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第36話 罰
「なんで……」
ヴィオは倒れたまま起き上がらない。どうして。鞭で打っても平気そうにしていた男なのに。頭を強く打ったのか、リュナが駆け寄って膝を着いた石畳は血溜まりを吸い込んでいく。
落下音は想像より派手に響いていたらしい。
時刻は食事中。そして、家族全員で卓に着いたら、皆が食べ終わるまで席を立ってはならない。そんな戒律があるにもかかわらず、大勢が立ち上がって食堂から出てきた。
そんな彼らが最初に目撃するのは、倒れて動かないヴィオと、とその横にいるリュナだった。
何か言わなきゃ。彼をベッドに運ぼう。むしろ動かしてはダメ?言葉は何も出てこない。ただ口を開けては閉じるだけを、馬鹿みたいに繰り返していた。
まるであの時みたいに。
そう、同じことが前にもあったんだ。
でも、それがいつだったのか思い出せない。
黙っていると、皆の瞳が何よりも雄弁に物語る。
突き落としたのはお前じゃないかと。
「違う!僕がやったんじゃない!」
何か言われる前に、リュナは自分からそう口にしていた。それが余計怪しさを増すとも思わずに。ただ疑惑の視線から逃れるように、言葉にせざるをえなかった。
「か……彼が……ひとりで落ちて行ったんだ……」
見たままの事実を伝えても、リュナへ向けられる疑いの眼差しは消えない。
「突き落とすいいタイミングだったんだろ」
「そのつもりがなければ、リュナがヴィオの言うことを聞くはずないもんな」
「そのままひとりで部屋に閉じこもっていればいいんだから」
「そ、そうだ……僕が突き落としたのなら、うつ伏せに落ちているはずで……」
「何も直接手を下さなくたっていい。話し合ってて、追い詰めて落としたという可能性もあるじゃないか」
「違う!僕は何もしてない!あの時だって……!」
「あの時?」
自分で言っておきながら、あの時が何を指しているのか分からない。
「まさか前科があるのか?」
「ここに来るのは罪人ばかりだと、彼本人が言ってたもんな」
「リュナは罪を贖って今の立場についたのでは」
「案外私たちが騙されていたということも」
「では、彼は」
「まだ贖罪が済んでいない」
「償いを」
「罪に相応しい対価を」
皆はリュナと距離を空けて囁きあっている。なのに躙り寄られているような錯覚があった。
「違うんだ!僕は助けようとしたんだ!」
「おや、さっきは何もしていないと言っていたではありませんか」
「先程と言っていることが違うな 」
「やはり彼の罪は今もまだ健在だ」
「虚言」
「嘘つき」
「不誠実」
「助けようとした!でも何もできなかった!ありもしないはずの記憶が浮かんできて……!」
周囲の視線が冷たくなるのとは反対に、語る度にリュナの頭の中がかっと熱くなっていった。どう言えば伝わるのかまったくわからない。思考はから回り、軋み、熱を持つ。
「信じてよ!」
確かにリュナは嘘つきだった。でもヴィオを突き落としたりなんかしていない。これだけは信じて欲しかった。どうしてこんなにむきになっているのか自分でも分からない。
「落ち着いてください」
声を荒らげた自分とは対照的に、冷静な声が場を静めた。リュナの震える肩に手を置かれる。セスだった。あるはずのない右腕。自分の知らない間に棚に置かれ、知らない間に誰かによって装着された義手だった。
「セスなら分かるだろ!?」
胸ぐらを掴む勢いで、普段は絶対しない言葉遣いで彼に詰めよる。彼もいまさら驚きはしなかった。以前のように倒れもしない。これが自分の本性だと思っているように。もう片方の腕が今あったとして、決して抱きしめてはもらえないんだろう。
セスはただ首を横に振った。
「……流石にやりすぎです」
彼も自分を信じていない。それどころか、憐れむような視線から感じられるのは――――。
「……お前か」
自分でも、よくこんな獣の唸るような声が出せたものだ。
「僕の変な噂を広めていたのは、お前なんだろう!?」
「落ち着いてください。今の貴方は正気じゃないんです」
「それと僕にいわれのない罪を着せることと、なんの関係があるんだ!?」
セスは何も答えなかった。ただ周りに言い聞かすように、今後のリュナの処遇についてを告げていく。
「貴方を鍵のある部屋に隔離します。そこでゆっくり休んでください。気持ちが落ち着くまで」
嫌だ。そんなのは。また忘れられてしまう。地下牢にいた化け物が誰にも見向きもされなかったように。
「味方だと言ったくせに!僕のことが好きだと言ったくせに!臆病者!俺の質問にも答えないで!都合が悪ければ遠ざけて!」
もはや何を言ってもセスには響かない。ただ彼は冷静ぶっている。そしてそんな彼にとって、今のリュナは言葉の通じない獣と同じだった。
そして、リュナは自分を認識されないことを、何よりも恐れていた。
だから、確実に彼へと響く言葉を選んでしまう。
「……妹の時もそうだったんじゃないか」
セスが目を見開く。
「妹がずっとレイプされてたことを、何も知らなった?本当に?弁明など聞く気もないと男を殴り殺そうとして、妹には怯えられていると逃げるように家から出て。本当は人の話なんて聞く気がなかったんじゃないか?だから今僕の話も聞こうとしないんだろう!この臆病者!」
つらつらと言ってはいけないことを口走る。周りの人間は皆彼の噂話をしている。放っておけばいい。もともとこちらが狂ってるとか、人を突き落として殺そうとしたとか、口さがなく囁いてきた人間ばかりなのだから。
しかし、言いたいことを捲し立て、セスの気を引いても、リュナの心は晴れなかった。かわりに鈍い音がする。
床に叩きつけられ、口内に鉄の味が広がった。そこで初めて殴られたのだと分かる。しかしそれが同時に、一時は体を任せようとした相手との関係が壊れる音だとは分からなかった。
「……気を確かに持ってください。貴方は、そんなことを言う人じゃなかった」
「お前はいつだって、他人に、自分の都合のいい理想の姿しか見ていない!そこから少しでも外れたら、力づくで人を従わせるか、逃げることしかできない人間なんだよ!」
殴られた反動か。頭は鐘が鳴っているように揺さぶられている。頭痛は止まない。
周りの者がリュナをどんな目で見ているかももう分からない。
ただ、笑い声だけが虚しく響いていた。
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