンと経理屋とともに、ガジャージュを振り返ったが、審判役に立候補したガジャージュは、両手を下ろしたままだった。双方が戦闘不能になるか、死ぬか、もしくは負けを認めるかしなければ、決闘は終わらない。満身創痍のまま、両者ともが蹌踉る。 「まっ……だ、だっ、まだ、俺は……っ!」  ひと思いに殺されるより苦しみを伴う状態で、まだ抵抗するバレットに、レナードは剣の切っ先を引き抜くと、右肘の内側を払った。次いで、右肩、左手首、と加減はしているが、上半身の関節部分に次々と切り込みを入れてゆく。 「がっ! っう、ぐっ! ぐぁぅ……っ!」  最早、一方的に嬲る、見世物になりつつあった。だが、レナードは命を取るという、最終手段を封じたままだ。血腥い見世物と化しつつある決闘に、観客の興奮は跳ね上がるばかりだった。煙草や葉巻の吸い殻、辺りから引き抜かれた草や泥、石ころなどが、決闘中の双方に向けて投げつけられる。事態をおさめるには、もうバレットの降伏しかないと誰もが思った時、イアンに羽交い締めにされた経理屋が、叫んだ。 「負けっ……負けてくださいっ、バレットさんっ! あなたの我が儘で商会を潰すどころか、この世からもオサラバして、わたしに後始末を押し付けるつもりですかっ? 冗談じゃないっ、潔くも何ともありませんっ! これ以上貧乏くじを引くなら、わたしだって辞めますよっ!」  喚き声に、それまで耐えていたバレットは、悔しげに力を抜いた。そのまま小さく肩を震わせ、小声で「わかった……」と呟いた。 「……負けだ。俺の負けを、認める……っ」  観衆がどよめく中、バレットの降伏を確認した審判役のガジャージュが、やっと片手を上げ、宣言した。 「勝者、ローズブレイド公爵!」 「よし……っ」 「レナード……!」 「バレットさんっ」  レナードとバレットの元へ、イアンとオデル、そして経理屋が駆け寄る。両者ともに、レナードの手配した医師が付き、崩れ落ちたレナードと、仰向けに倒れたバレットが、それぞれに手当てを受けはじめた。両腕と両脚を負傷し、立てなくなったバレットの横で、オデルとイアンに支えられたレナードは、片膝を付いて安堵のため息を漏らした。  しかし、担架が用意され、乗せられようとしたバレットが、虚空に向けて高らかに笑い声を上げはじめた。 「教えてやりますよ、ローズブレイド公……っ。俺は、絶対にあなたが手に入れられないものを、オデル様から、もらった……っ! こいつが、証拠、です……っ! 望んだところで、得られない……あなたが、受け取ることのできない、オデル様の心、が……っ! ここに、ある……ん、だ……っ」  バレットが、シャツの左胸のポケットをぐしゃりと握りしめると、白い封筒が覗いた。 「ざま……みろ、だ……っ」  その言葉を最後に昏倒したバレットに、経理屋が手を止めた医師を促した。 「バレットさん……っ! お、お医者様……っ、は、早く手当てを……!」  見ると、血溜まりが下草にできていた。素早く担架に乗せられ、運ばれてゆくバレットのポケットから、はらりと白い封筒が零れ落ちる。足を止め、それを拾った経理屋が「死んだらあなたがたのせいだ……っ」と恨み言を残し、オデルのいる方へ向けてその封筒を投げ付けた。 「心……」  野の白露に濡れ、泥塗れになった封筒を見たレナードが、ぽつりと呟く。 「レナード、今は考えるな。きみだってボロボロなんだ」 「そうだな……確かに」  イアンに宥められ、立ち上がろうとするレナードに肩を貸したオデルは、少しの間、伴侶の重みをイアンに任せ、落ちた封筒を拾い上げた。 「オデル……?」  レナードが不安げな声を出す。バレットは、一見、悲痛な声で自棄を起こしたように見えたが、封筒の宛名を見たオデルは、筆跡ですべてを理解した。 「この手紙は……ぼくが出したものです。間違いありません」 「オデル、何を……」  周囲がしんと凍りつく。非難の眼差しを浴びたまま、オデルは顔を上げた。憎しみを向けられるだけのことを、した自覚がある。申し開きをしないまま、レナードとこの場を去ることはできなかった。それは、レナードの気持ちを享受しながら、何も返さないことと同じだ。逃げ出すだけでは何も変わらない。それは、命賭けで守ってくれた者に対する所業ではなかった。 「ぼくの権限で、今ここで、この手紙を公表したいです。許していただけますか……?」  オデルは、レナードとイアンへ歩み寄ると、封筒を差し出した。 「これは……正真正銘、ぼくが書いたものです。