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第28話 予期せぬヒート

ある日の授業中。 突然、身体の奥がぐっと熱を帯びた。 「……っ」 息が詰まる。汗が首筋を伝う。 ……おかしい。ヒートの周期じゃないのに。 でも、これは確実にヒートの前兆だ。 それに――今日は、冬馬の匂いがついていない。 朝、急いで出てきてしまって、キスもしてこなかった。 「……すみません」 教授に短く声をかけて席を立つ。 廊下に出た瞬間、自分の甘い匂いがふわりと広がった。 「……やば……っ」 フェロモンが漏れてる……! 焦りで胸がドキドキした、その時――。 「おい、そこのΩ」 複数の足音。 振り返ると、見知らぬαたちがニヤつきながら立っている。 「……っ」 嫌な感覚が背筋を走る。 やばい。冬馬がいないと本当に抑えが効かない……。 「すげぇいい匂いだな。もしかして発情期か?」 ゆっくり距離を詰めてくる。 「……来るな」 後ずさった先で、背中が壁に当たった。 逃げ道はもうない。 「大人しくしとけよ」 「やっ……離せって!」 「離すわけねぇだろ。こんな甘い匂いさせて」 「……やめろ」 「極上のΩってこういう匂いなんだな」 男の声が耳元に落ちる。 腕を掴まれたまま、俺は必死にもがいた。 「離せよ……! 俺にはつがいが――」 「は? つがい持ちでこのフェロモンの濃さ?」 男は薄く笑い、指先で俺の喉元へ触れかける。 「……お前、αを惹きつけすぎなんだよ」 そんなの……俺だってわかってる。 “つがい持ちなのに惹きつける体質”だなんて、最悪だ。 身体が強張る。逃げたいのに力が入らない。 ひどく嫌な汗が背をつたう。 その瞬間――。 「律!」 聞き慣れた声が、空気を切り裂いた。 「冬馬……っ!」 冬馬が駆け寄り、状況を一瞥した後、一帯に重く強烈なフェロモンを放った。 支配するようなαの匂い。 「……っ!」 男たちは怯んで、俺の腕を放す。 「律に触れるな」 その一言だけで、男たちは顔色を失い散っていった。 冬馬はすぐに俺を抱き寄せる。 「律、大丈夫か」 「……ヒート……」 言っただけで身体が揺れる。 「わかった。帰るぞ」 そう言うと、ためらいもなく俺を抱き上げた。 「ちょ、恥ずかしい……!」 「今は優先順位が違う」 冬馬は低い声で言いながら、俺の首筋に鼻を寄せる。 「……やっぱり。俺の匂いがついてない」 「……っ」 「お前、俺から離れるとフェロモンが暴れやすいんだ。わかってるだろ?」 ほんとに……そうだ。 冬馬がいないと、俺の身体はすぐに反応してしまう……。 「お前の匂い……甘すぎる。他のαが集まる前に帰ろう」 俺はただ、小さく頷いた。 屋敷に戻ると、そのままベッドに寝かされる。 熱が、身体の奥からせり上がる。 冬馬の匂いだけが、少し呼吸を繋いでくれる。 「冬馬……」 すぐに抱き寄せられて、胸がきゅっとなる。 けれど――冬馬の体温に触れるほど、熱は高まる。 冬馬は俺の頬に手を添え、真っ直ぐ見つめる。 「律、まだ辛い?」 「……たぶん、ちょっと」 「ちょっとじゃない顔してるけどな」 冬馬は苦笑しながら、背中をゆっくり撫でてくる。 その手つきがあまりにも優しくて、思わず息が震えた。 「……っ」 「触れるだけで反応すんの、ほんと可愛いよな」 「可愛くない」 反射的に否定したのに、声は妙に弱かった。 「じゃあ、なんで俺のシャツ掴んでんだ」 「……掴んでない」 「掴んでる」 冬馬は俺の指先を軽く包む。 離そうとしたのに、逆にぎゅっと握り返してしまった。 ヒートの熱はまだ残っている。 冬馬はゆっくり俺の髪を撫でて、そのままそっと抱き寄せるだけ。 「律。今日はもう、無理すんな」 「……冬馬は?」 「俺? まあ、我慢してる」 さらっと言われて、胸が締め付けられる。 「……なんで我慢なんかしてるの」 「お前がしんどい時に、余計なことするかよ」 優しすぎる声に、また熱が上がった。 「律。ほら、ゆっくり息しろ」 冬馬の胸に額を預け、深呼吸する。 その匂いだけで、ずいぶん楽になった。 「……冬馬」 「ん?」 「……そばにいて」 「言われなくてもいる」 「じゃあ……抱いて」 「……っ、そんなこと言われたら、耐えらんねえよ」 「いい。だって……冬馬が、好きだから」 そう言うと、冬馬が驚いた顔をする。 そして――優しく笑った。

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