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第5話 痛み

行き止まりまで随分と歩いてきた。リュナが息を切らしていないのはこの道を歩きなれているからで、男が息を切らしていないのは息を詰めているから。 やがて肉の腐った匂いが鼻をかすめ、湿った空気が肌を撫でにくる。男は逃げ出すことなく、目の前の大きな木像を見ていた。リュナの部屋にあったものはミニチュアで、これを真似して彫ったものだ。元から地下へ降りきった場所に設置されていた、いわば聖体。こちらの方がより人の形をしていると分かる。目を閉じ指を組み頭を垂れ祈る華奢な人間は、性別すら定かではない。衣服は自分が着ているものと同じ。不気味に見えるのは、像の後ろに鉄格子が嵌められているからだ。その先は黒々として何も見えない。目を凝らせば何かが蠢いているよう程度には見えるかもしれないが。 リュナは像の前に跪き、男は立ち尽くした。 「母の御心のままに、罪には罰を。罪人に贖う慈悲を。業に囚われた心の、解放を」 その声が合図だった。祈りの言葉が切れると共に、何かがしなり、風を切る音が耳に届く。そして、ぼとりと肉片が落ちる。男の肘から先がリュナの足元に転がってきた。 「あ……あ……うわあああああああああああ」 耳をつんざく叫びが響いた。 「大丈夫です。裁きですから」 落ち着けとは言えなかった。今まで罪人に下ってきた罰と比べては、あまりにも重すぎたからだ。 しかし、ゲームの世界なら死ぬこともない。 鉄格子の向こうにいる存在が、この腕は不要だと判断した。ということは、男の子罪はこの腕にあるのだろう。右腕で誰かを傷つけ、腕一本に値する何かを奪った。人を殴ったか、刺したか、撃ったか。そして相手には後遺症が残ったのだろう。命までは奪われず、しかし切断に至ったとなそういうことだ。少なくとも、暗闇の向こうに蠢く存在はそう判断した。 「味わった痛みが貴方の贖い。そういう教義となっています。ですが……」 涙は自然と零れた。 「痛みを我慢しろとは、僕は思いません。叫んでもいい。嘆いてもいい。僕にできることなら何でもします」 部屋の端にあった布で包む。ここにはひと通り手当の道具が揃っていた。ここを訪れた人間は、指を落とすなり肌に傷がつくなりして血を流す。さすがに腕一本は初めてだったが。 「貴方は助かります。残された体で、共に生きていきましょう。僕が貴方の右腕になりますから」 「ありがとう……ございます……」 呼吸は荒く、絞り出された声は掠れていた。おかしな教義だと彼も思っているだろう。それでも疑問に思うほどの余裕は今の彼に残されていなかった。 「貴方は……美しい方だ……」 この世のものとは思えないほどに。 男が力なくそう呟いたのを、リュナは聞き逃さなかった。 「この世に美しくない方なんていませんよ」 心にも思ってない言葉て答える。 「いいえ……いいえ……私は醜い人間なのです……だからここに辿り着いたのでしょう……」 痛みで顔を歪ませ、呻きながら過去を悔いる。 「貴方とならば……私も美しい存在になれるでしょうか……」 非日常と駆け巡る激痛の中で、男は錯乱し、もはや崇拝ともいえる敬意を自分に抱いた。一緒にいたいと残された腕で縋りついてくる。そうすれば、自らを浄化できるとでもいうように。 到底無理な話だ。 自分だって、罪のある身。そしてまだそれを贖いもしていない。 先ほどの彼の質問に答えるのなら、自分の罪は欺瞞。もしくは傲慢だ。 ここがゲームの世界であると知っている。罪人を救い、贖わせ、彼らに愛されるのは本来主人公の役目であると理解しながら、その立場を横から掠め取った。 今もその立場を譲ろうとはしない。縋りつかれる愉悦を、もう何度も覚えてしまったから。

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