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第33話 幻覚

どれほどリュナが罰を与えようとも、ヴィオはけろっとしている。本当に血が出ていたなら熱を持って寝込んでいてもおかしくないのに。なんでもないように他の者と談笑している。 まるでこちら側が生気を吸われているようだ。 この日、リュナは朝から頭痛と倦怠感でベッドの上から起き上がれなくなった。少し上体を起こすだけで目眩が止まらなくなる。部屋から一歩も出られないまま、ぼんやりと窓の外を見て過ごすしかない。 ケリーが花を差し入れようとしたが、いつだったかヴィオが持ってきた、あの甘ったるい匂いのする花だった。「いらない」と言って花弁を潰す。余計に甘い匂いが部屋に充満した。 「イラついてるねぇ、女王様。あれから夜の折檻は上手くいってないみたいだが」 正直に言うと、ヴィオのことが怖かった。かといって今みたいに近づかないでいると、いつ自分は排除されてしまうのかと落ち着かなくなる。 そして、そんなリュナの不安をさらに煽るように、窓から見る彼の周囲には途切れることなく人が集まっていた。 「いいですね。彼は笑うだけで信仰心が集められて」 「アンタの笑顔もいいと思うけど、アイツほど求心力はないみたいだな」 他人事で好き勝手言うケリーを睨みつける。 「アンタ、噂流されてるよ。毛嫌いするあまりひどい折檻を繰り返してるって。その証拠に、誰も近寄らないだろう」 「そんなことはありません」 今日は、たまたま、体調が思わしくないから誰とも接していないだけだ。 食事の時間になると恭しく頭を下げられるし、手習いの時もミサの時も、質問があればリュナのもとに来る信徒はいる。 しかし。その中に恐れは含まれてなかったか。澄ました顔をして少年を痛めつけるのが趣味らしいと、裏を窺っている者はいなかったか。 あるいは、狂っている自分を娯楽としてみている者は……いるじゃないか。目の前に。 「……貴方ですか。妙な噂を流したのは」 「まさか。冤罪はやめてほしいなあ。イラつきすぎでしょ」 目の前の男は、どうしようもないという風に凝った肩を回す。 「他にも容疑者はいるでしょうに。貴方のストーカーとか」 リュナには思い当たる節があった。ふらつきながらすぐに部屋を飛び出す。 その男は扉のすぐ脇に控えていた。 「お前か」 使ったことの無い言葉遣いでセスの胸ぐらを掴む。大男のくせに、華奢で非力なこの手くらいすぐ払えるだろうに、彼は「ひっ」と声を上げて身をすくませた。そんな風に怯える仕草すら腹立たしい。 「わ、私は……貴方に元に戻って欲しくて……!」 そう言って花束を差し出す。またあの花だ。白と黒の、不気味な花。あの少年がこの建物の中に持ち込んだ花。自分の命を奪い、存在をこの世界から排除するかもしれない花。 「この花は、庭から摘んできたんです……鎮静作用があるとヴィオから聞いて……」 「あるかよ、そんなもの」 むしろ別の作用があると、独り言のようにあの少年は呟いていたじゃないか。倦怠感。意識の混濁。神経の麻痺。 もしも、今の自分が、そんな花の毒に侵されているのだとしたら。幻覚や幻聴もありえるのではないか。 「……っ」 途端、何が本当のことか分からなくなった。怖くなってその場から逃げ出す。部屋に戻ると余計に声が聞こえそうな気がして廊下を走った。 今耳に届いた囁き声は本物か?誰が自分を嘲笑っている?誰が味方してくれている?今も感じる視線は本当にセスのものか? がむしゃらに走って止まる。息が切れていた。汗が床に滴り落ちる。どこだろうと周囲を見渡す。 どうして。セスが心配そうに、ケリーは呆れたように見つめている。 リュナが今いる場所は、飛び出した部屋から数メートルも離れていなかった。

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