バレット卿個人に宛てて、出しました。ぼくがいかに愚かだったかを、ここで、ちゃんとわかってもらう必要があります。だから……お願いします。読んでください。レナード……」  オデルから差し出された封筒を、レナードは震える指先で受け取った。 「きみが、矢面に立つ必要は……」 「いいえ。何より、あなたに、知っておいていただきたいのです。かつて、ぼくがアシュリー卿と、恋仲にあったことを」  オデルの明言に、レナードが息を呑んだ。 「だから、どうぞ、読んでください。あなたに知っておいていただきたいことが、書かれています。……誰でも、読んでいただいてかまいません。ぼくの罪が、したためられています」  困惑と疑念が群衆に広がる中、オデルは、はっきりと声を上げた。 「この状況を引き起こした元凶は、オメガであるぼくにあります。根も葉もない噂が立つ前に、事実を公表すべきだと考えます。皆様、少し、お付き合いいただけないでしょうか」  憐れむ視線を向けるレナードに、オデルは微笑を取り繕った。もらった沢山の優しさに、値する人間になりたかった。アルファでなくても、オメガのままでも、レナードの誠意に応えられる人間になれたら——度し難い希望とわかっていたが、レナードとの関係を修復の余地なく破綻させる可能性の向こう側にしか、レナードを愛する道はなかった。  レナードは、封筒から手紙を取り出すと、文面を静かに目で追った。長いものではない。二回、読み終えると、深いため息とともに漏らした。 「オデル……きみとはあとで、色々と話をしなければ……」  レナードは崩れ落ちかけながら、イアンへ手紙を託した。 「……読んでやってくれ、イアン」 「いいのか?」  レナードが頷くと、イアンは声を張り上げ、読み上げた。 「……『親愛なるバレット卿。今までぼくを好いてくれて、ありがとうございました。でも、もうお会いできないことを、お伝えしなければ。彼を愛してしまいました。ですから、お別れです。さようなら。お元気で。オデル』——以上だ」  手紙の代読が終わると、束の間、周囲が静寂を帯びた。次第にざわめきはじめ、やがてどよめきを発した頃合いを見計らって、ガジャージュが雷鳴のように怒鳴り声を上げた。 「さあ、見世物は終わりだ! 道を開けてくれ! 一刻を争う! 退いてくれ!」  ガジャージュの声に集団が縦に割れた。その中央を縫うようにして、怪我人を乗せた馬車が二台、ローズブレイド公爵邸へと走り出す。 「きみらも良くやった……! 記事は明日の朝刊に載せる! 頼んだぞ……!」  レナードとオデルが乗り込んだ馬車に、最後にイアンが飛び乗ると、社員に労いの言葉を発しながら扉を閉めた。記者らが遠目に了承の証として手を上げるのが見え、馬車が全速力で駆け抜けはじめる。  足場の悪い領内を全速力で駆ける馬車の中、目を閉じたままだったレナードが、おもむろに口を開いた。 「オデル……、イアン……」 「レナード……ッ?」 「どうしたっ、レナード……!」  オデルとイアンが身を乗り出すと、レナードは痛みに歯を食いしばりつつ、呟いた。 「アシュリー卿を、死なせないよう、ちゃんと面倒を……」 「馬鹿を言うなっ、死にそうなのはきみだぞ!」 「私の、は……、ただの、貧血……」 「強がっている場合かっ。大丈夫だ。ちゃんと言ってある。向こうも心得ているさ」  馬車が揺れるたびに、顔を顰めるレナードの隣りで、見ていることしかできないオデルはもどかしげに伴侶の手を握った。いつもの温もりがなく、冷え切っている。命の火が消えないように祈りながら、オデルはレナードの髪を、そっと梳いた。 「危うくきみの誠実を、疑うところでした……オデル」 「レナード……」  レナードが薄く目を開け、オデルを見上げる。双眸は優しく儚げな光を帯びている。 「よく、辛抱しましたね……私の、オデル……」 「そんなこと……っ。これ、ぐらい……っ」  まだ血を流している。  でも、生きている。  医師が傷を数え上げ、細かいものは消毒したり、減菌された真新しい布で開いたままの傷口を押さえるよう、指示をした。医師を手伝いながら震えるオデルの手へ、血と泥の混じったレナードの手がそっと重ねられた。 「それでも……」  きみの心が、嬉しいです——と目を閉じ、囁いたレナードに、オデルは何も言えず、一粒だけ涙を落とした。

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