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第三章 秋冬 * 第一話 紅葉①

「なぁおい、聞いたか? お前の相棒の話!」    授業合間の休み時間。後ろの席の田中が、瞬介の背中を突っつく。   「相棒? 刑事ドラマやる気はねぇんだけど」 「いや違ぇよ。宮野の話だよ」 「え? ああ」    席替えの結果、七瀬の席は窓際にある。半分ほど開いた窓から舞い込む風に、黒髪をそよがせている。   「あいつ、宮野さ、修学旅行の自由行動、斎藤さんに誘われたって」 「……斎藤さん?」 「今度、隣の席になっただろ? 前回は前後の席だったし。それでじゃね?」 「ふーん……」 「水島お前、何も聞いてないのかよ」 「全然?」 「マジかぁ。お前なら詳しいこと知ってると思ったのに」    田中は、この話題にはもう飽きたという風に、深く席に座った。  斎藤というのは、どんな女だったろうか。瞬介は、七瀬の周囲を目で追った。黒髪ロングの清楚系が、七瀬の隣の席に着く。ああ、あれが斎藤さんか、と瞬介は上の空で思った。  少し前の自分だったら、即からかいに行っていただろう。どんな軽口だって叩けていた。以前、七瀬が告白された時だって、「俺よりモテるとか許せねぇ~」などと揶揄っては、「よく知らない相手だし、普通にフッた」などと聞いて安心していたのだ。  だから、今回もそうすればよかったのに。なぜかそれができなかった。つまらない意地を張ったのか。ただ、確かめるのが怖かったのかもしれない。   「──水島くん?」    向かいの席に座る女子生徒。セーラー服に赤いタイ。瞬介は、車窓から視線を移す。   「ごめん、なんて?」 「あっ、ううん。紅葉綺麗だねって、それだけ」 「ああ、うん。すげぇキレーだね」    秋の京都。トロッコ列車で嵐山を巡る。向かいの席でもじもじしている女子は、瞬介が自由行動を共にするのに選んだ相手だ。   「野口さんは、京都初めて?」 「ううん。実は、中学でも京都で修学旅行だったの」 「そーなんだ。俺のとこは九州だったな」    他愛ない会話が続かない。機関車の汽笛や、線路を叩く振動音がなければ、とても間が持ちそうにない。瞬介は、結局また、窓の向こうへ視線を戻す。  紅葉は綺麗だ。精緻な刺繍に彩られた、上等な錦のよう。渓谷の清流も美しい。錦の糸を織りなしながら、澄んだせせらぎを響かせている。水底に揺らぐ砂粒が、秋の日差しを反射して、キラキラと囁いた。  七瀬は今頃どうしているだろう。真面目なあいつのことだから、真面目に寺社見学でもしているのだろうか。いや、案外俗っぽいことを好むところもあるし、食べ歩きなんかしているのかも。それとも、今瞬介が見ているのと同じ、嵐山の紅葉を見ているだろうか。  「自由行動は女の子と歩くから」と瞬介が告げた時、七瀬は顔を強張らせ、しかしそうと気づかせないよう、普段通りに振舞った。「だったら、せいぜい飽きられないようにがんばるんだな」と告げた七瀬の瞳が切なくて、瞬介の方が泣きたくなった。  七瀬は、斎藤の誘いを断っていた。瞬介がそれを知った時、修学旅行は三日後に迫っていた。「自由行動、どうするんだ」と、学校で配られた地図を片手に、七瀬が言ったのだった。  その頃、瞬介は既に野口を誘ってしまっていた。自分から誘っておいて、今更取り消すことはできない。七瀬も、そうしろとは言わなかった。ただ「飽きられて捨てられるなよ」とだけ、笑って言った。   「水島くんは、どうして私のこと誘ってくれたの?」    渡月橋を渡り、川の畔。瞬介には何が楽しいのかさっぱりだったが、彼女が行ってみたいと言うので、川沿いの遊歩道を取りとめもなく歩いている。山で見た景色には劣るが、河原の街路樹も赤や黄色に色づいていた。   「どうしてって、やっぱ気になっちゃう? そーいうの」 「う、うん。そりゃもちろん。だって、私……」    野口は、一度瞬介に告白している。そして、瞬介はそれを振っている。どことなくぎこちないのはそのせいだ。今年は別のクラスになったが、昨年は同じクラスだった。三月の終わり、春休みに入る直前に告白された。   「あの時はさ、野口さんのこと、まだよく知らないからって言っちゃったけど、知ろうともしないのはどーなのかなって思って」 「それで、一年越しに?」 「まだ一年は経ってないでしょ。よん、ごー、ろくだから……」    両手を使って指折り数える瞬介を前に、野口は顔を赤らめる。   「い、いいって、そんな細かく数えなくっても」 「そう? 大体七か月くらい」 「やめてよ、もう。恥ずかしいから」    野口は速足で瞬介を追い抜く。   「けど、意外だったな。水島くん、いつも宮野くんと一緒にいるから。幼馴染なんでしょ? てっきり、二人で歩くのかなって思ってた」 「あ~、あいつねぇ」    まさか七瀬の話題が出るとは思わず言い淀む。   「なんか、別で用事があるとか言って、急遽フリーになっちゃったんだよね」 「そうだったんだ。もしかして、彼女とか?」 「それはなぁ~、どうなんだろうね?」 「二人、部活も一緒でしょ? 天文部で。聞いた時は、意外~って思った」 「だよなぁ。正直ガラじゃないんだよね。俺みたいなガサツ人間がさ」 「全然、水島くんはガサツって感じはしないけど……」    ふと、彼女の歩みが鈍くなる。言いにくいことがあるとも思えないが、躊躇いがちに口を開いた。   「あ、あのね。言いたくないことだったら、全然流してくれていいんだけど」 「なに? 遠慮しないで言ってみてよ」 「……二人はどうして剣道やめたの?」    言いにくいこと、言いたくないことドンピシャだった。表情筋がみるみるうちに強張っていく。   「私の友達がね、剣道部なんだけど。二人がいた中学の剣道部、すごく強かったんでしょ? 全国狙えるレベルだったって。なのに、高校でやめちゃったから、すごくもったいないって。二人がいてくれたら、うちの剣道部ももっと上位狙えるのに、なんでやめちゃったんだろうって、よく言ってるから……」 「……」    あの頃、青春を剣道に懸けていた。しかし、七瀬はもう、竹刀を握れない。

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