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第47話 姉

親戚たちの噂に耳を傾けている間に、いつの間にか昼寝をしていた子どもたちも起きてはしゃぎだす。しばらくして、彼らの父親が妻と子を迎えにきた。 「また長いことお邪魔してしまって……」 「いえいえ、楽しかったですよ」 そんな家の者と客人の社交をよそに、何人かの子どもは「おかえりなさい」と父に抱きつきにいく。 静和にはそれができなかった。母が扉の向こうからひっそりと迎えにきたのが最後だったこともある。しかしそれ以上に、たとえ一番最初に迎えに来たとしても、静和は無垢にその腕の中に飛び込めない。そういう子どもだった。 母は誰に挨拶するでもなく、ただ玄関の外で「預かっていただきありがとうございました」と無愛想に口にした。彼女がこの家に入りづらいだろうことは、昼に聞いた会話から子ども心にも察していた。他に預け先がなかっただけで、親戚とは決して仲がいいわけではない。 躊躇いがちに駆け寄る静和を、母の代わりに抱きしめたのは、姉である和華だった。その日はいつもより強めに、ぎゅうぎゅうと力を込めて抱きしめてくる。 「静和!今日はごちそうだって!ハンバーグもカレーも食べていいんだって!」 姉が口にしたメニューは、食卓にあまり並ばない母の得意料理だった。いつもふたりは、夕飯に出来合いの惣菜を出される。だから、姉のこのひと言だけで、静和は何かただならないことが起きたのだと考えた。 「さっきね、オーディション合格のれんらくが来たの!」 それはつまり、母が姉に夢を託したということだ。 明日から姉は、女優への一歩を踏み出すための子役になる。 学校ではどうしていたっけ。仲のいい子がいたなら状況は変わっただろうし、静和は違う大人に成長していたはずだ。 最初は、学校を休みがちなあの子役、吉永和華の弟ということで、近づいてくる子もいた。教室まで見に来る他のクラスの子もいた。しかし、かけられる言葉は毎回同じだ。 「あんまり似てないね」 その言葉に、静和な毎度上手く受け答えができなかった。上手く答えられたらクラスの人気者、あるいはひょうきん者になれたかもしれない。反発したら、いじめのターゲットか。しかし、静和のクラスでは、それすらも別の子がなっていた。とにかく静和には、存在感というものがなく、話しかけた次の瞬間には、相手も顔を忘れているんじゃないかと疑うレベルだった。 ある日、いじめられっ子の教科書がなくなる事件があった。たいていどこかに隠されたか捨てられたか。隣の席だったので、静和は親切心から、貸すつもりで教科書を差し出した。 しかし、無視された。汚れているから嫌だったのか、気づかなかったのか、いじめられっ子は教室の外に出ていった。 「待って」と呼び止めようとしても、上手くいかない。静和の中には漠然としたショックがあって、それをどんな言葉にすればいいのか分からない。「あ……」とか「う……」とか、一文字だけ声に出すことは余計惨めに思えた。 自分の感覚に追いつけないままチャイムが2回鳴り、気づけば授業が終わっていた。 どうして誰も自分に気づかないんだろう。 静和にとって、日々の救いは姉の存在だった。しばらくすると、姉の稼ぎで古いアパートから引越し、一軒家に暮らすこともできた。 母も姉もいつも留守で、友人もおらず退屈した静和は勉強ばかりしていたけれど、やり方が悪いのか成績はほとんど上がらなかった。むしろ全然学校に来ない姉の方がテストの点がいいくらいだ。 広くなったが、その分部屋の床を覆うゴミ袋が増えた。母と姉が買ってきたが食べきらなかった惣菜やケーキ。クランクアップでもらったらしき花束。二度目に使われたところを見たことがない香水や化粧品。それらをゴミ袋にまとめ、いつも静和が捨てていた。それでも週に一度や二度のゴミ出しでは間に合わず、ゴミ袋は常に家の床を覆った。 しかし、姉の部屋だけはいつも綺麗だった。だから静和が姉と遊んだり話したりする場所は、いつも彼女の部屋だった。 「今日の撮影でね、サプライズでケーキをもらったの!」 姉の言葉でようやく、今日は自分の誕生日であると気づいた。 「ケーキは持って帰れなかったから、これあげるね」 そう言って姉は静和の髪に花を差す。花束自体は、姉と母が帰宅次第、無造作にリビングのテーブルに置かれた。 「ふふっ、甘い匂いがする」 和華はずっとご機嫌で、とても楽しそうに今日のことを話すから、静和はもっと聞かせれくれるようねだった。 「オーディション、受かってよかったね」 「うん!お芝居、すっごく楽しい!」 そう言って笑う姉がとても綺麗だった。 オーディションとかドラマとか、静和に難しい話は分からない。それでも、彼女の笑顔を多くの人が見るんだということは分かる。 憧れとか尊敬とか。もっと素晴らしい感情を覚える自分でありたかったのに。当時から、静和は「どうして自分と姉はこんなにも違うんだろう」と考えていた。 神様が意地悪をしたんだろうか。だとしたらどうして僕にそんなことをしたんだろう?僕が知らないだけで、やっぱり僕のせいなんだろうか? 「……僕を見て」 脈絡なく零れ落ちたのはそんな言葉だった。 「うん、見てる。ずっと見てるよ」 姉は両手で静和の頬を包んで目を合わせ、そう言った。教科書すら触らなかったクラスメイトとは、まったく違う反応だった。

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