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傷
私が何故かロイスに叱り付けられたその翌々日から、あの男は不躾にもサキ様のいらっしゃる聖女様の専用領域にまで顔を出すようになった。
司祭様が特別にお許しになったとの事だが、ロイスといいエミーといい司祭様までが、一体どうしてあんな男を好きにさせているのだろうか。
サキ様は、最初にあの男に顔を合わせた日には少し警戒の色を見せていた。
それなのに……。
あれからほんの3日しか経たないというのに、今日、私がサキ様の身辺護衛でお部屋に入った時にはサキ様のみならずサキ様付きの従者までもがすっかりあの男に懐いてしまっていた。
「サキ様、ケイ様がお見えになりました」
従者がいそいそとサキ様に伝えると、サキ様は我々には見せたことのない笑顔で「すぐ通してください」とおっしゃった。
一体どういうことだ。
あの男は何か人を惑わし操る術でも使っているのではないだろうか。
私は一層警戒を強める。
ロイスはああ言っていたが、私には何よりも聖女様の安全を守る役割がある。
そのためにはいつでも冷静に、常に警戒心を持って護衛の任にあたらなくては。
「咲希ちゃんお疲れ様。朝の練習見てたよ、随分上手くなったね」
にこにこと微笑んで男はやってきた。
「ケイさんのおかげですよ」
サキ様は嬉しそうに笑って答える。
……何かこの男が助言でもしたのだろうか?
確かにこの男も元聖女だったのだから、力の使い方くらいは知っているのだろう。
なるほど、それで司祭様はこの男をサキ様に……。
「顔色もすっかり良くなったね、安心したよ。夜はちゃんと眠れてる? ここエアコンないから暑いよね」
「そうなんですよね。向こうほど気温は暑くないんですけど、夜は流石に寝苦しくて……」
えあこんとはなんだろうか。
おそらく向こうの世界のものなのだろう。
「そう思って、今日はこんなのを持ってきたんだ」
男の言葉に、後ろで控えていたエミーがサキ様の侍女へ包みを渡す。
「わ、なんですか?」
それは、水魔法と氷魔法をかけた枕のようなものと、その……輪が一箇所だけ開いたようなものはなんだろうか。
「もしかしてネッククーラーですか? わあ、あったらいいなって思ってたんですよね。嬉しいです」
サキ様は嬉しそうにそれを手に取り、あろうことかそれをいきなり首へはめようとする。
「お待ちください!」
私はそれを止めると、二つの不審物を検分する。
「私がついているんです。滅多な物ではありません」
エミーさんが不服そうな声を上げるのを、男が宥めた。
「まあまあ、ディアリンドはこれが仕事なんだから。咲希ちゃんのために一生懸命なんだよ」
私はこの男に一度も名を名乗っていないはずなのだが、何故こうもさらりと呼んでくるのか。
私が不審物に鑑定魔法をかけている間も、サキ様と男の話は続く。
「枕にも、ちょうどいいくらいの温度でずっとひんやりする魔法をかけてあるからね。これで夜も寝やすくなると思うよ」
「ありがとうございますっ」
「咲希ちゃんは十分頑張ってるから、あんまり無理しない方がいいよ。今のペースなら巡礼までには問題なく全部の術が使えるようになるからね」
「はい……、司祭様もそう言ってくれるんですけど、なんだか私に世界の命運がかかってるなんて言われたら……不安で……」
「そうだよね……その気持ちは本当に分かるよ。俺も必死で詰め込んで、この時期はいっぱいいっぱいだったから」
サキ様が私達には見せない不安そうな顔を男に素直に見せると、男も少し遠くを見るような目をして共感し苦笑した。
「俺で分かることならなんでも教えるし、愚痴でもなんでも聞くから、遠慮なく話してね」
男がにこりと微笑むと、元からあまり大きくない瞳が完全に消えてなくなる。
男は大柄で口も声も大きかったが、そこから紡がれる言葉は意外にも優しい物ばかりだった。
……こんな話し方をする人だったのか。
そういえば、話すところをまともに見たのは今日が初めてかも知れない。
「あの……、実は今日浄化のやり方を教えてもらったんですが、ここが分からなくて……」
サキ様が四角い物を差し出した。
「あ、スマホ持ってきてたんだ。偉いね。俺最初の時は置いてきちゃって、結構困ったよ」
「たまたま、ポケットに入ってたので」
「そうだよね、準備してる暇ないもんね」
あははと男が笑うと、サキ様も楽しそうに笑う。
「そこの聖力操作はね、こうやって……」
男がサキ様のすまほとやらの上で、指をスイスイと動かす。
「ここは数式で覚えるといいよ。これわかるかな?」
「あ、ちょうど塾で習ったところです」
「そっか、咲希ちゃんは中3だったんだよね。春からは高校生だね」
「高校までに、私は帰れるんでしょうか……」
