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第63話 キス

依央がメインで動いている企画も、ようやく大詰めになってきた。慣れないバグのチェックや外部のイラストレーターとの打ち合わせで、依央は夜遅くまで働いていた。静和といえば、アシスタントの名目はあるものの、打ち合わせに参加できる立場ではなく、依央のミーティングをホワイトボードに書き込んだり、夜遅くに差し入れしたりと、細々とした動きを繰り返していた。 そんな中で、そろそろ代休を消化しないと会社的にもヤバいということで、ようやく部署ごと一日休みをもらえるようにやった。 とはいえ、その日も遅くまで働いていたのだからもう終電もない。今日は会社に泊まることもできない。静和のアパートまで歩いて3時間。明日が休みだからギリギリ体力が持つかもしれない……と考えていたところで、依央から「俺のとこに来ればいいよ」という提案があった。 「この業界、絶対忙しいだろうなって思って、会社の近くに借りたんだよね」 オフィスビルから徒歩20分の住宅街。 「最初は、先輩たちの二次会のたまり場にされたら嫌だなとか思ってたんだけど、そもそも忙しくて、飲み会はあっても二次会とか全然ないよな。みんな一次会の後会社に戻ってくっていう」 そんな雑談を帰り道でしなから着いたのは、大きなマンションだった。やっぱり正社員とアルバイトじゃもらえる額も違うのかなと思ったけれど、静和はずっとアルバイトだから想像もつかない。 「何か食べる?っていっても自炊しないからなー。つまむものくらいはあったと思うんだけど……コンビニで買ってこればよかった」 そう言って彼が適当なものを冷蔵庫から取り出す。ビールと、ビールと、ナッツのおつまみ。それと缶詰やパックご飯。あとは実家から送られてきたらしい野菜があった。 「これくらいなら、何か作れると思うよ……?」 といっても、軽く切って炒めての缶詰アレンジで、たいそうなことはできない。なのに依央は大袈裟なほど喜んだし、静和が作っている間も楽しそうに後ろを行ったり来たりしていた。 そしてビールで乾杯をする。明日のことは一旦気にしなくていい気楽な飲み会……なのはよかったが、依央は酔っ払ってから、急に距離が近くなった。 彼にはどうやら、人肌が恋しくなると膝に乗せたり、後ろから抱きしめたくなる癖があるらしい。子どもがぬいぐるみに対してする仕草のようで、静和には可愛く思えてしまう。 「俺、静和にずっとしてもらいたいことがあってさー」 「できることなら……?」 終電がなくなってもこうして泊めてもらっているし……というのは建前で、それ以前に、彼の願うことなら何でもしたい。そのくらい依央のことを好きになっていた。 「俺のこと、名前で呼んでほしい。依央って」 「それ、は……」 そもそも呼んだことがないという事実にも、静和は今まで気づいていなかった。 「ちょっと……時間かかる、かも……」 二文字くらい、すぐに呼べると思うのだが、口がどうにも思う形に動いてくれない。 「ちょっとってどのくらい?」 「うぅ……」 先ほど子どもみたいだと感じた仕草は、既にだだっ子のそれに変わっている。 「呼ばないならくすぐるけどー?」 「わぁっ!?」 床の冷たさも、彼が酔うと語尾が伸びる癖も気にしている暇はなかった。人に触れられ慣れていない肌は、布越しでもすぐにびくつき、逃れようと身をよじる。そこを彼が覆いかぶさってくるから、逃げ場なくくすぐられる羽目になった。 「あ……っ」 だらしなく捲れてしまったシャツのせいで、直接肌に触れられる。くすぐったさ以上に、肌の触れ合いという生々しさが襲ってくる。 「あの、えっと、僕……」 変な声が出てしまったことをどうフォローすればいいのか。ひとりであたふたしていると、今度は頬に彼の手が触れた。 「呼んでくれないとキスする」 「えっ」 彼に見つめられて数秒待つ。名前を呼べないのは、気恥しいからか期待しているからか、静和本人にも分からなくなった。 「んっ……」 柔らかい感触が触れる。食むようにされると、無意識の口寂しさがぴったりと埋められるようで心地いい。 「ん、……っ?」 目を閉じていると、うかがうように舌が唇の隙間をつつく。驚いて思わず彼の胸を叩いていた。 「あ……ごめん、俺、思わず……嫌だったよな……?」 「ちがっ……びっくりしただけ……したこと、なくて……」 「え……?」 今の「え?」はなんだろう。やっぱり経験がないのは引かれるんだろうか。 「なのに、俺がしてよかったんだ……?」 こんな時どう答えるのが正解か分からない。 