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第四話 銀河②
残暑はいまだ厳しいが、日が沈めばいくらか暑さも和らいでくる。鮮やかなオーロラ色の空が、透き通った濃い青に変わり、やがて、漆黒の空に金銀の星が瞬き始める。一時期は大地を揺るがすように鳴いていた蛙の声も、蝉の声も、いつの間にか鳴り止んでしまった。聞こえるのは、鈴虫の声だけ。秋がもう目の前まで迫っている。
「いやウソ! 夜でも全然暑いから!」
「騒いでねぇで、はしはし漕げ」
「てめっ、お荷物の分際で……!」
自転車の後ろに七瀬を乗せ、瞬介はペダルを踏み込んだ。一度帰ってシャワーを浴びたのに、見る影もなく汗だくだ。ぬるい夜風が肌を撫でるが、火照った体を冷やすには足りない。
「あんだけ大口叩いたくせに、情けねぇこった」
「うるっ、せぇ……っ、大口なんか、叩いたっけ?」
「七瀬の細っせぇ足じゃ、あの坂のぼんの無理だから!って」
「いやそれ……俺のマネかよ? へったくそ」
「文句あんなら足動かせ」
「クソ荷物が、クソうるせぇ……!」
ひいひい言いながらも、ようやく山頂が見えてきた。いつかの二人も、この場所で星を見た。近所の裏山。山頂付近の展望台。遮るものは何もない。星影を邪魔するものもない。
「つっかれたぁ゛~~!」
いつかのように、瞬介は芝の上に大の字に寝転んだ。見上げれば、満天の星だ。あの日見た夜空と何も変わらない。
七瀬は、展望台の欄干から身を乗り出して空を見上げる。決して届きはしないのに、手を伸ばして天の川をなぞっている。
どこか頼りなげに見える背中に、瞬介は抱きついた。きつく抱きしめ、首筋に舌を這わせると、七瀬は敏感に身を震わせる。
「てめぇ、まずは星だろうが……」
咎める言葉は聞き流し、シャツの中へと手を滑り込ませる。汗ばんだ手に、同じく汗ばんだ肌が吸い付く。細い腰から、胸元へと手を滑らせた。胸の尖りを摘まんでやれば、カクンと腰が揺れる。
「っ……、おい……」
肩越しに振り返って睨まれる。涙の膜を張った黒い瞳に、天の川が落ちていた。この瞳も、あの頃と何ら変わらない。
「いいじゃねぇのよ。先にヤッて、星見んのはすっきりしてからにしようぜ。その方が頭も冴えるし」
「それはてめぇの都合だろうがよ……。大体、用意も何もしてねぇし……」
「けど、シャワーは浴びたんだろ? 汗に交じって分かりにくいけど、石鹸の匂いする」
「ばかっ、嗅ぐな……!」
鼻先で首筋をくすぐると、七瀬は怒ったような声を出す。
「だからっ、シャワー浴びただけで、他は何にも……」
「つっても、ここんとこ毎日ヤリまくりだし、意外とイけんじゃね?」
「やっ、ン……ばか、ぁ……っ」
下着の中へと手を忍ばせる。尻の割れ目に沿って指を進めれば、柔らかな尻臀に手首を包まれる。肉を左右に割り開き、さらに指を進めると、隠された小さな窄まりに触れる。これが、七瀬の秘部だ。いつも瞬介が入っている場所。だが、瞬介がよく知るものよりも、固く強張っているように感じた。
「触ってるだけじゃ、気持ちよくねぇもんな?」
「あたりまえだ!」
「難しいよなぁ。男の体ってのも」
一旦、指に唾液を含ませてから、すりすりと表面を撫でた。皺の一本一本を伸ばすように触ってやると、そのうち、何やらヒクヒクと疼き始める。つぷっと指先を沈めてみれば、七瀬は息を押し殺した。
「おっ、結構入る」
つぷっ、つぷん、とリズムをつけて、抜き差しを繰り返す。初めは指先だけ、第二関節まで入れ、最終的には指の付け根まで沈み込ませた。ここまで来れば、出し入れはかなりスムーズだ。瞬介の唾液だけではない、別の何かが潤滑剤の役割を果たしている。
「んっ、ア、……ッ」
指をねじ込み掻き回す瞬介のリズムに合わせて、七瀬も小さく声を漏らす。まるで、指が性器になったみたいだ。感覚としては、性交と変わらない。七瀬の押し殺した喘ぎ声に、耳から犯されそうだった。
「……もう俺、指だけでイクかも」
