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第21話 離別(新版)
「すみませんが、一階の……書斎の隣りの客用寝室へ、お願いできますか……?」
邸に帰り着くと、イアンとオデルに抱えられたレナードは、そう指定した。北の離れを除けば、一階で唯一、空いている部屋だ。
「きみといると、獣になってしまいそうですから……ね?」
二階の主寝室はオデルが使うよう指示をすると、レナードは書斎の隣りの客用寝室のベッドへ横たわり、馬車の中で処方された鎮痛剤が効いてきたのか、深呼吸とともに目を閉じた。
看護師を伴い、医師がカルテに記入しながら処置を続ける中、イアンが顔を上げた。
「悪い。レナードの代わりにやることが山積みなんだ。おれはこれで失礼するよ」
「ありがとうございます、イアン」
「致命傷がない以外、あちらの御仁と大差ないはずだ。オデル、きみも気をつけてやってください」
オデルが頷くと、イアンは顔色の悪い親友をチラリと見た。
「治るまでは、書類仕事もお預けにします。その為に、おれがいるのでね」
イアンが出てゆくと「縫合しますので」と医師に告げられ、立ち会うかどうかオデルは問われた。死にそうな顔色のレナードが、会話は聞き取れているらしく「いってください」とオデルへ願い出た。
「きみに、痛がりで泣き虫なところを見られるのは……恥かしいです」
心配をさせないよう、半分、眠たそうに主張するレナードの意見を容れ、オデルは部屋をあとにした。
廊下へ出ると、扉ひとつ隔てた場所に、オデルはしばし立ち止まった。レナードが苦悶の声を上げるのが、漏れてくる。麻酔が効いても縫合が広範囲に及ぶと、痛むという。決闘で負った傷は、幸い、深いものでも臓器を損傷させはしなかったようだが、傷跡は残ると医師に言われた。
オデルは深く息を吸い込み、ぐらついた心を立て直そうと、その場を離れた。
*
一方、一時的に危篤状態に陥ったバレットは、医師らの懸命で献身的な看護により、峠を越え、命を繋いだ。
容体が安定したとの報せを受けたのは、決闘騒ぎから一週間後のことだった。傷が癒え、身動きが取れるようになるまで、ローズブレイド公爵邸の北の離れに留め置かれることとなり、レナードの提案を容れ、その手配をしたのはオデルだった。
また、レナードも、最低二週間の絶対安静を言い渡されていた。
出血のわりに傷が浅く、紙一重で急所を躱していた、とレナードを診た医師が、その反射神経に舌を巻いていた。だが、バレットの意識が戻ったことを知ると、決闘相手を見舞うと言い出し、オデルとイアンを困らせた末に、レナードは我を通した。
「何を、しに……きた……」
北の離れは薔薇園の庭の中にある。
ベッドに横たわるバレットは、イアンとオデルに支えられて立っているレナードに、案の定、眉を顰めた。
宗教画で装飾された豪奢な天井を見上げたまま、両腕と両脚、胴体にも包帯を巻き、まだ動くこともできない様子だった。傍らには看護師と、アシュリー商会の経理屋が付き添っていた。
「笑いにきたなら……帰ってくれ」
バレットはオデルら訪問者を一瞥したあとは、ずっと天井を見ていた。レナードが少し前のめりに「確認したいことがあります」と言った。
「なぜ、きみは「決して手に入れることのできないもの」などと言ったのですか? あれはどういう意味ですか?」
努めて冷静なレナードへ、バレットは素っ気なかった。
「言葉のとおりだ。あの、手紙は……?」
「……ここに」
オデルから返却され、預かっていた白い封筒を、経理屋は静かにバレットの枕元に置いた。
「誰も手に入れられない、唯一のもの……、それを、失われた愛情、と解釈しても……?」
レナードの問いかけに、生気の抜けたバレットの顔が、わずかに赤みを帯びた。生きることへの執着を、思い出したようだった。
「言葉のとおりだと、言ったでしょう……他に質問は? ないなら……お引き取り願います。こちとら……息をするだけで、肺が痛むんでね……」
「私がオデルからもらえないものを、きみが持っているなんて、狡い」
「はっ……」
不貞腐れたレナードの声に、バレットは鼻を鳴らした。オデルはレナードを支えながら、羞恥と後悔に苛まれた。
