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第53話 事故
事故があったのは、空が薄暗く曇った日だった。
その日の姉は上機嫌で、静和の前を歩いていた。
「今度主役がもらえるかも。案外ちょろいオーディションだったなー」
その日、姉はどこかで仕事があるわけじゃなかった。珍しくオフをもらえたと言って、近所を散歩がてらコンビニへ出かけることになった。静和はていのいい荷物持ちだ。それも、荷物を任せてもらえるほど信用されているわけではなく、途中で転んだり傾けたりすると、「やっぱりそうなると思ってた」「あんたなんかに任せるんじゃなかった」と詰られるための荷物持ちだ。
その日、姉は白いワンピースを着ていた。風が吹く度にちらちらと揺れるスカートで目が眩む。視線を姉の方へ変えると、しばらく見ない間に痩せた気がした。肩の出るワンピースだから、余計に骨っぽさが目立っていたのかもしれない。だから気づくことができた。
「その肩……」
怪我をしているように見えた。赤黒い。手の跡にも虫刺されにも見えるタイプの傷があった。
それを指摘した途端、姉の態度が変わる。何か地雷を踏んだらしい。この後、家に帰ったらじっくり痛ぶられる予感があった。
それでも、逃げようとは思えない。痛いのは嫌だなと思うだけだ。姉の機嫌は天災のようなもので、静和はひっそりとそれに耐えなければならない。暮らしていくためには、仕方の無いことだ。大雨、雷、嵐を起こすのは姉は、神のようなもの。神は静和を認識し、試練を与える。 それはとてつもなく名誉なことにすら思っていた。
今のうちに覚悟を決めなきゃ。罰を受ける覚悟を。謝れるようにしやきゃ。自分の何が悪かったのかを。
上手く回らない頭で考えていると、姉は歩きながら振り向いた。静和へにっこりと笑う。外では愛想がいいことにプラスして、面白い玩具を見つけたという笑顔だった。
その日、静和は母に大学進学を却下されたところだった。「高校まで通わせたからいいでしょ。アンタは頭も悪いしんだし」と言われた。話し合いですらなかった。
家にお金はあるはずだ。今住んでいるのは、三人家族にしては大きな家で、母も姉も忙しそうに仕事をしている。鈍臭い静和が上手く掃除できていないから汚く見えるが、広く綺麗な家だった。当時は理解できなかったが、家政婦を雇えるくらいは金銭の余裕があったはずだ。ただ母も姉も、静和には金を使いたくないだけだった。
「あんたに進学させる価値ない。本当にその通りだよね」
石段を足早に降りていく。いつもの道だからと、別段気を遣わずに。雨が上がったばかりだったのに。まだコンクリートは濡れていたのに。
静和は声をかけようか迷ったが、かけられなかった。ただ一言、「危ないよ」だけで済んだのに。何様のつもりだと詰られても、怪我をさせるよりはマシだったのに。
ほら、思った通りだ。姉は階段の縁で足を滑らせる。落ちていく姉は、スローモーションのようだった。
静和は手を伸ばそうとした。掴めば姉は助かるからだ。なのに体は動かない。どうして?そんなことを考えてる時間もなかった。動かそうとしたのに動かないことだけが事実だった。
これでは、自分が姉を見捨てたも同然だ。気づいたら、曇り空から再び雨が降り始めていた。だからだろうか。落ちていった姉の顔は、暗くてよく見えなかった。階段の下では、血溜まりと水たまりが混ざっているんだろうと思った。
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