思わず口走った。すると七瀬は、天の川を落とした瞳で、こんな状況でも勝気に瞬介を睨んだ。
「くだんねぇこと言ってんじゃねぇ。出すなら無駄撃ちすんな」
「っ……」
それは、「おれの中で出せ」と言っているに等しい。電光石火のごとく、瞬介はズボンを下ろし、七瀬の中に入った。
「ンぅ゛ッ────!!」
ほとんど勢いだけでねじ込んでしまった。七瀬は背中を波打たせ、耐えるようにして欄干にしがみつく。痛みにか、あるいは快楽なのか。うねる腰を両手で掴んで一突きすると、七瀬は再び声を上げた。
「あっ、んン……」
それは、確かな甘さを含んでいる。けれど、ただ甘いだけじゃない。潮風を孕んだ夜風のような、しょっぱくてほろ苦いような、そんな響きがした。
「やッ、ばかっ、どこさわって……!」
「チン……じゃなかった。でかいクリトリス、気持ちいいだろ? ぐしょぐしょに濡れてるし、ナカもすげぇ締まってくるし」
立派に反り立つ男の象徴。瞬介のものよりは若干小さい。ほとんど使われていないというのに、感度は良好だ。前の性器を刺激してやればしてやるだけ、後ろの穴も蕩けてくる。
「くり、じゃっ、ねぇ……っ!」
「クリやだ? しょうがねぇな」
七瀬の体で男性器よりも敏感なのは、胸の突起だ。ぷくっと膨れて主張しているそれを、両手の指で摘まんで捏ね回すと、蕩けた肉襞が痙攣しながら吸い付いてくる。欲望に抗わず激しく腰を打ち付ければ、七瀬はしなやかな肢体を仰け反らせる。
「そろそろイきそう? 我慢しないで、イけよ、なぁ。俺のチンポで感じてイけって」
耳を齧りながら囁いた。七瀬は嫌がって首を振るが、とても抗える状況でないことは、見ていて分かる。
瞬介自身、限界が近い。汗で纏わり付く服が邪魔で、脱ぎ捨てた。七瀬のシャツも、たくし上げて脱がし、地べたへ放った。
星明かりに照らされて、汗ばんだ肌が星屑を浴びたように煌めいていた。白い肢体が波打つ度に、その煌めきは色を変える。首筋を汗が伝った。舐めれば海の味がした。
火照った体を重ね合わせる。密着したまま、腰を揺する。濡れた肌が擦れて、熱を帯びた汗に滑る。
がらんとした夜空に、甘い嬌声が響く。腰を打ち付ける、生々しい打擲音が響く。体液を混ぜ合わせる、淫らな水音が響く。
最奥まで腰を突き入れた。七瀬の胎内で、欲望が弾ける。きつく抱きしめた体が震える。ぼたぼたと粘液の滴る音が、足元の草むらに響いた。
「ン、ぁ……ん、ん゛……っっ」
絶頂の余韻に震え、欄干にしがみつく。瞬介が己を抜き去れば、栓が外れたことにより、奥に放った白濁が溢れ出てきた。十分な粘り気のあるそれは、七瀬の尻を濡らし、太腿を伝い、足首へと流れ落ちていく。
膝をガクガクさせながら、七瀬はその場にしゃがみ込んだ。ジャリ、と砂の擦れる音が響いた。
「……ナカのが、こぼれてきて気持ちわりぃ」
七瀬の息が整うまで待っていた瞬介だったが、先に七瀬が口を開いた。
「外でなんか、盛るからだ……なんとかしろ」
「何とかってもなぁ……」
ポケットを探すと、ティッシュが見つかった。一枚取って、尻に宛がってやる。七瀬は、一応はそれで良しとしたようだった。
「けどこれ、おれのだよな?」
「まーね。しょうがねぇでしょ。俺、ハンカチティッシュとか持ち歩かねぇ主義だし」
「トイレの後は手ェ洗えよ……?」
「洗ってますぅー。自然乾燥派なの!」
投げ捨てた服を拾い上げ、砂を払って着直した。そばのベンチに七瀬が腰を下ろしたので、瞬介も隣に座った。背もたれのない、縁台のようなベンチだった。前回訪れた際には、こんなものはなかったと思う。ここ数年で新しく設置されたのだろう。
「んじゃま、そろそろ星でも見ときますか。俺ら、一応天文部員だしな」
「一応って何だよ」
「だって、あんま活動してないじゃん? 先輩が引退してから特に」
「……何のためにこんなとこまで来たと思ってんだ……」
七瀬は呆れたように──いや、少し甘えたような声でもあった──呟くと、ころんと身を横たえて、瞬介の膝に頭をのせた。
「えーっと……?」
