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第2話
今朝のフィサは、ずっとそわそわしていた。
落ち着かない指先を握ったり開いたりしながら、何度もルヴェーグを横目で見ては、言いかけた言葉を飲み込む。
やっと決心が固まったのか、フィサは小さく息を吸い、そっとルヴェーグの袖を掴んだ。
「……あ、あの……レーベ。
きょ、今日……その……い、一緒に買い物……行きませんか……?」
不意を突かれたようにルヴェーグが瞬きし、それから口元を緩めた。
「買い物?もちろんいいよ。
……執事に頼めば何でも揃うのに、どうしたんだい?」
「レーベと……行きたいんです。」
その声は震えていたのに、嘘はひとつも混じっていなかった。
素直すぎる言葉に、ルヴェーグは困ったように目尻を下げる。
「そんなふうに言われたら、行かない選択肢なんてないだろう。さあ、行こうか。」
そこへ、足音もなくシグマが現れた。
「お出かけですか。馬車の手配をいたします。
……どうぞお二人で、ごゆっくり。」
「お前は来ないのか?」ルヴェーグが問うと、
シグマは気づかれぬ程度にフィサへ視線を流し、柔らかく微笑む。
「えぇ。別件がございますので。」
◆ ◆ ◆
──数日前。
「シグマ。」
「はい、ルヴェーグ様。」
「ここ最近、フィサの様子が……どこかおかしい。
何か知っていることはないか?」
「そういうことは、ご自身で聞かれるべきでは?」
「強く問いただして怯えさせたくないんだ。
少し……後をつけて様子を見てくれないか。」
シグマは短く息をついた。
「……承知しました。気づかれなければ良いのですね。」
それだけ言うと、影のように姿を消す。
◆ ◆ ◆
路地裏の奥。湿った空気の中、シグマは壁の陰から静かに周囲をうかがっていた。
視線の先では、周囲を怯えたように見回すフィサと、フードを深くかぶった男が向き合っている。
男の胸元に刺さっているピンには覚えがあった。
長年エプシアール家と敵対してきた勢力の紋章だ。
シグマは展開を予測しつつ、フィサと男の会話に耳を澄ます。
「だ、大丈夫……。気づかれて……ないですよね……?」
「それは結構。では、例の件について……」
風に散らされ、会話の全ては聞こえない。
だが、フィサがどんな罠に嵌められ、何を信じ込み、何を“選ばされている”のかは理解するに十分だった。
──フィサを売っても金は足りない。
──ルヴェーグなら高値で売れる。
──家族を救うには、それしかない。
あまりにも粗雑で、稚拙で、作り話としても出来が悪い。
世間を知る者なら一笑に付すレベルの“安い嘘”だ。
だが――
──フィサは信じてしまった。
“家族を助けられるなら” その一心で。
彼は優しすぎて、情に流されやすくて、
なにより“誰かを救いたい”と願えば、
真偽より先に手を伸ばしてしまう。
その純朴さを利用しようとする者にとって、
これほど都合の良い餌食もいない。
(本当に……フィサ様は、騙されやすい……)
シグマは小さく息を吐いた。
呆れなのか、諦めなのか、それとも――わずかな苛立ちか。
(雑な罠に嵌められているだけですよ、まったく。……ですが)
シグマの瞳が細められ、口元にわずかな笑みが浮かぶ。
(……ルヴェーグ様を売る、ですか。)
主に危機が迫っているというのに、
その顔にあったのは焦りではなく、妙な興味だった。
(相手側の狙いも“殺す”には至らぬ様子……。
ならば――わざわざ邪魔をして差し上げる理由もありませんね。
それに、“死なない程度”に痛めつけられる姿など、そう簡単に拝めるものでもない。)
深い好奇心の影が、その瞳に静かに揺れた。
(さて、ルヴェーグ様には……
“特に異常なし”と報告しておきましょう。)
肩を軽く竦めると、シグマはまた闇へと溶けるように姿を消した。
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