回らない頭で考えてみる。黙ったままなのはよくないから。「えっと」とか声を出しながら。唇に指で触れ、先ほどの感覚を思い出しながら。 「嫌じゃなかったし。気持ちよかった……から……」 これで合っているのか。俯いて垂れた前髪の隙間から彼をちらりと窺う。彼も顔に手を当て俯いてしまっていた。 どうしよう。失敗した。何か取り繕いたい。そう思う間もなくその場に押し倒された。 「……そういうとこ、ほんとたまんない」 褒められるように頭を撫でられた。そのまま手は動いて頬へ。正解だったのが嬉しくて、褒めてくれてありがとうと言いたくて、でも今口を開けば声が震えそうだったから。彼の手に頬を擦り寄せる。すると彼も隣に寝転んでぎゅっと抱きしめてくる。思いのほか力が強かった。どんな顔してるのかなと顔を上げると目が合った。 「ふ……っ」 もう一度キスをする。抱きしめられているし、頭は彼の手のひらで押さえつけられていて逃げ場はなく、苦しい。でもその苦しさは嫌じゃない。胸の奥に熱が灯って育っていく予感のする苦しさだった。 「俺ね、ほんとは「依央だから嫌じゃなかった」って言って欲しかったな」 「え、あ……」 間違えてしまった。でもごめんという話じゃないだろうし、これだけで彼が怒るとも思えない。 「前に人に話しかけるの苦手って言ってたから、きっと名前で呼ぶのも難しいんだろうなって思う。でも呼ばれてみたい。その声で。依央って。言わせたい」 熱っぽい声と瞳。見つめられるとぼうっとしてしまった。するともう一度わからせるみたいに彼が唇をつつく。指の感触が彼の唇に変わるまで時間はかからなかった。 恋人同士がすることをしている。だけど好きと言ってないし言われてもいない。でも大人の付き合いはそうなのか。そういうのが出てくる本は一回読んだ。でも難しくて分からなかったから。大人向けのゲームのシナリオなんて、依央に任せてよかった。 「ん……」 うるさい思考は、水のように溶けて波になって寄せたり引いたり。そんな感覚を味わっていると、何度も啄むようにキスを落とされる。 普通の、絵本に出てくるようなキスまでならまだよかった。目を瞑っているだけでいい。温かく唇が触れ合って気持ちいい。 「口、開けて?」 何度か舌が隙間を行き来した後にそう言われる。もうやめるから息していいよという意味かと思った。うっすらと開くと、吐息が盛れることなく彼の舌にさらわれる。 「んぅ……っ」 上手く息ができない。ぼーっとする。震える手で彼の腕を掴むとようやく離れていった。 「ふ、ぁ……っ」 胸を上下させて下手くそな呼吸をする。その間、彼はじっと自分を見ている。その瞳は「キスをしながらじゃ上手く息ができなかったんだ」と納得しているようでもあり、息も絶え絶えな獲物を見つめる獣のようでもあった。 まだ今日が初めてで、慣れてきたといっても彼にとっては笑えるくらい拙い。それでも夢中になって絡む舌を、唾液を貪る。そのうちに裾から手が入ってきた。 「んんっ……」 その愛撫は、否応なく先を想像させる。全部脱いで、手足を絡ませて、性器を挿入され内蔵を擦られる。曖昧な御伽噺がある種の実感をもって手の届く場所に来る。 「……それは、まだ……こわい」 キスくらいまでなら自分が読む本にも書かれていた。だから理解できる。でもそこから先の行為は保健体育で習った程度。ひとつに溶け合いたいくらい愛する者同士でする。からかう男子にそう教師が言う。自分が考えることも烏滸がましい行為だとずっと考えないようにしてきた。 「わかった」 無理にしても楽しいことじゃないし。そう言って彼の手は、また頭を撫でるだけの優しいものに戻った。 「じゃあこうさせて」 床に転がったまま、向かい合って正面から抱きしめられる。いつかは逆で、静和の方から彼の背中をさすった。手のひらがあたたかい。 「……これだけでいいの?」 「うん。じゅうぶん幸せ」 鼓動が聞こえるような距離になるまで、顔を胸に擦り寄せる。髪が首筋に擦れたのか、依央が擽ったそうに笑う。そしてそのまま髪を撫でられる。甘えていいんだと思える。あたためた牛乳みたいに、脳に薄い膜がはられる。心は沸騰しそうでしない。じんわりと熱が広がっていく。 「嫌だったら言ってね」 頷くと、依央はつむじにキスを落とした。 抱きしめてる手が、優しく静和の髪を乾かした日を思い出す。 優しい声が頑張ってくれたんだねと言ったあの日。 彼は、いつも優しい。 だから好きだなと思った。だからキスも気持ちよかった。 思い出すと、くすぐられた時のように体が熱くなる。それだけじゃない。下半身に覚えのある違和感があった。