瞬介が困惑していると、七瀬は見透かすような目をして笑った。
「疲れたんだよ。誰かさんのせいでなァ」
「はぁそーですか。誰かさんも後半ノリノリだったく──痛ででで」
ぐいと下から顎を突かれた。自然と視線は上を向く。暗闇に目が慣れたせいか、よりたくさんの星が見えた。あれが天の川だと、たとえ知識がなくともはっきりと認識できるくらいには、無数の星が散りばめられていた。
「夏の大三角、指さしてみろ」
「お前ね、やっぱ俺をバカにしすぎ。んなの、初歩の初歩だろうが」
この時期、この時間、天の川は天頂に差し掛かっている。この空で最も明るく、一際眩しく輝いているのが、こと座のベガ。街明かりの中でだって見つけられる。それから、天の川を挟んだ対岸に青白く輝くのが、わし座のアルタイル。
「で、あれがはくちょう座のデネブだろ? 十字になってるから、一番見つけやすいんだよな」
瞬介が星空をなぞると、七瀬は感心した風な声を出した。
「ちゃんと勉強してんじゃねぇか」
「常識レベルだっつの。何なら雑学も言えちゃうぜ?」
「じゃあ、ペルセウス座は? 指してみろよ」
「え? えーっとぉ……」
「アンドロメダ銀河は? プレアデス星団は? そろそろ昇ってきてるだろ」
「いや知らねぇって! お前詳しいな? やっぱ部長になったから? 責任感とか芽生えちゃってる感じ?」
空から視線を移し、膝枕する七瀬の顔を覗き込んだ。瞬介の影が、七瀬を半分隠している。
「そんなんじゃねぇよ。お前がやりたがらねぇから、おれに押し付けられただけだろ」
「そりゃ俺は、お前の後追いで入部しただけのニワカ天文部員だし?」
「けど、星見るのは好きだろ」
瞬介の影に隠されて、半分覗いた瞳に、天の川が満ちている。まるで、二人の住む銀河そのもの。七瀬の瞳に落ちている。引力に惹かれて吸い寄せられた。何も言えずに見つめていた。瞬介の影が、七瀬をすっかり覆い隠した。
そっと、七瀬の手が目元を覆った。甘い手。温かい手。やんわりと押し返された。
「星が見えねぇだろ」
重なりかけた影は、再び離れる。連星が、互いの重力で引き合いながら、互いの周囲を回り続けて、それでも決してぶつかることはないように。
「今、星が流れたぜ」
七瀬に言われて、瞬介は北の空へ目をやった。ピークは過ぎてしまったが、流星が現れるとすれば、この方角だろう。瞬介の知る流星群など、これ一つしかないのだから。しかし、いくら目を凝らしてみても、星は全く降ってこない。
「……前みたいにはいかねぇか」
「なんだ。やっぱり覚えてるじゃねぇか」
瞬介が呟けば、七瀬はそう言って笑った。ささやかな嘘を看破された気まずさに、瞬介は視線を逸らす。
「別にィ? 親父に言われて思い出しただけだし」
「そうかよ」
七瀬は、瞬介の膝の上で寝返りを打った。
「お前の親父さん、怒るとすげぇ怖いんだよな」
「普段優しい人は、本気で怒らすと本気で怖ぇって学んだぜ」
「お前、泣かされてたし」
「うっせ。余計なこと思い出すんじゃねぇよ。七瀬だって、ばあちゃん泣かせてただろ」
「ああ。あれは悪いことしたな。あんな騒ぎにするつもりはなかったのによ」
七瀬の黒髪。瞬介の膝に流れている。真っ黒なのに艶めいて、淡い光を帯びている。七瀬の体は、どこもかしこも美しく、だからこそ触れがたい。この夜空のような黒髪に触りたくて、瞬介は結局、指一本触れられなかった。
「なぁ、そろそろ足痺れたんだけど」
流星を探して空を見上げていたので、首が痛い。瞬介は、七瀬を軽く揺さぶった。
「なぁ、七瀬? 頭が重たいんですけどー」
「んん……」
「ちょ、あれ? 寝た?」
瞬介の膝に枕して、七瀬は寝息を立てていた。このままの姿勢で夜を明かしたら、瞬介の膝は七瀬の頭の形に窪み、尻もぺったんこに潰れそうだ。七瀬だって、こんな硬いベンチの上で眠っては、全身が凝り固まってしまうだろう。
