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そんなに冷たくなかった、現実

 ぼふんと何かに激突して、目を開いたら自分の部屋だった。  見慣れた、俺の一人部屋。  ぶつかったのはベッドらしい。  後ろを振り返ると、部屋にひとつの姿見から淡く紫色の光が漏れていた。  そういえば最初に召喚されたときも自分の部屋で、この鏡が紫色に光っていて、のぞくと見たこともないピンク髪の可愛い女の子が映っていたんだっけ。  あれは自分が向こうでなる姿だったんだな。  やっぱりこの鏡が出入り口だったのか。と思った途端、その光はふっと消えてなくなった。  自分の手を見下ろせば、さっきの少年の手よりももう一回り大きい俺の手。  ああ、戻ってきた。  ……戻ってきて、しまった。  閉じた瞼の裏では、まだ少年の青い髪が揺れている。  いや、がっくりしている場合じゃないぞ。  大学はどうなったんだ!?  やっと希望の学校から合格通知をもらったというのに、一年も姿をくらましてしまったら、また受験からやり直しなんじゃないか……?  その前に、両親は俺を探してないだろうか!?  捜索願いが出されてたりとか……。  恐ろしい現実に震えだした手で、ベッドの枕元に放り出されていた自分のスマホを手に取る。  一体、今日は何年の何月何日なんだ!?  画面には、俺があの世界フロウリアに行ったのと同じ3月29日(木)の19:03と表示されている。  ああそうだよな。丸一年だったんだから、同じ日のはずだ。  問題は何年かって事で……。  ……いや待てよ。  そもそも俺のスマホがこのままで……?  俺の部屋も、あまりにもそのままだよな……。  脱いだ服も投げ出した鞄すらもあの日のままだ。  カレンダーのアプリを開く指先が、期待と不安に震える。  そこに表示されていた今年は、自分が異世界に召喚されたのと同じ年だった。 「よっしゃあ!!!」  思わず叫ぶと、バタバタバタンッと隣の部屋から物音が聞こえる。  そのまま足音が近づいて、俺の部屋のドアが開かれた。 「兄ちゃん!?」 「お、蒼(あおい)久しぶり……じゃなかった、ええと、どうした」 「兄ちゃんこそ今までどこにいたんだよっ。朝からずっといなくてさ、けど靴もスマホもあったし……」  ……まあ、それは確かにそうか。  俺の弟の蒼は、2歳下の高校1年生だ。  いやもうあと数日で高2か。  筋トレのしすぎでゴツくなってしまった俺とは違って、スラリとした体躯にメガネの似合う知的な印象の少年だ。 「あー……新しい靴買ってさ、ちょっと散歩のつもりがついつい……」 「何だよ、出かけるなら一言言ってから行けよな。俺がどれだけ心配したと思ってるんだよっ」  拗ねるような声に、俺は苦笑しながらその頭を撫でる。 「そうだよな、心配かけて悪かった。母さんは?」 「まだ帰ってない。ってかいつまでも子ども扱いすんなって言ってんだろ」  そう言って蒼は俺の手を跳ね退けた。  まあ、俺もいきなりの異世界召喚なんて食らったもんで、連絡のしようがなかったんだけどな。  ひとまず、嘘をついた手前、明日は新しい靴でも買いに行くかな。  来月から大学生になるわけだし、靴くらい新調するのもいいだろう。 「そろそろ暗くなるから電気つけた方がいいぞ」  蒼が俺の部屋を出るついでに部屋の明かりをつける。  急に明るくなった室内は、なんだか今までよりもずっと色あせて見えた気がした。  もう一度眺めた姿見には、中肉中背よりほんの少し肩幅と厚みのある18歳の自分の姿が映っていた。  向こうの世界では腰下まであった桃色の髪も今は短い黒髪に戻っていて、瞳の色も黒に戻っている。  鼻は少し高めだが眉は太過ぎず細すぎず、眉と目は垂れていて、良く言えば優しげな悪く言えばぼんやりとした、そんなおっとりした自分の姿に、知らずため息が漏れる。  俺はあの青色をなるべく思い出さないようにしながら、現実の生活へと意識を向けた。  *** 「うー……、今何時だ……」  布団に潜ってからもう何度目になるかわからない現在時刻の確認をする。  今頃ディアリンドはどうしているだろうか。  何度追い払っても、そればかりが頭に広がって、どうしようもない。  日課の剣の稽古をしているのだろうか、それとも、魔物と戦っているのだろうか。  きっと、新しい聖女を守るために、頑張っているのだろうな……。  俺は寝返りを打って、鏡を見る。  あの鏡から、俺はあの世界……フロウリアに行った。  司祭様がおっしゃるには、俺が入って出てきたあの鏡は簡易ゲートとなるらしい。  こちらの世界で毎日決まった時刻に、ほんの僅かな時間だけゲートが開く。  その時にあの鏡をくぐれば、俺はまたあの世界に行くことができるらしい。  だからディアリンドはああ言ったんだ。 『またお会いできる日が来ることを、心から願っています……』  彼は、また会いたい。と。  俺にまたフロウリアに来てくれと願ったんだ……。  俺はもう一度スマホを見る。  時刻は1時を回っている。  こちらに戻ってきて、最初に見たスマホには19:03と書かれていた。  召喚されたあの日は確か、朝食を3人で食べて、母さんが仕事に行くのを見送って、少しリビングでテレビを見てから部屋に戻ったから……7時くらいだろうか。  光り輝く鏡に驚いて、覗き込んだ向こうに聖女姿の自分が映っていた。  だとすると、朝の7時と夜の7時にそれぞれゲートが開くと考えていいんだろうか。  それとも、入るゲートは朝7時で、帰りのゲートが夜7時とか……?  ……待てよ。  フロウリアでは聖女のゲートが開くのは年に1回だぞ?  俺も丸1年をしっかり向こうで過ごした。  こちらほどの厳しさではないにしろ、向こうに着いた頃は暑い時期で、それから涼しくなってきて、雪を目にして、春が来て、2度目の夏に俺は帰ってきた。  そして俺が帰ったあの日、俺は目にしていないが、俺が帰ることによりフロウリアには新たな聖女が召喚されていたはずだ。  それじゃまさか、明日の朝には……朝7時には、フロウリアでは俺が帰ってから1年が経ってるんじゃないのか……?  あーーーーーっっ、そういう事か……。  確かに呼ばれる側からすれば、現実世界で長期不在とならないありがたい時差だが、これじゃよく考えてから会いに行こうなんて思ってたら、ディアリンドを何年も待たせてしまうことになるじゃないか。  幸い現実では今は春休み期間で、俺は自由が利く。  明日は朝から蒼にもちゃんと出かけると伝えて、スマホは……役には立たないだろうが一応持っていこう。  俺はそう決めると、アラームがいつも通りの6時にかかっているのを確認して目を閉じる。  ディアリンドになんて言おうかは、向こうについてから考えればいい。  何せ向こうに行ってしまえば、向こうの時間で1年間は帰ってこれないのだから。  ほんのこれだけで胸のつかえが幾分か取れて、俺はすぐに眠りに落ちた。

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