「あれは、特別な……俺だけの、ものだ……。あなたにも、誰にも、渡さない……っ。あれは……っ、かつて、俺に向けられていたもの、だ……っ。俺、に……っ」
最後はうわ言に近かったが、オデルはバレットの変貌を憂いた。こんなことを言う人ではなかった。バレットを、ここまで追い詰め、壊してしまったのはオデルだ。まだ、直接、罵られた方がましだった。
「バレット卿……私は、オデルを諦めるつもりはありません」
隣りでレナードが呟いた。
「過去がどうあれ、私は、オデルを愛しています」
「ふん……っ、なら、これ以上は、ふたりでやったらどうですか? 俺には関係ない。オデル様が……俺にくれたものに、値段は付かない。だから、こいつは、お返しします……オデル様」
「っ……?」
バレットの言葉を補完するように、経理屋が白い封筒をオデルへ差し出した。フレイムトラスト社の透かし印が入っているそれを、イアンが目敏くぎっと睨んだ。
「何者も、俺の想い出に、忘却を与えることは、できない……っ。アルファであっても、貴族であっても、どれだけ財を持っていようと、どれほど偉く、国をも動かせる力があったとしても……。俺の心に、干渉することは、できない……っ。オデル様の心を、変えることができないとしても……俺には、想い続ける自由が、ある……っ」
青ざめながら、フレイムトラスト者の透かし印が入った封筒を受け取るオデルに、バレットは言い切った。
「俺は終わりだが、施しは受けない……。気持ちだけ、いただきます……」
封筒には、レナードからもらった婚約指輪を担保に、イアンから借りた金額が記された小切手が入っているはずだ。現金化せず、持ったままでいたことにも驚いたが、命を捨てる覚悟を見せられたオデルは、何も言えなかった。
「……私の伴侶からの支援を、断るのですか?」
重い沈黙を破ったのは、レナードだった。虚を突かれたオデルがイアンを見ると、秘密の共有者であるイアンは、硬い表情で首を横に振った。
「気持ちに値段を付けるなんて、とんだ野暮だ……っ。俺は……オデル様との想い出を、宝物にして、ゆく……それだけだ」
バレットの決意が、レナードとオデル、そしてイアンとの間にまで、疑心の楔を打ち込んだ。オデルがアシュリー商会へ多額の出資をしたことを、イアンから聞いたのでなければ、なぜレナードは知っているのだろう。
「話は終わりです……。傷に障るので、お引き取りを」
バレットが会話を打ち切ると、経理屋も納得しているのか、何も言わなかった。これから破滅を迎える彼らが、どんな話し合いをしたのかを、知る術はない。だが、アシュリー商会が潰れることへの不満が、オデルへ敵意として向けられていることは明らかだった。だが、レナードはそれを看過しようとしなかった。
「アシュリー卿……きみが私を傷つけたがる気持ちは、少しわかります。でも……オデルの気持ちを弄ぶのは、看過できません」
「……お帰りを」
「いいえ。言わせてもらいます」
レナードは、絞り出すような声で続けた。
「オデルは……やっと私を、少しずつ好いてくれるようになってきました。私は事前にイアンに頼んだことを黙っていました。もし、オデルが助けを求めてきた時は、それがどんな望みであっても、最大限、最上の形で、すべて与えてやって欲しい、と。私は臆病なので、イアンに口止めしました。オデルは私が裏で糸を引き、動いたことを、今、この時まで知りえなかった。……オデル。私はきみを、半分監視していました」
低く話すレナードの、息が苦しそうだった。オデルは腕に必要以上の力が入るのを意識した。
バレットが疑念の目で、やっとレナードを睨んだ。
「……何が、言いたい……?」
「きみは、オデルに何を捧げたのでしょうか?」
「は……?」
意味がわからない、という表情になったバレットに、レナードは声を鋭くした。
「私は、清廉潔白ではありません。ロイヤル・アスコットでは昔の仲間たちを頼り、誰がどこで何をどのように話しているか、手に取るようにわかりました。事前に網を張ったのです。おかげで私が手に入らないものの方が、あの場所では少ない。私の編み上げた情報網が、オデルを保護しているのを、アシュリー卿が勘違いして、接触してきたことは想定外でしたが……アシュリー卿、きみが憂慮するほど、我々は冷めてもいなければ、オデルは安全だったのです。周りが見えていなかったのは、きみの方です」
