2 / 11

第2話

今朝のフィサは、ずっとそわそわしていた。 落ち着かない指先を握ったり開いたりしながら、何度もルヴェーグを横目で見ては、言いかけた言葉を飲み込む。 やっと決心が固まったのか、フィサは小さく息を吸い、そっとルヴェーグの袖を掴んだ。 「……あ、あの……レーベ。 きょ、今日……その……い、一緒に買い物……行きませんか……?」 不意を突かれたようにルヴェーグが瞬きし、それから口元を緩めた。 「買い物?もちろんいいよ。 ……執事に頼めば何でも揃うのに、どうしたんだい?」 「レーベと……行きたいんです。」 その声は震えていたのに、嘘はひとつも混じっていなかった。 素直すぎる言葉に、ルヴェーグは困ったように目尻を下げる。 「そんなふうに言われたら、行かない選択肢なんてないだろう。さあ、行こうか。」 そこへ、足音もなくシグマが現れた。 「お出かけですか。馬車の手配をいたします。 ……どうぞお二人で、ごゆっくり。」 「お前は来ないのか?」ルヴェーグが問うと、 シグマは気づかれぬ程度にフィサへ視線を流し、柔らかく微笑む。 「えぇ。別件がございますので。」 ◆ ◆ ◆ ──数日前。 「シグマ。」 「はい、ルヴェーグ様。」 「ここ最近、フィサの様子が……どこかおかしい。 何か知っていることはないか?」 「そういうことは、ご自身で聞かれるべきでは?」 「強く問いただして怯えさせたくないんだ。 少し……後をつけて様子を見てくれないか。」 シグマは短く息をついた。 「……承知しました。気づかれなければ良いのですね。」 それだけ言うと、影のように姿を消す。 ◆ ◆ ◆ 路地裏の奥。湿った空気の中、シグマは壁の陰から静かに周囲をうかがっていた。 視線の先では、周囲を怯えたように見回すフィサと、フードを深くかぶった男が向き合っている。 男の胸元に刺さっているピンには覚えがあった。 長年エプシアール家と敵対してきた勢力の紋章だ。 シグマは展開を予測しつつ、フィサと男の会話に耳を澄ます。 「だ、大丈夫……。気づかれて……ないですよね……?」 「それは結構。では、例の件について……」 風に散らされ、会話の全ては聞こえない。 だが、フィサがどんな罠に嵌められ、何を信じ込み、何を“選ばされている”のかは理解するに十分だった。 ──フィサを売っても金は足りない。 ──ルヴェーグなら高値で売れる。 ──家族を救うには、それしかない。 あまりにも粗雑で、稚拙で、作り話としても出来が悪い。 世間を知る者なら一笑に付すレベルの“安い嘘”だ。 だが―― ──フィサは信じてしまった。 “家族を助けられるなら” その一心で。 彼は優しすぎて、情に流されやすくて、 なにより“誰かを救いたい”と願えば、 真偽より先に手を伸ばしてしまう。 その純朴さを利用しようとする者にとって、 これほど都合の良い餌食もいない。 (本当に……フィサ様は、騙されやすい……) シグマは小さく息を吐いた。 呆れなのか、諦めなのか、それとも――わずかな苛立ちか。 (雑な罠に嵌められているだけですよ、まったく。……ですが) シグマの瞳が細められ、口元にわずかな笑みが浮かぶ。 (……ルヴェーグ様を売る、ですか。) 主に危機が迫っているというのに、 その顔にあったのは焦りではなく、妙な興味だった。 (相手側の狙いも“殺す”には至らぬ様子……。 ならば――わざわざ邪魔をして差し上げる理由もありませんね。 それに、“死なない程度”に痛めつけられる姿など、そう簡単に拝めるものでもない。) 深い好奇心の影が、その瞳に静かに揺れた。 (さて、ルヴェーグ様には…… “特に異常なし”と報告しておきましょう。) 肩を軽く竦めると、シグマはまた闇へと溶けるように姿を消した。

ともだちにシェアしよう!