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八話 革靴のシンデレラ
柔らかなコットンの風合いは、肌に馴染んで心地よかった。俺は思わず袖を撫でて、「おお……」と感嘆の溜め息を吐く。
今日の俺は、爪先から頭まで、雨下がプレゼントしてくれた服で固めている。オシャレな革製の靴に、カットの変わったパンツ。ベルトも勿論、プレゼントだ。それに、肌触りの良いコットンのカットソーを合わせ、ジャケットを羽織っている。鞄も当然、雨下のブランドだ。
「シンデレラの気持ちが分かるな……」
全身コーディネートされて、別人になった気持ちだが、中身は俺のまま、なにも変わらない。だからこそ、余計に落ち着かない。
だが、周囲の視線は、いつもとは違う。無関心か、顔をしかめるか。そのどちらかの視線しか向けてこられなかったのに、今日の視線は好意的なものが多い。
雨下に指定されたカフェで待っていると、周囲の話し声が聞こえてきた。
「あれ、『|Baretoes《ベアトーズ》』のジャケットだよねえ。カッコいい。もしかしてパンツも?」
「多分、鞄もBaretoesだよ。良いよね。モデルのKAOがアンバサダーやってるでしょ。好きなんだ」
勘違いでなく、多分、俺のことだ。『Baretoes』というのがどれほどのブランドなのか興味がなかったが、若いひとたちの間では結構、有名らしい。
(なんか、落ち着かないな……)
ただでさえ、一杯千円近くするコーヒーなど、滅多に口にしない。自意識過剰だとは思うのだが、みんなが俺を見ているような気になってくる。
(早く来てくれ……)
と、周囲の視線を誤魔化すようにスマートフォンを見ていると、不意に声を掛けられる。
「お待たせ、神足くん」
「あ。雨下さん――」
雨下の姿に、ホッとする。視線は俺から、雨下の方へとシフトしたようだ。
足フェチの変態だということを除けば、雨下は完璧なイケメン男性である。ルックスもさることながら、アパレルを幾つも抱えるオーナーだけあってセンスも良く、金持ちのオーラもある。
店中の視線を独占しながら、雨下は向かいの席にゆったりと腰を掛けた。
「待った?」
「いえ」
「やっぱり、良く似合う」
そういってニッコリと笑う雨下に、ドキリとして思わず目を逸らした。
「ふ、服が良いですから……」
「服だけ良くてもねえ。自慢じゃないけど、眼は確かなんだ。神足くんに似合うと思って選んだ服だもの。こうして見ることができて、良かったよ」
「は、はあ……」
男に褒められても嬉しくない。と、言い掛けたが、止めておいた。別に、雨下に褒められたのが嬉しくないわけじゃないし、変な嘘を吐く必要はないだろう。
「でも、落ち着かないんです。なんか、着られてる感じがすごくて」
「ああ、全部Baretoesで揃えてるからかな。手持ちのアイテムを組み合わせたり、敢えてカジュアルなものを使ったりすると、神足くんは着やすいかもね」
「そういう、もんですか?」
雨下の服は、普段着のような着やすい感じではない。だが、オシャレな服と普段着を組み合わせるなんて、想像もしていなかった。なんとなく、失礼な気がしたのだ。誰にたいしてなのかは分からないが。
「もっと自由に、楽しんで」
ニコッと笑う雨下に、緊張が僅かにほぐれた。
服を間違うことが、なにか重大な罪を犯してしまうような気になっていたが、雨下の『楽しんで』という言葉は、俺の気持ちを確かに救ってくれたような気がする。
「……せっかく、色々頂いたので、楽しんでみます」
「そうそう。特に大学生はさ、一番自由にファッションを楽しめる時期だと思うよ」
「そうそう。神足くん、歳上だからといって、そう畏まらないで。せっかく、デートなんだし、ね?」
ウインクを飛ばして見せる雨下に、俺は呆れて溜め息を吐く。
「デートじゃないです」
「えええー? 僕はデートのつもりなのに」
「そういうのじゃないんで」
冷ややかに言う俺に、雨下はククと魅力的に笑った。
なんとなく、今のやりとりで、妙な緊張感は消えた気がする。
(……まあ、雨下の手のひらで転がされてる感じもするけど)
悪い気はしないし、まあ、良いか。どちらにしても、大学に入ったばかりの俺と、多くの会社を回している雨下とじゃ、経験値が違うのだ。
「じゃあ、そろそろ行こうか。食事にはまだ早いし、どこか行こうと思ってね。博物館デートなんてどう?」
「あ、良いですね。間が持たないのもアレですし」
「もう、神足くんはそういういけずなこと言うんだから」
本当は、雨下となら気まずくなったりはしないと思ったが、なんとなくそう言いたくなった。
俺は拗ねた顔の雨下を見て、久し振りに笑い声を上げた。
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