「……っうなじを、噛んでもいない癖に……っ」
着衣越しに、レナードの体温が上がりかけている。バレットとの過去がレナードを傷つけていることは明白だった。こんな立ち話を続けていたら、身体に障る。止めようと唇をほどこうとすると、オデルを頼るレナードの腕に、ぎゅ、と力が込められた。
「……伴侶とすべてを分かち合いたい、などと傲慢なことを言いながら、私はオデルに、肝心なことを黙ったままでした。言わない方が、波風が立たないからです」
バレットへ秘密を語りながら、レナードは少し腹を立てている様子だった。
「怖かったのです。オデルが、他の誰かを愛する姿を目の当たりにするのが……。これ以上、何も失いたくなかった。何をどう誤魔化してさえ、オデルが横にいてくれれば、いいと思ったからです」
言葉を発しながら、レナードは歯ぎしりするバレットから視線を外さなかった。睨み合いに火花が散るのが見える気がした。レナードを挟んだ反対側で支えているイアンが、竦然とした顔で呟いた。
「すまない、オデル……だが、誓ってきみの隠し事をレナードに話したことはない。本当だ」
心の中に嵐が生じたオデルは、混乱した。バレットとの逢瀬も、イアンにした金の無心も、所詮はレナードの手のひらの上でのことだった。何も尋ねないでいたのは、単に知っていたからで、信頼でも放任でもなかったのだ。
「ぼく、は……」
「友人の名誉のために断っておきますが、イアンは約束を守りました。律儀というより、愚直に。ですから……それが高額の小切手であるだろうと思ったのは、想像力を働かせただけのこと。このとおり、恨む要素はたくさんあります……オデル、きみは、どうしますか……?」
迷い、手がかりが欲しいと思ったオデルは、つい、イアンへ視線を投げかけた。すると次の瞬間、不機嫌な声でレナードに名前を呼ばれる。
「オデル」
「……?」
手前にいるレナードに視線を戻すと、眉を顰めて言われた。
「わざとやっているのなら、私だって怒ることができるんですよ? 許さないでいることだって、私にもできるのです。それを、わかって……ん」
オデルはレナードの口を指で塞ぐと、少し背伸びをして、そこへ唇を押し当てた。触れるだけだったが、離れると、レナードは呆気に取られ、ぽかんとしたままオデルへ瞠目した。
「これで、おあいこ……です、レナード」
突然、眼前で起きた出来事に、唖然となったバレットと経理屋の視線が痛かった。少し遅れて、イアンが笑いを堪えているのが見える。オデルは無言のまま俯き、頬が染まりゆくまま堪えた。レナードが相手なら、くちづけひとつで許してしまえる。自分でも大胆なことだと思ったが、どう取り繕うべきか、わからない。
無言のままぎくしゃくしかけたレナードとオデルへ、バレットが「早く出ていけ」と悔しげに漏らした。
「っ……くそ、何なんだ。これじゃまるで……っ」
血走った目のバレットの呟きに、ほどなく魔法が解けたかのように通常運転に戻ったレナードは、ごく冷静に言った。
「アシュリー卿……オデルに約束したとおり、命は助けます。傷が癒えるまでローズブレイド公爵家は、きみと、その関係者を拒みません。不自由があればいつでも申しつけてください。……傷に障るといけませんから、我々はお暇します」
取り繕うが、声色が弾むのを堪えているのがわかる。オデルはとてつもなく恥ずかしいことをしたと、今になって実感した。踵を返したレナードは、思い出したように扉の前で振り返ると、別れの挨拶代わりに言い置いた。
「うなじを噛まないのは、オデルと約束したからです。本当に、愛し合うまで、しないでおこうと……。子どもっぽい夢だとわかっていますが、私はできれば自分の欲望より、オデルを優先したいのです」
「っくそ……っ」
憎々しげに放ったバレットの雑言は、レナードが出ていった扉に跳ね返される。オデルもバレットも、直接、会話を交わすことはなかったが、互いに離別の時がきたことを、理解していた。
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