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第24話 抱いてください

食堂にたどり着くと賑やかな声がした。皆、長机について、食事を今か今かと待っている。奥の厨房からは肉を焼く香ばしい匂い。既に調理場には炎があり、調理が進められているということだ。 「あ、リュナだ。おはよう。よく寝た?疲れは取れた?」 ヴィオはいつも畳みかけるように話す。知りたいことの多い、好奇心旺盛な子どものようだった。リュナがあしらいきれないのもそのせいだ。しかし今日ばかりは曖昧な微笑みを浮かべているわけにはいかなかった。 「貴方ですか」 それは、断定にも似た問いかけだった。 本当は、お前が主人公なのかと問いただしたい。その立場を掠め取った自分を罰しに来たのかと。しかしここには人目がある。 「貴方が、マッチを持って行ったのかと思いまして」 「みんなも言ってたけど、マッチって、小さな木箱のことだよね?んー、そんなのはなかったかな。っていうか、服しかなかった!」 「では、この料理は一体……」 予想はついていた。それでも実際にその様を確認したいと思っていた。 「簡単だよ。こうすればいいんだ」 なのに、実際に見てみると、目の前が点滅した。殴られたようなショックを受けた。 ヴィオが指をぱちんと鳴らす。すると調理場の片手鍋から火柱が上がる。 「おいおい、肉を焦がす気か?」 「いいじゃん。そういう調理方法だと思って」 ヴィオは和気藹々と、今日の調理当番と会話している。リュナにはそれがどこか遠くで起こっている出来事に思えた。 「さあ、リュナも席について。俺が焼き加減ばっちりにしといたから」 「いえ、今日は食欲が……」 とはいえ、ここでテーブルにつかなければどうなる?ヴィオと他の人間はまた仲良くなる。ますます自分の居場所はなくなり、そのうち…… 「食欲はないですけど、僕もみなさんと卓を囲みたいので……消化に良いものだけをいただきますね」 ふらふらと椅子に座る。ヴィオや調理番の者たちが料理を運んでくるが、香ばしく焼けた肉も、ポタージュにされた野菜も食欲をそそらず、ほとんど水を飲むだけの食事をした。違和感を覚えられたくないから、視線がこちらを向いた時だけもそもそとパンを千切って食べる。ぱさついたそれは、飲み込むたびに何度も喉にひっかかる。 多くの者が食器を奥に持って行き、当番が洗い場に向かう。そんな食事の終盤を見計らい、リュナは食事の席を立つことにした。 体調の改善は見られない。またもや眩暈に襲われる。床に手をつきそうになった時、後ろから腕を回された。倒れ込む間一髪で抱き止められたようだった。 「大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」 心配そうなセスの声が耳をくすぐる。いつものリュナなら過敏に反応し、体が熱を持っていただろう。しかし今はそれどころではなかった。 「震えています。寒いのですか?」 首を横に振る。温度としての寒さは感じない。それよりただ怖気が走る。 しかしどう伝えればいいのだろう。自分は嘘の宗教をでっち上げてみんなを騙していた。この場を支配するために。 自分には前世の記憶がある。それによるとここはゲームの世界で、主人公を気取った自分は目に見えない力で処分されるかもしれない。 どれも正気を疑われる話だ。 「こ、怖くて……」 「どうして?何かあったのですか?」 しかし、リュナは嘘が上手かった。 女優であった姉ほどの才はなくとも、真実に嘘を混ぜて演じることはできた。 「嫌な予感がして……神託を受けたわけではないのです……。ただ、漠然とした予感です。そのうち……僕は今のままではいられなくなる、と……」 体に力を入れて後ろを振り返る。セスと目を合わせられるように。この訴えが伝わるように。 「大丈夫。大丈夫です。私が守りますから」 よく妹にもそうしていたのだろうか。彼は何度も優しく背中をさすった。それでも抱える不安は散らない。縋り付くように彼の服の胸元を握りしめる。そうして思った。 彼に抱きしめられていると、少しだけ心の痛みが和らぐ。彼のことを好きかどうかなんて分からない。たとえ好きな人ができたとしても、この世界で誰かと恋仲になるつもりはなかった。