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第3話
◇9:20
隼人side
「ん?」
玄関のドアにビニール袋がかかってある。
いくらノー天気な俺でも、職業柄さすがに身構える。が、よくみると中に入っているのは布地のもののようで、しかも白いプリントで「消防」の文字が見える。
…なに?
中を覗くと、服の上に置いてある蛍光グリーンの正方形の紙に、几帳面そうな綺麗な字でこう書いてある。
「拾得物です。
本当に消防士なんですね。
桐谷」
ぅおい!
いや……絶対あいつじゃん!
◇10:30
涼side
昨晩、結局どうすればいいか散々悩み、仕方ないからあの1枚だけで洗濯機を回して、乾かして、適当な紙袋に畳んで入れた。
で…紙袋じゃ中身が見えないから警戒するよなと思って、紙袋から出してビニール袋に入れ直した。
で……何が入ってるか遠目でも分かるほうがいいよなと思い、消防の文字が見えるように畳み直して入れた。
わかってます…、自分でも細かすぎることくらいわかってるんだけど、これは性格だから仕方ない。
そんでもって、あいつがどこの消防署に勤務しているのかは知らないが、夜にサイレンが聞こえるたびに、出動してるのかな等と一晩中いちいち考えてしまった。
というわけで、出勤前にドアノブにビニール袋を引っかけてきたというわけだけど、物をドアノブにかけるだけだというのに思いっきり疲れてしまった…。
でもここまでやれば、このあと盗まれようが本人の手に渡らなかろうが、もう後悔はない。
よし、忘れよう。
仕事だ仕事。
◇16:00
隼人side
当直明けの睡眠から目を覚まし思いっきり背伸びをしたあと、ドアノブにぶら下がっていたビニール袋からTシャツを取り出す。微かに普段と違う洗剤の匂いがする。
いつもはトレーニング用のTシャツも署内で洗濯することが多いが、交代前に出場がかかったために珍しく着て帰ってしまったTシャツだ。
「よりによってこれが落ちるんだもんな」
まぁ、これだったから返ってきたとも言えるけど。
服の隙間からひらひらと落ちた蛍光グリーンの紙切れを拾い上げて、思わずふきだしてしまう。
あいつが桐谷という名前だということは知らないにも関わらず、文字だけで誰が書いたのかわかるのだから大したもんだ。
Tシャツをハンガーにつるし、クローゼットではなく壁にかける。
おもしろいやつ。
なんか…わかってしまうんだけど、多分中身が見える袋に入れたのは俺が警戒すると見越してわざとだろうし、文字が見えるように畳んだのも俺の心労を減らすための意図的なものなんだろう。
「…てか、消防士って信じてなかったのかよ!!!」
◇
涼side
Tシャツをドアノブにかけた日から、なんとなくまたTシャツが落ちているんではないかとマンションの周りや植栽を気にしたり、部屋に電気がついているかな、なんてふと自分の部屋の下の灯りを探してしまったり、帰宅途中に何かひとつ使命が増えてしまったかのように、気にかけてしまう。あれ以来、勤務が続いているのか忙しいのか疲れて寝ているのか、電気がついているタイミングを見かけていない。消防士という職業は、やはり特殊な勤務形態なんだな、と考えてしまうと同時に、道ですれ違うレスキューや消防車を見れば気にかけてしまうようになり、サイレンが聞こえると、不思議あいつを思い出すようになってしまった。
…Tシャツを拾ってやっただけなのにさ。
◇
「桐谷先生、◯◯株式会社様いらっしゃいました。」
「ありがとうございます。会議室にご案内下さい。」
今日は顧問先との会食の日の予定で、事務所訪問としてうちの事務所の会議室でいくつか案件の話をしたあと、顧問先が用意したタクシーで顧問先の案内するお店に向かう。本来の性格的にはこういう仰々しいことは避けたいタチではあるが、職業柄仕方がない。
「先生はご結婚はしないのですか?」
「願望がない訳ではないんですが、まずはいい人を探すところから始めないといけない状況です。」
「先生はハンサムで頭が良くて、引くて数多でしょうに。」
