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第6話 前世
この施設は、一見すれば石造りの修道院だ。しかしその実情は、罪を抱えた者たちの流刑地。常人から一線を越えてしまった彼らは、罪を贖う密室に閉じ込められ、集団生活を余儀なくされる。そこで描かれる交流が、ゲーム『アナテマ・アポクリファ』の主題となる。
と言ってしまえば聞こえはいいが、このゲームには年齢制限がある。18歳未満はプレイしてはならないと規定されるほど、性的描写と血なまぐさい描写であふれている。罪人であることを理由に、登場人物たちは主人公に好き勝手陵辱され続ける。
このゲームの特徴は、同一世界観で登場人物を変え、男性向け、女性向け双方に展開していたことだ。ターゲット層を広げたいとはいえ、よくも二倍の労力をかけたものだと思う。制作者はよほどこのゲームに愛着があったんだろう。しかしそのおかげで作品は少しばかり話題になり、自分のようなゲームには疎い者でも、断片的なあらすじは把握できていた。だからこそ、攻略は容易い。主人公へ取って代わることなど、簡単にできてしまった。
***
ゲームのシナリオと同様、この世界に産まれる前の自分についても、リュナが思い出せることは断片的だ。もともと覚えていることが異例なのだから、そこはもう仕方ないと開き直っている。人間、転生したからといってそうそう実力以上は発揮できない。
しかし、閉じられた空間にありながら、今の生き方の方が、前世よりもよほど色づいて見える。
名前も思い出せない、朧気で曖昧な記憶の中でも、前世の自分はとてもつまらない人間だったとリュナは思う。だから、今となってはもう、前世の自分の名前すら覚えていない。
誰かの好意や愛情、怒りや憎悪、その横をすり抜けていくような人生だった。
学生時代は、勉強を教え合う友人とも、レギュラー争いをする部活仲間とも無縁の生活を送っていた。
社会人になってからも、飲みに行くような仲間の存在がいたかどうかを思い出せない。たぶんいなかったんだろう。
地味で、根暗で、いつも俯いている。話しかけても小さく呟くような返事しかせず、その真意は誰にも届かない。まともな受け答えすらできないつまらない奴。
もし前世のリュナを知っていて、なおかつその存在を思い出せる人間が万が一にもいたのだとしたら、きっと同じ総評に辿り着く。
だって、話せることなんて何も無いから。家には漫画もゲームもなかった。テレビはあったが、いつも映す画面は決まっていた。姉がでている番組だ。
父はおらず、母には何を差し置いてでも譲れないものがあった。だから、自分が何も無いつまらない人間であったとしても、それは仕方の無いことだ。
それでも、姉の苦労に比べれば、自分の悩みなど陳腐で口に出すことすら恥ずかしい。
姉は幼い頃から、子役として活動していた。テレビにCM。ネットドラマにも出ていたように思う。成長してその活躍に陰りが見えてもなお、彼女は華やかで美しい立ち居振る舞いをしていた。
以前、何度も聞いたことがある。最初は狭い団地の一室で。姉と自分がある程度成長してからは、引っ越した高層マンションの一室で。
母の押し殺した声が、次第に熱を帯びていく。
「あなたのおかげよ。やっと私の夢が叶うわ」
「あんたのせいで!私の夢が終わってしまう……どうしてあんなオーディションごときに合格できないの!?」
幼い頃に、親戚が口さがない噂話をしているのを聞いた。その昔、母は女優になりたかったのだという。しかし彼女には華がなかった。顔はそこそこ整っていたと記憶しているが、人目を引くタイプの容姿ではなかった。すれ違ったらすぐに忘れられてしまうような人。自分は、母によく似ていた。
自分たち姉弟は、乱高下する母の機嫌に振り回されながら生きていた。それでも、時には笑い合うこともあった。
あれは中学生の頃だっただろうか。夜、子ども部屋で宿題をしていた時のことだ。
オーディションだったのか撮影だったのかは知らないが、相変わらず姉の帰宅は遅かった。当時の中学生が働けるギリギリまで仕事をしていたのだろう。
日付が変わろうとしている。自分は要領が良い方ではなく、特に数学が苦手だった。宿題はまだ終わらない。学習机で頭を抱えていた自分のノートを、いつの間にか姉が覗き込んでいた。
「大変だね」
自分が躓いていた途中式をすらすらと書き込みながら、笑顔で姉は言う。
「お姉ちゃんほどじゃないよ」
「そっか」
姉は仕事の疲れなど覗かせなかった記憶がある。見せる微笑みが綺麗で、自分とはまったく似ていなくて、思わずその横顔に見惚れた。神々しさすら感じた。
そんな彼女と自分の違いが心に深く刻まれる度に、自分は姉への隷属を誓ったものだった。自分ごときが彼女を羨もうなんて、彼女に逆らおうなんて、ありえないと。
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