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第10話 手当て

今頃、あの化け物は自らの触手が切り落とした腕に、そこから滴る血にありついている頃だろうか。 「これで手当は終了です」 血にまみれた布を、この施設では聖水と呼ばれている眉唾ものの水に浸す。 リュナの部屋で血の滲んだ包帯を何度も巻き換えても彼はしかめ面をしたままだった。狭い部屋だ。あるのは簡易ベッドと、位置を元に戻した小さな机と椅子。それと衣服など日常のものをしまうだけの小さな棚。男が新しい環境に意識がそれるのは一瞬だけだった。すぐに自分の体と向き合わなくてはならない。 この施設に鎮痛剤なんてものはなく、本当はのたうち回るほどの痛みだろうに、むしろよく耐えているとすら思う。 「すみません。ちゃんとした手当じゃなくて。義手もいつ届くかわからず……」 むしろ、そんなものがこの建物にあるかどうかも怪しかった。確実に届くと分かっているのは、ここで暮らす者たちになんとか行き渡る程度の食料だけだ。 「構いません……今となっては、これも当然の報いだと……っ、思ってますから……」 「……報い」 それから、男は訥々と過去を語り始めた。時おり痛みに顔をしかめながら、息を詰まらせながらゆっくりと。リュナは相槌を打ちながら、彼の話に耳を傾ける。 「ここに来るまでの経緯は思い出せません。思い描こうとすると、頭にぼんやりと霞がかかってしまうようで……おかしいですよね。ここに来た当初は怪我もなく、健康そのものだったというのに、思い出せないことが多いなんて……」 「気にしません。ここに流れ着いた者はほとんどそうですから。かくいう私も、記憶は断片的にしかないんです」 同調すれば、男は少しほっとした表情を見せた。 「覚えているのは、田舎で、家族と暮らしていたことくらいです。私と両親、祖父母。それから、少し年の離れた妹がひとり」 そう語る男の横顔は優しい。しかし。膝の上に置かれた手は、表情と相反するように固く拳を握り、震えていた。 「とてもいいご家族だったんですね」 「はい。特に妹が可愛くて。いつもお兄ちゃん、お兄ちゃんって後ろをついてくるから、祖父母と共にどうしようもなく甘やかしてしまって。おやつをあげて夕飯を食べられなくなった時、両親からには3人揃って怒られました。妹はきょとんとしていましたが、そんなところも可愛くて」 今年の春で17歳か。リュナは男が小声でそう呟いたことを聞き逃さなかった。 「辛いですよね……家族にも会えず、よく分からない場所に迷い込んで……」 「いえ……ここに来ずとも、家族とはもう会わなかったと思います。……会えないんです。全て、私の自業自得ですが」 会いたい気持ちを否定しなかった。それがこの男の隙なんだろう。 「それは、貴方の罪に関することですか?言いたくないのであれば、無理に話す必要はありません。ここで暮らす者の中にもいます。罪が裁かれようと、頑なに自分が何を犯したのかを口にしない者。それでも神は赦してくださるのです。本人が贖ったのならば」 無理をしないよう気遣うリュナを男は止めた。 「いえ……貴方には、知っておいてほしいと思ったのです。お聞き苦しいところはあると思いますが。……なぜ自分でも、あんなことをしてしまったのか分かりません。もっと道はあったはずなのに……」 彼の表情から、優しさが消えた。しばらくの間、キツく歯を食いしばっていた。一度息を吐き、続きを口にしたものの、拳はずっと握ったままだ。 まだ自身を支配し続けている憎しみを律するには、そうまでしないといけないのだろう。

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