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第16話 恐れていたもの
その日も昼から薄暗かった。晴れの日などこの世界には存在しないから、当然といえば当然だ。その上、来訪者の予感はあった。窓から空を見上げた途端、近くに雷が落ちたから。これから、嵐がやって来る。
リュナは部屋から廊下へ出た。誰かがいるかもしれないと思ったからだ。そして、セスと出会ったあの場所へ向かう。
自分と同じように、空き部屋で目覚める可能性もある。それでも焦る気持ちを抑えられない。廊下で見当たらないのなら、空き部屋ひとつひとつを見て回ろうと思っていた。
いつもより早足になるのは、予感があったからだ。誰かが来るのは確信。リュナを震わせているのは、今から来る人間は自分に災いを呼び込むだろうという予感。
自然と息が荒くなった。来訪者は廊下ですぐに見つかった。
華奢な自分よりさらに背が低く、まだ少年といってもいいくらいの年頃だった。彼がきょろきょろと辺りを見回す度、整えられていない黒髪の先がぴょこぴょこ揺れる。後ろ姿とはいえ外見に目立つ要素はなく、なんてことない普通の人間に思えた。なのに目が離せなかった。
ある人間だけが持つその空気を、なんと呼べばいいのだろう。一般的には「華」。しかし彼の持つ印象は、そんな可愛らしいものじゃない。もっと圧倒的だった。どうしたって目を引く。まるで主人公になるために生まれてきたような存在感。
少年が振り返る。後ろにいたリュナと目が合った。赤い瞳が心臓を射抜いたような錯覚さえあった。見つめられた途端、鼓動は早鐘のように脈打つ。
「――――!」
ふと名前を呼ばれた気がした。懐かしいくせに、愛着など微塵も湧かない名前。ただ口の形でそう思っただけで、声までは聞き取れなかったはずなのに。彼はなんと言ったのか。前世の名前は思い出せないから、知りようもなかった。どうしてその名前を知っているのか。違う。本当に彼が前世の名前を知っているのかさえ、リュナには確かめる術がないのだ。
無邪気な、可愛らしい少年だった。声にはまだあどけなさが残っている。ようやく人を見つけたと、初めて会う自分にも笑顔をみせてくれた。
それだけで、心が音を立てて叩き潰されたような気がした。お前は主人公じゃない。今まで自覚していたはずの事実を突きつけられて。
落ち着け。彼は罪人だ。今までどおり、化け物に食わせて、懐柔して、配下に置く。それですべてがいつも通りだ。この小さな世界を支配していける。
なのに、気づけば一歩下がっていた。じりじりと後退する。心が負けていく。
「リュナ、どうしたの?」
「……っ!」
彼と自分の間には、壁がある。微笑まれた一瞬で、逆らえない上下関係が構築するされてしまった錯覚に陥る。名前を言い当てられたことなどどうでもよくなる程度には。
「あのね、おれ、聞きたいことがあって……」
会話をすることなく、リュナは逃げるように駆け出していた。これ以上、彼と同じ空間にいたくなかった。石畳を叩く自分の足音が、やけに大きく聞こえる。
逃げながら、姉に微笑まれた時の、惨めさがじっとりと肌にまとわりつく感覚を思い出していた。
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