「そういうのは運命みたいなものもあるでしょうから、気長に待ってみます。」
こういう類の質問には当たり障りなく答えるのがベストだが、なんとなくグサリとくるものがある。
結婚かぁ。1年前に今のマンションに引っ越してきたのは当時の彼女と別れたのがきっかけだった。お互い弁護士同士だったこともあり、さっぱりとした性格の似たもの同士うまくいくかと思ったが、彼女がニューヨークに渡るという話をきっかけに別れることになった。ともかく、似たもの同士だからうまくいくということもないようで、恋愛ほど難しいものはない…と思い知らされた。
宴もたけなわ。
酒がとても好きという訳でも得意という訳ではない俺が、仕事の延長でなんとなくの気持ちで貴重な高い酒を飲むということに対し、なんとも言えない世の中の虚しさを感じる。
それでも酒が入ると、それなりに時間が過ぎるのも早く、あっという間に帰る時間になった。
帰りもタクシーを用意しますと何度も言われたが、酔いを覚ましたいので電車で帰りますね、と断った。駅から歩いて帰ると、今日は下の階に電気がついている。今日、いるんだ、初めて見たかも。
鍵を開けて部屋に入る。
あいつ今日、いるんだな。
コートを脱いでハンガーにかける。
あー飲み過ぎだ。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ひとくちだけと思ったらあっという間に半分程を飲み干してしまった。
なんていうか、…ベランダに出てみるか。
カーテンを開け、鍵を開けて外に出る。
12月の風がアルコールの入った身体を覚ましてくれる。
「おかえり〜」
え?
驚いて下を覗くと、半袖で楽しそうに手を振っている。
「あのさ、寒くないの?」
「そっちこそシャツ1枚じゃん」
「飲んで帰ったから」
「え〜酔っ払いですか〜?」
「…」
「女?」
「顧問先」
「ちぇっ、つまんねーなぁ」
上と下の階に住んでいるんだから、そりゃずっと近くにいたんだろうけど、なぜだかすごく久しぶりに会った気がして、しかもなんかちょっと嬉しい気がして。
「あ、」
「なに。」
「この前のTシャツありがと!」
「あー…」
「皺一つなく畳め!って鬼教官にしごかれてきた俺より綺麗に畳んでて驚いたわ、」
「男のくせに細かそうだなとか思ってんだろ」
「いや?消防士向いてんじゃない?」
「なんでだよ」
「転職する?」
「いえ、現状に満足していますんで。」
「…確かに先生がロープのぼってるの、あんまり想像つかないもんねー。」
「勝手に想像しないでくれる?」
馬鹿馬鹿しい会話に、なぜか心が解けていく。
「…あ、そうだ、連絡先教えてよ!」
「なんで?」
「だめ?」
「いやべつにダメじゃないけど…」
「じゃあなに!」
「いきなりすぎて、頭の中どうなってんのかなって、心配しただけ」
「俺、バカにされてる?」
「うん、まぁ」
もう、とちょっと怒ったふりをしている。
「ほい!これ読み込んで!」
少し身を乗り出す形で、スマホにコードを表示させている。落ちるって、危ないって、と声をかけるがよっぽど体幹と体力に自信があるのか、あまり怖くもなさそうだ。
「わかったよ、読み込むから危ないって、下がれよ」
読み込める?遠い?そっち行こうか?
いや、読めるから、危ないって、動くなって。
カメラを拡大して、6階から5階のコードを読み込む。画面が切り替わると、何も画像が設定されていない初期設定のプレーンな人型のマークの下に『hayato』と書かれている。
なんか意外だな、女子高生みたいにゴテゴテしてそうなタイプかと思ったら。追加を押し、フルネームを送りつけてみる。
ピロン
『桐谷涼』
ピロン
『三嶋隼人』
「へー三嶋さんていうんだ」
三嶋隼人、か。
「はやちゃんでいいよ?」
「…あのさ、半袖で寒くないの?」
「ん?なんか寒くないかも」
「そっかー…じゃ!」
急いで中に入り、鍵を閉めてカーテンを閉めた。
とりあえず、シャワー浴びよう。
3話 おわり。
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