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第49話 無視

その日から、姉は弟に構わなくなった。 仕事を優先するようになり、まず会うことはなくなった。どんな仕事をとってきたのかは分からない。教えてもくれなかった。 かつて約束したように、姉は本当に静和のことをよく見ていた。だから彼のしてもらいたいことを知っていたし、逆に絶対されたくないことも分かっていた。 最初は理解できず、じわじわと染みていく。姉のその行動は、ぱっくり切り開かれた傷口のようだった。 一ヶ月以上、彼女は静和と口を聞かなかった。話しかけても無視された。それだけならまだよかったのにと思えるのは、自分がいない存在として扱われたからだ。 朝、起きたら靴がなかった。隠されたのではなく、捨てられ、すでにゴミ収集車の中だ。 朝食も用意されていなかったが、それは自分で作ればいい。母の留守が多いから慣れている。そう思って卵焼きを焼いている途中に、バケツで水をかけられた。 「誰もいないのに火が使われてるんですけど。不気味すぎ。火事になるじゃん」 その言葉で、鈍い静和でもようやく理解した。姉はただ自分を無視しているのではなく、本当に居ないものとして扱っているのだと。 ぶつかっても振り返ってすらもらえない。静和の持ち物、起こした行動、すべてが無かったことになっていく。学校に来ても話す人はいない。そんな日が一ヶ月以上続き、喋り方を忘れてしまった。声が出なくなった。もともと小さい声で、不思議と授業で当てられることもない。喋らなくても気づく人はいなかった。 本当に、自分が透明になっていく。 二ヶ月をすぎる頃には、静和は姉が帰ってくるのを待ちわびるようになった。 「……お姉ちゃん」 久々に出す声は掠れていた。そして今日も答えてもらえなかった。では明日は?明後日は? 何週間もそれを繰り返して、ようやく声をかけるだけじゃ応えてもらえないと理解した。袖を掴んだら振り払われた。 「鬱陶しい」 それは、静和が久々に人からかけてもらえた声だった。決していいことは言われてない。ひどい扱いを受けている。それでも自分がやっと誰かの視界に入れたことに安心した。 「お願い……無視しないで……」 「なんで被害者ぶってんの?私を怒らせたのはそっち。怒ってるの。だから会話なんかしたくないの。そんなことも分からない?」 「分かってる……僕が悪かったってことも、全部……」 「その鈍臭い頭で?分かるわけないじゃん」 姉は鼻で笑ってる。それでも、会話をしてもらえているうちに伝えなければ。 「お願い……僕と話して……どんなことでもいいから……僕をいなかったことにしないで……!」 懇願すれば、姉は微笑みかけてくれた。いつもの姉が戻ってきたように思えてほっとしたし、あの日眠ってしまった時の自分に話しかけてきた姉のようでもあって、体は強ばった。 でも、たとえこの後どんな扱いをされたとしても。 それはきっと、自分がちゃんと存在しているように扱われていることの証だと、静和はひとり覚悟した。

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