しかしそれを彼に申告するのもおかしな話で、静和は「どうしよう」と考えながら脚をもぞつかせることしかできなかった。 「どうしたの?苦しい?」 抱き合っていた体が離される。 「だ、だめ……っ」 視線が下にいく。 「なんか当たってるなって思ってた」 視覚的に隠しても結局バレるものなのかと恥ずかしくなる。 「ごめんなさい……怖いとか言ったくせに、こんな……」 「セックスが怖い?さっきみたいに、触れるだけなら大丈夫?」 直接的な言葉は恥ずかしく、真っ赤になりながら頷くしかなかった。 「じゃあそれだけしようか。どのみち、最後までは準備しないとできないから」 全部脱ぐのは嫌だった。照明は明るく、消しても上手くできる気がしない。だから下を少しずらして彼の性器を取り出した。 人のものをまじまじと見たのは初めてで、自分のものより遥かに大きかった。 「俺もこうなってるから。恥ずかしくないでしょ?」 頷いてウエストに手をかける。視線に肌が焦がされることに耐えられなくなって思い切っておろした。 見られている。これから触れられる。そう期待したそこは、既に勃ちあがっていた。 「俺の、触って。自分でしてる時みたいにしていいから」 そろそろと手を伸ばす。しかしそう言われても、滅多にしないしする時も無意識だったから、表面を撫でる以外、何をすればいいのか分からない。 「その……やり方が……」 「じゃあ、俺の真似して」 指で輪を作り、根元から先へ。最初はなぞるように優しく動かされた。 「ふ、ぁ……っ」 先端に行く前にくびれを軽く刺激される。自分ではしたことのない動きに腰が揺れた。彼は普段そうしているんだと思うと体は余計に熱を持つ。 「やっ……だめ、そこ……っ」 焦らされた上で触れられた先端は、軽くつつかれただけでも甘い痺れになる。 「はぁ……、ぁ……っ」 呼吸するために開けた口から甘えるような声が漏れた。真似しなきゃいけないのに力を上手く入れられない。手より先に腰が動いてしまう。 「ごめ、なさ……、もう、できな……っ」 「なら一緒に触っちゃおうか」 「あぁっ……!」 ふたり分の性器を手で包む。自分の手の上に、彼の手が重なる。既に自分のは先走りが垂れていたから、上下に擦られる度耳を塞ぎたくなるような卑猥な水音が響く。 「ふ、ぁ……あ……んんっ……」 もう腰が勝手に揺れるのを止められなかった。彼の手と性器を使って自慰しているようなものだ。自分なんかがそんなことしちゃいけない。彼を汚してるみたいだから。なのにせり上がってくる快感に突き動かされて、溜まっていく欲望を出したい気持ちでいっぱいになる。 なのに、直前までいったところで、そこから手が離される。 「あっ……、なんで……」 こうなったら、痴態など構わず自分で擦って出してしまいたい。しかしそれも叶わなかった。 彼が体勢を変えて上に覆いかぶさってくる。押し倒される形になったと思ったら、上で手首が拘束された。覆いかぶさった彼の服の裾に性器がこすれる。ゆるい刺激はもどかしくて苦しい。 「言ったでしょ。名前を呼んで欲しいって」 「あっ……」 「呼ぶまでこのままだよ」 空いている方の手で、震える性器をつうっと撫でては止める。それを繰り返され、静和は涙目になった。 「やだ……っ、もう、イきたいっ……」 「だったら呼んで、俺の名前」 たった二文字の、簡単な言葉。でも口にするなら大切に、キャンディをずっと味わうように音を転がしたかった。 「ずっとこのままでいいの?」 やだやだと被りを振る。宥めるように落とされたキスにすら感じて震えそうになる。早くイきたい。そのためには彼の名前を呼べばいい。 「依……央……」 思い描いていたより鼻にかかった、甘えるようなか細い声。それでも彼は聞き逃さなかった。 「よくできました」 「あっ……、やぁ……っ、つよい……」 「やめてほしい?」 「やだ……っ、やめないで……依央と一緒がいい……依央の手がいい……っ」 手首は拘束から自由になっても、真っ先に彼に抱きついた。くびれにくるくると円をかくように彼の指が動く。その下を服の裾がくすぐる。 「イく……ぅ……っ」 先端から白濁が漏れていく感覚。それと同時に、体の奥底がきゅうっと収縮する。 「ふぁ……っ、あ、あぁっ……!」 絶頂に達するとゆっくりと体が弛緩する。彼も同時にイったらしい。もたれかかる自分を受け止めて、静和が息を整えている間に、依央は二人分の精液を処理していた。 「気持ちよかった?」 目を伏せて頷くと、彼は嬉しそうに「今度は最後までしたいねと言った。

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