起こさないよう慎重に、瞬介は七瀬を運んだ。七瀬は不本意だと怒るだろうが、お姫様抱っこで持ち上げて、芝の上へ転がした。ベンチの上よりはまだ、こちらの方が快適だろう。隣に瞬介も寝転がる。夜露が僅かに服に滲みた。剥き出しの手足を、青い芝がくすぐった。
いつかと同じように、またこんなところで野宿だ。地球と一体になって、宇宙を見上げる。首も痛くならないし、星を見るにはもってこいの体勢だ。だが、七瀬が寝てしまったのでは、一人で見ても意味がない。
天の川が本当に川だとするなら、その水は光そのものだ。瞬介はぼんやりと考える。そうなると、川底にひしめく砂の粒の一つ一つが星なのだ。太陽も地球も、その中に浮かんでいる。無数にある砂利のうちの一粒に過ぎない。そんな風に考えると、途方もない気持ちになってくる。
遥か彼方に浮かぶ星。何億光年も先のことなら、本を読めば分かるのに。すぐそばにいるこいつのことが分からない。自分のことさえ分からない。手を伸ばせばすぐ届くのに、本当の一番大切な場所には触れられない。こんなことを、いつまで繰り返せばいい。きっと、いつまでもこのままだ。
小さく寝言を発しながら、七瀬が身を捩った。肩が触れ、腕が絡む。瞬介の手を、優しく握った。甘い手。温かい手。けれど、あの頃のようには小さくない、手。何かが溢れ出しそうになり、けれど何も溢れさせたくなくて、瞬介は喉元を押さえた。
聞こえるのは、鈴虫の音。星の囁き。まるで波紋が重なるように、どこまでも静かに広がっていく。
「なぁおい。瞬介」
肩を揺すられ、目が覚めた。世界はまだ薄暗い。蝉が鳴き始めていた。瞬介は、まだ半分閉じたままの寝惚け眼を擦る。
「なに……?」
「何じゃねぇ。日が昇る前に帰るぞ」
「えー……まだねみぃよ……」
「情けねぇこと言ってんじゃねぇ。また泣くまで叱られんぞ」
「いーよぉ、べつに……。つか、黙って出てきたわけじゃねぇから、大丈夫だろ……」
「……」
七瀬はむすっと唇を曲げ、いよいよ激しく瞬介を揺さぶった。
「いいからさっさと起きやがれ」
「あっちょ、やめ……分かったって、起きるから! ったく、何だってそんなに急いで……」
瞬介がぶつくさ言いつつ起き上がると、きゅるる、と子犬の鳴くような音がした。もちろん、こんなところに犬はいない。鳴いたのは、七瀬の腹の虫だ。七瀬は赤くなって腹を押さえる。いや、ちょうど朝日が差して、頬が紅を差したように見えただけかもしれない。
「んだよぉ、腹減ってんならそう言えばいいのに。恥ずかしがっちゃって」
「……ちがう……」
「だったら、今の音は何なんですかねぇ? 俺の空耳ってことぉ? ずいぶんはっきり聞こえましたけど~」
揶揄いすぎたか、軽く尻を蹴り飛ばされた。
鍵なんて掛けていなかった自転車のスタンドを跳ね上げる。ハンドルを握って促せば、七瀬は荷台にまたがった。
「んじゃ、食いしん坊の七瀬のために飛ばしますか」
「しつけぇ。うるせぇ」
言いながら、七瀬は荷台をしっかり握り、瞬介の背中に寄り添った。
帰りは下り坂が続く。ペダルをいちいち漕がずとも、タイヤが勝手に回っていく。スピードに乗り、朝の風を切って進む。湿った土や、朝露を帯びた青葉の匂いに包まれる。体が内側から洗われるようだった。
山の向こうから朝日が差す。稜線を金色に縁取って、麓に広がる街並みをも、清潔な光で染めていく。家々の屋根瓦、窓ガラスの一枚一枚が、金色に照り映えている。
この匂いは、確かに夏の朝のもの。けれども、秋の気配も交じっている。日に日に脆くなる太陽光線。透き通った朝の風。そんなもの全て、季節の境目にしか存在しない。
七瀬の両手が、瞬介の胴に回された。そっと抱きつかれ、背中に温もりを感じる。柔らかな頬の触れる感触を覚える。
じんわりと体が熱を帯びた。背中が火照って、火照った体から熱を逃がすこともできない。ただ真っ直ぐ前を向き、ブレーキを握りしめて、長い坂を下っていく。この道がどこまでも続けばいい。家になんて着かなければいいと、何度もそう思った。
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