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第3話 祈り
ふと皆が食事をする手を止めた。その視線を追えば、昨日ここに来たばかりの男が立っている。
忘れていたわけじゃない。昨日の様子を見るに、まだ部屋から出てこられないと踏んでいた。
リュナ自ら席を立ち、彼の分の食事を持ってくる。といっても、数には入れられていなかったから、余り物でしかないが。大柄な男だ。足りなければ、まだ手をつけていない自分のパンをやればいいだろう
「よければお座りください」
声をかけても男は動かない。目を忙しなく動かし、一体何の集まりだと探っているようだった。
「ここのことは、食事しながら話しましょう。皆気のいい人たちですから、快く教えてくれますよ」
触れない程度に腰に手を回し、着席を促そうとした。しかしその手は振り払われる。気性の荒い何人かが思わず立ち上がったが、リュナは目線だけで着席を促した。
男はますますこの集団を気味悪く思ったに違いない。皆が同じ身なりで、同じような行動をする。一件誰もが平等に見えるのに、リュナだけが特別扱いをされている。
やがて、そんな青年が後ろにいることが耐えられなくなったのだろう。男はリュナを突き飛ばし、その場を去ろうとした。リュナは思った以上に強い力によろけ、倒れてしまう。一瞬、男の顔に後悔と不安が浮かぶ。突き飛ばすつもりなど無かったのだとその表情が語っていた。
「リュナ様!」
「大丈夫ですか?」
「お怪我は……」
近くにいた数人が席を立ち、自分を心配する者と男を取り囲む者に別れた。ただ手が触れ、勢い余ってよろけさせてしまっただけ。それなのにどうしてこれほど緊迫した状況が続くのか。
「リュナ様に謝罪を」
「懺悔を」
「反省を」
男はそんな状況を作り出してしまった周知と混乱で明らかに怯えていた。
「リュナ様は天の御使いなのです」
「神の意志を我らに届け、救ってくださった」
ここまで来れば、男も今いる場所が見知らぬ宗教施設だと思い当たったのだろう。
「気持ち悪い……」
彼は思わずそう呟いていた。
そんな言葉にリュナは笑みを零す。自然と零れたものでありながら、違和感なく、慈悲を含んだ微笑になるよう咄嗟に演技をした。
気持ち悪い、だって?嫌悪感は未知と畏怖から来るものだ。それは、男が自分を強く認識したという何よりもの証だ。そのことを嬉しく思わずにいられるだろうか。笑わずにいられるだろうか。
「皆さん、落ち着いてください。私はなんともありませんから」
優しい声を出せば、混乱している男以外の皆がさっと席に着く。
「貴方もお座りください。嫌ならばもう触れません。この場所のことや抱いた疑問は、皆さんに尋ねると良いでしょう。きっと快く答えてくれますよ」
「リュナ様はどこに……」
「私はもう腹も膨れましたから」
そう言って追いかけてこようとした信徒に、さりげなく手のひらを見せる。自分で手当をするから追いかけずとも良いと伝えたのだった。
***
手の傷を手当する気はなかった。するとしても、後でいい。自分はすぐにあの場を離れたかった。
今朝まであの男が使っていた部屋に駆け込む。扉は閉めなかった。
部屋はベッドに丸まって寝た跡がある以外、何も変わりはなかった。ベッドの横、小さな机の上には、小さな木彫りの像が置いてある。神の偶像と自分で設定したものだ。かろうじて人型に見える程度で、技巧もなにもない。当然だ。自分が適当に彫ったのだから。
その小さな像に跪いて、祈りの形を取る。聖珠を胸に当て俯く。自然と涙が零れた。嬉しかったから。今日も自分の存在が認識されていると思えて。ここが自分の居場所だと思えて。
背後から足音がする。居心地の悪くなった男が自分を追ってきたのだろう。果たして、偶像の前に跪き涙を流す自分を、どう思ったのか。
「わ、私は……謝りたくて……」
「気にしないでください。この涙は違います。痛くて泣いていたわけではないんですよ」
「では、なぜ……」
「祈っていただけです」
彼と目を合わせて微笑む。まっすぐ一瞬の曇りなく。慈悲を滲ませた瞳で。こんな時、いつもこの世界に産まれてくる前の自分を思い出していた。
いわゆる前世というやつだ。今の自分は、あの優しい姉と似た笑顔をしているはずだ。
「私も、貴方みたいになれたらよかった……」
どこか懐かしい台詞を目の前の男が零す。
「人に暴力を振るう拳を持たない、清らかな身で生まれたかったんです……」
言葉とともに頬を伝った涙を、持っていたハンカチで拭う。
「貴方は貴方です。無理に私になる必要はありません」
たった一度、人を殴っただけの人間がここまで思い詰めるだろうか。彼はきっと、自分以外の人間にも同じことをした。
初対面の時を思い出す。彼が怯えていたのは自分にではないのだろう。おそらくは、人と対峙すること。そして再び暴力を振るってしまう自分を恐れていた。
「けれど、罪を贖いたいのであれば、方法はあります」
ここから先は、他の新入りにしてきたことと同じだ。
「赦されたいのなら、どうぞ、僕と共に……」
そしてまた、暗闇へと誘えばいい。
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