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まさかのスキンシップ指導

冬馬のゲストルームは、俺の部屋の隣。 広くて、ベッド、デスク、本棚、ソファと、シンプルだけど機能的に揃っている。 「ここで勉強するのか?」 声をかけると、冬馬が振り返った。 「ああ。自分の部屋だと色々あって集中できないだろ」 なんだ、このからかうような言い方……思わず口を尖らせる。 「別に、大丈夫だけど……」 「本当か?」 軽く笑い、冬馬はデスク前の椅子を指す。 並んだ二つの椅子の片方に腰を下ろすと、自然に距離が近くなる。 αの、少し強めのフェロモンが鼻をくすぐる。 俺はΩだから、αの匂いには敏感だ。 でも冬馬の匂いは……嫌じゃない。むしろ落ち着く。 「じゃあ、始めるか」 冬馬は厚みのある冊子を取り出した。 表紙には『礼儀作法とマナー』と書かれている。 「……社交の勉強?」 「ああ。将来的に色んな場に出ることになるだろ? 恥をかかないようにな」 確かに、父さんもよくそう言っていた。 「まずは基本の挨拶からだ」 冬馬は冊子を開き、会食のマナーや名刺交換、言葉遣いまで丁寧に説明する。 ――正直、退屈だ。 でも、冬馬の説明は分かりやすい。 「……全部覚えなきゃいけないの」 「まさか。今日は基本だけでいい」 そう言って笑う横顔が、やけに整って見える。 「今日は“立ち姿勢”と“お辞儀”だけだ」 冬馬が立ち上がり、ゆっくり姿勢を整える。 背筋がスッと伸びて、無駄のない所作。 「お前もやってみろ」 「……うん」 立ち上がると、冬馬が近づいてきた。 そして――顎に手を添えられる。 「っ……」 指先が触れた瞬間、心臓が強く跳ねた。 「……こうだ」 低い声が耳に落ちる。 「……わかった」 できるだけ冷静に答えるけど、顔が熱い。 「ああ、いい感じだ」 頷く冬馬の目が真っ直ぐに俺を見つめる。 視線だけで息が詰まりそうだ。 「次はお辞儀。腰から折るように」 滑らかにお手本を見せる冬馬を真似する。 「うーん、浅いな。もう少し深く」 そう言って――背中に手を添えられる。 体温が伝わって、呼吸が止まる。 「……っ」 冬馬のフェロモンがふわりと空気に溶ける。 その匂いに頭がぼんやりしてくる。 「律、顔赤いぞ?」 「赤くない」 反射で顔を上げると、口元を緩めて笑う冬馬。 「意識しすぎだろ」 「意識なんてしてない」 その一言で、余計に熱くなる。 「じゃあ次は冊子の内容を復習だ」 冬馬は再びページを開き、指で示す。 「さっきの言葉の意味、覚えてるか?」 「……覚えてる」 「じゃあ言ってみろ」 「……忘れた」 正直に答えると、冬馬が苦笑した。 「やっぱりな」 「……うるさい」 もう一回説明される。 低く響く声、ページをめくる音、穏やかな説明。 真面目に聞こう――と思ったけど。 眠い。 どうしようもなく眠い。 冬馬のフェロモンのせいだ。 Ωは安心できるαの匂いを嗅ぐと眠くなる――そんな話をどこかで聞いた。 「……律」 名前を呼ばれて、はっと目を開ける。 「寝るな」 「……寝てない」 否定するけど、まぶたが重い。 「こら、寝るなっつってんだろ」 「……ん」 声が遠い。 ダメだ―― 「律!」 突然、すぐ近くで声。 びくっとして顔を上げると、目の前に冬馬の顔。 「っ……!」 反射でのけぞると、椅子がガタッと傾く。 「っと」 冬馬がすぐに背もたれを掴み、倒れそうな俺を支える。 息が触れそうな距離。 「……近い」 「起きろ」 「起きてる……」 嘘だけど。 「ふぅ……」 冬馬がため息をついた。 次の瞬間―― 唇に、柔らかい感触。 時間が止まる。 ……は? 数秒遅れて脳が理解する。 キス。 冬馬に、キスされた。 顔が一気に熱くなる。 「な、何……!」 声が上ずる。冬馬が小さく笑って離れる。 「これで、起きたろ」 「……最低」 そう言うのが精一杯。 眠気なんて、どこかに吹き飛んでいた。

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