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第9話 ほとりがやさしいからだ

 ミチが地面に立ってから自分も降りる。スタンドを立てておく。鍵はかけない。鍵とかかけたことがない。自転車のかごからエコバッグを引っこ抜く。 「ふんっ」 「貸せ」  逞しい手がさっとバッグを持つと、家の中に入っていった。ぽかんとしてしまったが、小走りで追いかける。 「いいって」 「何がだ?」 「……」  上がり込もうとしたミチのジャージを掴む。ミチは裸足なのだ。 「足。拭いてから上がって。タオル持ってくる」 「ほう」  ばたばたと走り、風呂場からタオルを持ってくる。ミチは大人しく三和土に腰掛けていた。毛先がとぐろを巻いている。後ろ姿がかわいく思えた。でかいのに。 「はい。タオル」 「ありがとう」  足の裏をしっかりと拭くと、やはりエコバッグを持ってくれた。 「ミチだって、優しいじゃん」 「ほとりが優しいからだ。真似をしているに過ぎん。俺はほら、真似をするのは得意だぞ。姿もな」  悪戯っぽく笑うミチの破壊力がすごくて、ぐるっと首を横に向ける。やめろ。迂闊に笑うな。死人が出る。美形に化けているんだからもっと周囲の眼球に気を配れ。 「で、どこに運べばいい?」 「そこのテーブルに置いて」  台所にある、炊飯器と箸立てとジャム瓶が占拠しているテーブルを指差す。赤と白のギンガムチェックの古いテーブルクロスまでかけてあるが、このテーブルで飯を食ったことはない。完全なる荷物置き場。炊飯器を置くのにちょうどいいんです。  ミチは軽々と乗せた。 「スライムって筋肉あるんだね」 「お前たちはさほどでも無いな」  くぅー! これこれ。人類を常に上回っている感が好きなんだ。  拳を作って感激している俺を尻目に、商品をテーブルに出していくミチ。ありがとう。でも「なんだこいつ」みたいな目線攻撃やめて。  生肉や冷凍食品は素早く冷蔵庫へ入れてくれる。 「慣れてるね。もしかして、ミチは地球に何度もきてる?」 「二回目だ。前回は恐竜が闊歩していた。生物の大きさは、随分縮んだものだ」  いますぐ年齢を教えてくれ。 「そんな昔⁉」 「ああ」 「恐竜って、いたんだ!」 「お……前たちは何を思って博物館とかに、あの骨を飾っているんだ?」  ほとりはたまに変なことを言うなと呆れられてしまった。だーって、骨はあっても生きていた姿は見たことないんだもん。  ついでに冷蔵庫内を整理してくれているミチの横でしゃがむ。 「まだ二回目なのに、なんでそんなに詳しいのさ」 「星に下りる前に一通りのデータは読み込んである。迷惑をかけないようにな……。不時着したけど」  ばたんと閉めると、青い目が俺を見つめてくる。適当な床に目線を下げた。 「もう殺気は向けないから。俺を見ていいぞ? 見たかったんだろう?」 「でも、不愉快でしょ? 人間で言うなら中指立てられてるもんじゃないの?」 「気にするな」  顎を掴まれると、上に向けられ目線を合わせられる。キスされたことを思い出し、咄嗟に手を叩いてしまう。 「あ、ごめん!」 「ん? 痛かったか? すまんな」 「……」  本当に痛覚は無いようだ。 「そうだ。思い出した。ミチ! 人にいきなりキスしたら駄目だよ?」 「何を言う。アイスをくれると言ったのはお前だろう」  ……そうだな。 「アイスの方に、口を、つけてくれ」 「だからアイスをもらったんだろうが」  ……結構難しいな。 「キスされると、びっくりする人間もいるから。キスする前に聞いて?」 「分かった」  ほっ。良かった。いいとこに着地できた。 「どういう風に聞けばいい? 試しにほとりで練習するが、キスしてもいいか?」  ……直球過ぎる。親しい間柄なら笑って流してくれそうだが、初対面の人にはやめろよ本当に。その顔面なんだから。事故起こるぞ。 「駄目です」 「はは。面白いな」  笑ってる。楽しそうだ。ミチも楽しいと笑うんだな。いや、人間に会わせているだけか。ミチは水銀色のスライムだ。あの姿でも笑っていたのなら……可愛いな。 「何? ミチはキス好きなの?」 「ううん」  首を振っている。電気のついてない室内。差し込む光に反射して揺れる銀髪がキラキラ。目を奪われる。 「ほとりは? じーっと俺を見るのが好きなのか?」  目を細めた顔を近づけられ、ハッとなる。 「っと、ごめん」 「何に謝っているのやら」  ミチが台所を出て行く。残った俺はその場で心臓を宥めた。

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