「それなら安心して。こっちで1年過ごしても、向こうでは12時間だからね。まだ春休みだよ」
「そうなんですか!?」
驚きに、サキ様が立ち上がる。
「うん、俺も本当そこが不安でしょうがなかったけど、咲希ちゃんは帰ったら同じ日の夜7時のはずだよ」
「あーーーー、よかったぁ……」
サキ様は安堵の息を長く吐いて、椅子に座り直した。
「あはは、安心してもらえたならよかったよ。じゃあちょっと高校の先取りって事で、ここの数式を覚えちゃおうか。知ってて損はないからさ」
「はいっ! やっちゃいます!」
それから2人は小さなすまほを覗き込んで何やらよく分からない話しをしていたが、途中エミーが男に要求されて紙とペンを男の部屋から取ってきて、最後は3枚ほどの紙をびっしりと数字や記号のようなもので埋め尽くした。
「分かりました!」
「うん、バッチリだね。じゃあこれはどう解く?」
男が紙に書き足したものを、サキ様がじっと睨んで、そこに何かを書いてゆく。
「えーっと、だから、こう! ですね?」
「そうそう、もう完璧だよ! 咲希ちゃん頭いいなぁ」
あははと男が笑う。
するとサキ様もつられるようにして笑う。
「ケイさんの教え方が上手なんですよー」
サキ様は、こんなに弾けるような笑顔を見せる女性だったのかと、私はこの日初めて知った。
「そうなんです、ファーストフードが食べたくなっちゃって……」
「わかるなー、俺はポテトが無性に恋しくなるよ」
「食べたいですよね、ポテト!」
「そうだなぁ、こっちでも作ろうと思えば作れそうではあるか……。よし、俺が今度作ってあげるよ」
「本当ですか!?」
「うん、楽しみにしてて」
聖女様の口にする物を、軽々しく手作りするなどと言われても困るのだが。
この男なら気安く作ってきてしまいそうだ。
毒味は必ず複数でチェックさせなくては……と私は引き継ぎ事項として頭に入れる。
いつまでも楽しそうに話を続けていた二人に、エミーが「そろそろお時間です」と告げた。
「本当だ。ごめんね、長々話し込んじゃって」
「すごく楽しかったです。また来てくださいね」
「うん、また来るよ」
そう言って立ち上がった男を見送ろうとサキ様が立ち上がり一歩踏み出した時、サキ様が足を滑らせた。
「咲希ちゃん!」
男がサキ様に手を伸ばす。
私は咄嗟にその大きな手を押し除けて、サキ様の細い肩を支えた。
結果、私に突き飛ばされたようになった男だけが体勢を崩してその場に座り込んだ。
ハッと顔を上げた男は、ほんの一瞬ひどく傷ついた表情をしていた。
それを無理矢理苦笑いに変えて、男は言った。
「あはは、恥ずかしいな。俺だけ転んじゃったね」
「今のはケイ様のミスではありません! 私は見ていました、ディアリンド様がケイ様を……」
「エミー!」
鋭い声に、エミーが言葉を途切れさせる。
男は静かに立ち上がると、優しく微笑んだ。
「いいんだよ、俺が迂闊に手を出したのが悪かったんだから。咲希ちゃんには絶対守ってくれる凄い騎士様がついてるから、安心だね」
「ケイ様……」
私は思わず息を呑んだ。
どうしてこの男が私を庇うのか、それがわからない。
聖女様をお守りするためとはいえ、聖女様に次いで大切にするべき元聖女様を突き飛ばしたとなれば、私は叱責されて然るべきだ。
「咲希ちゃんもびっくりさせちゃったね、ごめん」
「わ、私こそ、うっかり転びそうになっちゃって……、ケイさんが助けようとしてくれたのに、ごめんなさい……」
しょんぼりと俯いてしまったサキ様の肩を私がそっとはなせば、男はあろうことか腕を伸ばしてサキ様の頭を撫でた。
一瞬その手を叩き落とそうかとも思ったが、さっきの手前、無下に払うこともできず、私はじっとその手を睨む。
ほんの少しでも怪しい動きをするようなら、即座に払えるように。
しかし警戒するほどの間もなく、男の手はすぐに離れた。
男に撫でられた頭をサキ様が両手で抱える。
不愉快だったのだろうか、と、そっと表情を覗き込めば、サキ様はほんのりと頬を染めていた。
……どういう事だ。
「俺は大丈夫だから気にしないで。また遊びに来るね」
男は明るく手を振ると、優しい笑みをサキ様にもその侍女にも向けてから、部屋を出て行った。
それなのに私にだけは、ほんの少し迷うような視線を胸元に漂わせただけで……。
……彼は私の態度に怒ってはいなかった。
ただ、どこか痛みを堪えるような表情で、彼は目を伏せた……。
あれは……、そうだ。
私が最初に彼を目にした時も、彼はあんな顔をしていた。
……そうか。
あの時も今も、私が……彼を傷つけてしまったのか……。
私がようやくそれに気がついたのは、男が部屋を出て随分経った後だった。
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