それよりも、いかにこの世界の者に自分の存在を強烈に刻み込むかだけを考えていた。 前世でさえ、誰にも恋愛感情を抱いたことはなかったのだから。 それは、本当に? 誰かの声が聞こえた気がした。これも崩れていく体調に関係があるのだろうか。 頭がつきりと痛む。それと同時に、妙な閃きがあった。 世界は自分を追い出そうとしている。 自分のいなくなった支配者の椅子にヴィオを座らせようとしている。 それは恒常性を保つための当然の摂理だ。 では追い出された自分はどこにいくのか。 最近、殊に体調が悪い。 このままでは、死んでしまうかもしれない。 それだけならまだマシだ。 ヴィオが自分に取って代わって、そのうち自分は皆に忘れ去られる。 せっかく手に入れた居場所は消え去り、自分の存在ごとなくなってしまう。 そんなのは、誰からも気にかけてもらえなかった前世と同じだ。 せっかく、自分は新しい世界に生まれ変わったというのに。 ではどうすればいいのだろう。 人に覚えていてほしい。誰かの心に強烈に自分の存在刻みつけたい。 誰かの、唯一無二になりたい。 そうしたら、自分の存在をこの世界から消した場合、誰かの心に穴が開く。それではとても恒常性を保てているとはいえない。だから消されることはないかもしれない。 それでも無理にリュナを殺した場合。自分がいなくなったとしても、誰かの心には残ってくれる。前世のように、誰にも認識されないまま亡くなることはない。 また頭を刺すような痛みが走る。 ともかく、方針は定まった。 目の前の男にとって、かけがえのない人になる。 「……抱いて……ください」 胸元に縋り付いていた腕を背中に回した。胸をぴたりとくっつけ、座りながら抱き合う形になる。長机の影だから、誰にも見られない。 「はい。落ち着くまで、こうして抱きしめていますから」 リュナはゆっくりと被りをふった。 「いいえ、そのような、兄弟のような慰みが欲しいわけではありません」 上目遣いでセスを見る。誘惑や駆け引きができるほどリュナは経験豊富じゃない。しかしそれは、性の知識に乏しい教祖としての矛盾にはならない。だから率直に誘うくらいでいい。 「優しく抱いてください……唇を重ねて、肌を愛撫して……」 言葉にするだけで日頃から熱を持て余していた体は昂る。その一方で彼の体はなんの反応も見せない。それどころか冷えていく気さえした。 「……すみません」 震える腕は抱きしめようとした素振りでこちらの体を剥がす。 「すみません……できません……貴方の御身に傷をつけるなんて、ありえない……」 「僕が良いと言っても……?」 「神の遣いである貴方の聖性を奪うわけには……」 「もともと、そんなものはありません」 自分ででっちあげた宗教だ。それに、性的な行為を穢れだというのなら、自分で何度でもこの体を穢していることになる。 「僕は、ただの人間です。だからこそ、今がこんなにも怖い。一晩の慰みでもいいのです。人の温もりが欲しいと思うことはいけませんか?」 リュナは、自分を好いている人間を繋ぎ止める方法を知らない。貨幣のないこの建物では、差し出せるものが自分しかない。未経験への恐れも相手が男であるということももはやどうでもよかった。自分が消えることに比べては。 「すみません……できません……」 そう言って、セスは頭を床に擦り付けた。 そこにあるのは、どうか許して欲しいという怯えだけ。それなのに、リュナは自分が明確に拒絶されたような気さえする。 立ち上がって逃げていく彼に厨房の人間が気づく。どうしたんだという声も聞かず、セスの足音は遠ざかっていった。 「寒い……」 人肌がほしい。自分を唯一無二にしてくれる誰かが欲しい。ヴィオから、消失から守ってくれる存在がほしい。 身勝手な自己保身であることは分かっている。でも仕方ないだろう。自分は前世からそういう人間だ。魂というものがあるとしたら、自分はきっと根っから利己的なのだ。 冷たい床から奪われていく体温を守るように、そっとその場で丸まった。野良猫みたいに。 まだ頭が痛む。むしろ痛みはひどくなっていく。耐えられなくなる前にそっと目を閉じ、意識を手放した。

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