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第64話 出会いの前に
友だちという関係にありながら、肌と肌の触れ合いは行う。かといって挿入を伴う性行為はしていない。そんなふたりの関係の名前が分からないまま、日々は過ぎていった。
ある日、依央の様子がおかしいという日があった。凪か時化かといえば後者で、かといって誰かに八つ当たりをするという様子でもなかった。単純に、心の波が激しい。
何かに終われるように動いていたかと思いきや、動きを止めて溜め息を吐く。休憩室で泣きそうな顔をしている時もあった。
その日、ようやく静和は自分から依央に話しかけた。最初ははぐらかしていたものの、「話なら聞く。それくらいしかできることはないけど」と静和がいえば、その日初めて、依央は困ったように笑った。
彼の家へ行く。張り詰めていた糸が切れたように、依央はリビングのテーブルに突っ伏した。
「……元カノがいた」
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを二本、依央は取りだしてくれたけれど、どちらもまだ手をつけていなかった。表面の水滴を依央は拭って遊ぶ。
自分たちが今いる部署はゲーム関係で、たまに編集の残務をこなすくらい。だから来客なんて滅多に来ることはなかった。ならば、通勤途中のどこかで会ったのだろうか。
「持ち込みしてたんだよ、漫画の」
そういえば、彼の付き合っていた人は皆クリエイター気質なのだと、そういう人ばかり好きになるのだと以前言っていた。
「俺がいた時より生き生きとしてて、漫画も良くなってきたね、なんて編集と話してて……さすがにへこんだ」
そのまま、俺なんかいない方がいいんだと、半ばやけになってテーブルに額をぐりぐりと押しつけていた。
慰めなきゃいけない気持ちと、自分がなんの支えになれるんだという臆病さが、静和にはあった。自分がクリエイターと呼ばれる人間であれば、そんなことはないと、自分は依央のおかげで創作が捗っているんだと言えただろうか。
あるいは、自分は彼から離れていかないと言えればよかった。しかし、それでは恋人たちと同じ立場だと主張してるも同然だ。たった一言、何か言えばいいのに。もしくは、離れていかないから恋人にしてくれと言えれば……できない。弱みにつけこんで付き合ってもらおうとしているみたいだ。
「……彼女たちと出会う前に、僕が出会いたかった」
結局、出てきたのはおとぎ話に憧れるような一言だった。
「そしたら、依央とずっと一緒にいたよ……」
恋人を作る隙など与えないくらい、べったりとくっついていたかった。
そんな気持ちが伝わったかどうかは分からない。依央はふにゃりと笑っていたから、たぶん伝わっていない。
「そんな時おれクソガキだよ。チビで生意気の」
彼女ができたのは、学生時代。美術部の時だったか。経験が早いのは知っていたけど改めて突きつけられた。
「彼女と何かあっても、僕が慰めてた」
「今も慰めてくれる?」
彼が前にしてくれたように。正面から抱きしめる。そして背中をさする。その先はなんて言えばいいのだろう。
「えっと……元気出して?」
思いっきり笑われてしまった。そうだ、こんな子どもじみた言葉じゃいくらなんでも響かないだろう。元カノ。大人の関係。そんな言葉が頭の中でぐるぐると回っている。
「……他にもできることがあったら言って。僕を好きに使っていいから」
どの道、誰にも欲情されることのない体だ。なのに、なぜか触れ合うと依央は反応してくれていた。だから慰め程度にはなればいいと思っていた。
つまりは、誘ったも同然だった。なのに彼ははっとした顔をして、「自分を大切にしなきゃだめだよ」と言う。
やっぱりその日は何もせず、ただ一人用のベッドで手を繋いで寝ることになった。
早くしたいと急かすように、体の奥が疼く気持ちがある。
なのに、物理的に何かを挿入することが怖い。慣れようとひとりで後ろを弄ってみても、指は二本までしか入らない。三本まで入ればいけると言っていたから、なんとかひとりでそこまで持って行ければと思っているのに、勇気は出なかった。
毎回怖がってしまうのは、姉に言われたことを思い出すからだ。誰からも求められることなどないのに、性欲だけは強い。そう言われた時さえ、はしたなく惨めな思いがした。では実際にすることになったらどうなってしまうのだろう。
彼の節ばった指を思い出しては、何度も想像していた。潤滑油の冷たさの後に、ゆっくり入ってくるそれは熱いのだろう。きっと、その段階からひとつ先になっても――――。
考えるだけでそわそわする。彼の指が敏感な場所を掻き回す感覚。自分でした時は違和感があっただけなのに、今は想像に連動して、内膜は収縮して何かをしめけようとする。それだけでも気持ちよかった。
「……っ」
呼吸が早くなる。熱を逃がそうとして足をもぞつかせても逆効果で、敏感になった皮膚は容易に刺激を焦れったさに変える。
「どうしたの?」
彼を起こしてしまった。驚いて声が出ない。抱きしめていた腕がぐっと下腹を押す。気持ちいいところが近い。
「……っ、なんでもない」
ぎゅっと目をつぶって、彼の腕に手を重ねる。
疼く。早くしたい。どろどろに溶け合ってひとつになりたい。そしたら熱に浮かされたように、もっと簡単に彼に好きと言える気がする。
そして彼も好きだと言ってくれたら、自分がどんなに乱れても嗤うことがないなら、きっと何でもできると思った。
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