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二十六話 『YOUR LEGS, AS』
雨下に連れられてやって来たのは、メインストリートから一つ中に入った場所にある、こじんまりとした路面店だった。外観は鋼鉄とガラス、コンクリートの武骨なデザインで、看板は出ていない。かろうじて、ガラス窓の中に見える服が、アパレルの店だとわかる程度だ。
「―――ここ、ですか」
華やかな店を想像していた俺は、正直に面食らった。店の前に置かれた花は一基だけで、それ以外は置かれていない。オープニングという華やかさからは、かなりかけ離れていた。
「そう。ビジネス目的じゃなく、趣味の店だからね。あまり公表してないんだ」
雨下はそういって、花を見て笑う。送り主はどこかの社長のようだ。雨下は「耳聡くて」と肩を竦める。おそらく、送り主にも言っていなかったのだろう。
なんとなく、隠れ家に案内されたような気分になって、落ち着かない。
雨下がゆっくりと、店の扉を開いた。
「いらっしゃいませ。縁くんが、一番最初のお客様だよ」
「……っ、なんかすごいな、それ。―――光栄です」
恐縮しながら、ゆっくりと足を踏み入れる。
一瞬、以前ブランドの店頭で、靴を見て入店を断られたことが頭を過ぎった。
(―――あの時は、くたびれたスニーカーだったな……)
あのスニーカーにワインをこぼされて、運命が変わった。交わるはずがなかった、俺と雨下を結びつけ、この場所に立たせている。
あのことがなければ、雨下に恋することも、きっとなかった。
雨下が手を差しのべる。
その手を取って、店の中へと一歩踏み出す。
「―――は……」
何かを言葉にしようとしたが、出てこなかった。
飴色の、美しいフロア。黒いスチールのラック。上質なコットンのTシャツに、フランネルのシャツ。ウールのセーター、カシミアのコート。
デザインはどれもシンプルで、色味も落ち着いたトーンの服ばかりだ。ただ、素材が吟味されている。
(思ったより……普通? いや、すごく良いものだ。だけど)
雨下のこれまでのコレクションラインは、奇抜なモードスタイルの服が多かった。だから、普通だと思ってしまったが、よく見れば大量生産の品とは細部が違う。
雨下が趣味だと言うだけあって、こだわりの強さを感じた。
「なんか、えっと……気持ち良さそう?」
「最高の褒め言葉だよ」
店内は静かだった。店にはカウンターのところに男性が一人立っているだけで、他に人はいない。店員らしいその人も、置物のように静かにしている。
「えっと……見ても?」
「もちろん」
見ないのも逆に失礼な気がして、手近にあったシャツに手を伸ばす。さらりとして、しなやかな生地。これにくるまったら、そのまま眠りたくなってしまうかもしれない。
(うわ。シャツってこんなだっけ……? めちゃめちゃ気持ち良い。ずっと触ってられそう)
異次元の心地よさに、ついうっとりと目を細める。
(高いんだろうな……)
とタグを見ようとして、それがないことに気がつく。
「ん? あれ、あの」
「どうかした? なにか気に入らなかった?」
「いや、値札……」
もしかして、良いお店って値段をつけないんだろうか。ちょっとだけ不安になってくる。そういえば、棚にも値段の表記がない。普段、値段と割引率の看板が目立つ店でしか買ったことがないので、お作法がわからない。
「ああ」
雨下は俺が戸惑った理由がわかって納得したのか、頷き返す。だが、値段を教えてくれるわけではないようだ。ポケットから、何かを取り出し、「はい」と俺の手の上に差し出す。
パッと見た感じは、キーホルダー。革製のキーホルダーにはブランド名らしいロゴが刻印されている。そして、キーホルダーには鍵がぶら下がっていた。
(何の、鍵だ?)
鍵は、凹凸がなく真っ直ぐの型をしている。言ってしまえば棒状の金属片。鍵として役に立つようには見えないので、そちらは象徴のようなものだろう。
「これは……?」
「ノベルティかな。ここ、番号が刻印されてるでしょ」
雨下が指し示した番号は、『0001』。特別なナンバリングだというのは、一目で分かる。それよりも気になったのは、ブランド名の方だ。
「―――『YOUR LEGS, AS』……」
君の足は。
「―――っ……」
明確に、何かを言われたわけじゃない。
けど。
きっとこの店は、俺のための、店だった。
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