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第48話 割れる
支え合う姉弟の転機は、呆気なく訪れた。いや、支え合っていたと思っていたのは弟の方だけで、姉はとうの昔に、家族との生活に限界を迎えていたのだろう。
現に、少し前から予兆はあった。鈍感な静和が気づけなかっただけの話だ。
芸の世界において、やや経験を積んだ子役は扱いづらいらしい。オーディションにしろ指名にしろ、名のある役はもっとネームバリューのある者か、フレッシュさを求め新人へと行く。
その頃から、姉がオーディションに落ちる回数が増えた。それと比例するように、母と姉がふたりして出かける時間が増えていった。食事会。招待された。静和の前ではそんな言葉が飛び交っていた。
朝早く出て、夜遅く帰ってくる。ふたりの目の下にはクマができている。見たことの無い化粧品を使っているのも見た。そのことが静和には正しいのか正しくないのかも分からない。何も聞かされないまま、ふたりは一日の食費を置いて出ていく。
次第に姉と話すことも減っていった。昼は時間が合えば学校で、それが終わっても帰ってこない。母自ら、偉い先生に頼みこんで芝居のレッスンを取り付けたのだと言っていた。
そんな生活が限界を迎えたその日は、蒸し暑い真夏日だった。
「絶対嫌!もう行きたくない!」
「人脈が大事なの。ここで上手くいけば主役だってとれるのよ!」
「うるさいっ!あの監督が私に何しようとしたか知らないくせに!」
静和には、薄い膜が一枚張られている向こうで口論が行われているように思えた。声はぼんやりとして遠く、頭が蕩け出しそうだった。疲れていると言っても、姉や母ほどではないはずなのに。
その日は水泳の授業があり、自由時間にはみんな遊び始めた。水しぶきが舞う中に歓声が響く。そんな中で、飛沫は足元まで飛んでも、静和は日にじりじりと焦がされるばかりだった。
近づいていかない。近づいてはいけない。理由は分からないが、静和の脳裏にはかつて教科書を拒否したクラスメイトが浮かんでいた。叫びながら遊ぶクラスメイトたちの声を途切れさせるのは惨めなことに思えた。むしろそれだけならまだマシで、自分が水に足を浸しても気づかれないかもしれない。実際に、プールサイドの端で膝を抱えて座っていても先生すら気づかない。自分がプールで遊んでいようと――――たとえ溺れて死のうと、気づかれない存在であると突きつけられるのが怖かった。
結局、小一時間ほど静和は日に焼かれ続けた。体育の後の微睡むような倦怠感ではなく、ただただ体が暑くてだるい。学校から帰ってきてもずっとだ。
だから眠ってしまっていた。今でも思う。この時ちゃんと起きていたら、そして姉の納得いく言葉をかけていたら、僕たちにはまた違った未来が待っていたのかもしれないと。
「よくこんな怒鳴り合いの中で寝れたね?」
起きたら目の前に姉の顔があった。静かに微笑んでいる。いつもと同じはずなのに、咄嗟に見たことない顔だと頭が判断した。
姉は無傷だったが、母娘喧嘩の激しさは周囲が物語っている。倒れた机や椅子。割れた皿や窓。いつもとは違う場所に掃除機。窓はこれを振り回して割ったのだろうか。
「……母さんは?」
尋ねると、姉の笑顔が歪む。それは悲しんでいるようにも怒っているようにも見えたが、静和に分かったのは、かける言葉を間違えたのだろうということだけだった。
「逃げた。ちょっと反抗しただけでこの様だもん。結局、自分で夢を叶える能力もなく子供に縋っていただけ。そんな人にずっと振り回されていただけ……私たちの十何年間って、馬鹿みたいだよね」
何があったんだろう。静和の目から見て、母と姉は仲が良かった。姉が怒られている時はあったが、それでもオーディション合格の喜びは分かち合い、息を合わせて仕事に向かっていくのを何度も見たことがあった。少なくとも、母と静和なんかよりはずっと仲ががよかった。
自分の知らない何かがあった。あるいは、最初から何も見えていなかった。
「どうして私だけがあの人の犠牲にならなきゃいけないの!?」
何かが爆発していると思った。
自分の横をすり抜けていくのではなく、今目の前で怒声が飛ぶ。耳の奥がびりびりと鳴る。初めての経験だった。
「あんただったらよかったのに!あんたが私の代わりになりなさいよ!
どうせ何も文句言わないでしょ!?鈍臭いあんたならセクハラされようがホテルに誘われようがへらへらと笑って行くんでしょうね!」
自分たちが双子だからか、それともたいていの人間がそうなのかは知らないが、感情は容易に釣られていった。頭に血がのぼっていく音して、目の前がばちばち弾けるように赤くなる。
言葉にすることは怖いと思う。でも、彼女なら聞いてくれるんじゃないかとも思う。
「……僕だって」
声が震えた。
「僕だって姉さんみたいになれたら、どれだけよかったか……」
体が飛ぶ。打たれたと気づくまでに時間がかかった。非力な姉にこれほどまでに力があるとは思わなかったから。当人も力を込めすぎたのか、肩で息をしていた。
またひとつ皿が割れた。棚にぶつかった自分が割った。
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